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政界を動かす「怨念」 渡部亮次郎
マスコミがとうに気付いていながら書けないことを書く。

福田政権を作ったのは森喜朗氏とか青木幹雄氏なんかではなく野中広務氏である。それを新聞記者もTV記者も知らなかったようだが、私は知っていた。京都から野中氏が動き出した時、安倍晋三総理が辞意を固めた時だった。

野中氏。既に衆院議員を引退したが、手下古賀誠氏を擁して政界を自由に遊弋している。それなのに野中を全くマークしない日本のマスコミはバカだ。

野中氏は1925(大正14)年10月20日生まれだから2007年の誕生日には82歳になる。京都府船井郡園部町(現南丹市園部町)出身。父・北郎、母のぶの長男である。

野中家は4反前後とはいえ田んぼをもつ自作農であり、広務氏が生まれたとき、父・北郎氏は25歳の若さで村の副区長をつめていた。

広務氏は旧制京都府立園部中学校(後の京都府立園部高等学校)を卒業し、大阪鉄道局の職員として採用され大阪・梅田の大鉄局業務部審査課に配属された。大阪鉄道局長だった佐藤榮作(のち首相)と知り合った、という。

著書によればこの大阪鉄道局で差別に曝され自覚を固めた。園部町(現南丹市園部町)の町会議員に当選、さらに町長、京都府府議会議員と飛び、遂には参議院議員を府知事に担ぎ上げ、驚いた事に自分がその副知事となって京都府政を牛耳ったのである。

その頃、私は厚生大臣秘書官だった。京都市の医師がアサヒ・ビールの株を買占め始めて筆頭株主になりかけていた。そこで予て知り合いの住友銀行(当時)頭取が、大臣に「何とか止めさせてくれないか」と陳情してきた。

大臣園田直の命令により幹部を京都に派遣した。ところが厚生省の内情がそっくり医師側に漏れている。驚いて調べると肝腎の副知事が医師側についていた。厚生省の幹部は副知事こそは行政側と勝手に思い込んで内情をすべてバラしていたのである。

1983年8月7日に、前尾繁三郎、谷垣専一の両衆院議員死去に伴う衆議院旧京都2区補欠選挙において、2議席を自民党の谷垣禎一候補、日本共産党の有田光雄候補(同党京都府委員会役員、後にジャーナリストになる有田芳生の父)、日本社会党の山中末治候補(元京都府八幡市長)、前尾系無所属林長禎候補(前京都市議会議長)らと争う。

開票直後は、野中リードの速報が入るものの、次第に伸びが鈍りはじめ、谷垣、有田候補にリードを許し始める。まず、谷垣候補が当確し、残り1議席となる。

一旦は、有田候補が勝利宣言、野中氏は敗北宣言の準備を始めた。しかし、地元である園部町で未開票の投票箱の存在が発覚して、有田候補を逆転するという劇的な初当選を果たす。

永年に及ぶ「被差別」。それに耐えてきた野中氏のド根性は半端じゃない。定めた敵は必ず「仕留める」

自治大臣・国家公安委員会委員長、自民党幹事長代理、内閣官房長官、自民党幹事長などを歴任。自民党郵政事業懇話会の会長を務め、「郵政族のドン」としても知られ、特定郵便局長会に強い影響力を持った。

金丸信の不祥事スキャンダルによる議員辞職に端を発した竹下派(平成研究会)分裂の際に、反小沢一郎グループの急先鋒として名を知られるようになった。

また、細川内閣発足によって自民党が下野したとき、京都府議時代の長期にわたる野党経験を生かした質問を行って、党内で実力を認められるようになった。

1994年の「自社さ」連立の村山富市政権発足時に、自治大臣・国家公安委員長として初入閣。1995年に起きた一連のオウム真理教のテロ事件に関して、同教団への破防法適用を強硬に主張した。

また、松本サリン事件での無実が明らかになった河野義行氏に対して国家公安委員長として真っ先に謝罪に訪れた(長野県警は現在に至るまで河野氏に謝罪していない)。

1996年の橋本龍太郎内閣では、小沢一郎氏の率いる新進党と連携を図ろうとする梶山静六(官房長官)ら「保保大連合」派と対立する「自社さ」派の中心メンバーとして、加藤紘一(幹事長)を支えた。

1998年の参院選の大敗で橋本が首相を退陣すると、後継の小渕恵三内閣で官房長官を務めた。小渕政権では一転して自自公連立を推進した。

2000年に小渕が倒れると、5人組による密室協議で森喜朗首相を選出させた。この密室協議は、野党から厳しく批判され、追及された。また、国民にもこの談合を厳しく非難された。しかし自らが幹事長に就任。爾来森氏は野中氏に頭が上がらない。

同年秋、自民党所属でありながら森首相不信任案に同調を主張する加藤(紘一)の乱では、加藤派の古賀誠氏(国会対策委員長)らと連携し、加藤派の多くを切り崩した。なお、乱終結後、野中氏は幹事長を辞任し、後任に古賀を充てさせた。

森首相退任に伴う2001年の自民党総裁選挙では、当初、側近の古賀・鈴木宗男氏らや公明党から待望論が挙がるも、橋本龍太郎氏や村岡兼造氏ら派幹部からその突出振りを疎まれていた野中氏には支持が集まらず、結局橋本氏を担ぐことになる。

橋本派は業界団体との強いパイプなどから圧勝すると見られていたが、小泉純一郎氏に一般党員の支持が集まり、田中派結成以来、総裁選で初の敗北を喫した。

2003年の自民党総裁選で、主戦論を唱え、青木幹雄(参院幹事長)、片山虎之助(総務大臣)、石破茂(防衛庁長官)、新藤義孝(外務政務官)、村岡兼造(元官房長官)、大村秀章(内閣政務官)の各氏らと激しく対立。

野中は自らの引退を賭けて藤井孝男(元運輸相)を擁立して総裁選に望んだが、首相・自民党総裁の小泉純一郎に大敗した。2003年10月政界を引退。しかし議員引退後も各種メディアを利用しての反小泉の活動を行っている。

2004年に、日歯連闇献金事件が発覚したが、野中氏は橋本氏らと共に1億円の小切手を受け取る現場に居合わせたことを否定。起訴猶予となった。これについて検察審査会で不起訴は不当であるとする議決を行った。

2005年の第44回衆議院議員総選挙では、かつて選挙区で後継者指名をした田中英夫(前亀岡市長)が、郵政民営化法案に造反し反対票を投じたため自民から公認を得られず無所属で出馬。

刺客として自民公認で出馬した中川泰宏氏(元船井郡八木町長)に敗れた。中川は野中の議員時代の腹心で後継者と目されたこともあった。

亀井静香、藤井孝男、野田聖子、古賀誠、小林興起らかつての反小泉の勢力も落選・非公認・離党などで権力抗争から外れていったため、彼らを支援していた野中の影響力も次第に低下した。

2006年10月より平安女学院大学客員教授として政治学を中心とした教育、研究を実施している。また、政界への提言も引き続き実施している。

麻生太郎氏による部落差別発言は彼の将来を暗くしている。

魚住昭『野中広務 差別と権力』、角岡伸彦『はじめての部落問題』などによると、麻生太郎氏は過去に野中に対する差別発言をしたとして、2003年9月11日の麻生も同席する自由民主党総務会において、野中氏に以下のとおり批判されたとされている。

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の3人のメンバーに確認しました。

君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」

これに対して、野中氏の激しい言葉に麻生氏は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだったと同書には記されている。その翌月、野中氏は政界を引退した。

しかし野中氏は肝腎の時には永田町に現れて「指揮」を執っている。『文藝春秋』2007年11月号の「赤坂太郎」に寄れば「確実に明らかになったことがある。

それは、安倍が倒れたのを機に、小泉、安倍両政権で表舞台から去った自民党の"過去の人々"がそれぞれの復活を賭けて、一斉に復讐戦に転じたこと」でその中心に野中氏がいた。

「参院選投開票日より前のこと。福田と古賀(誠)、古賀の後見人で、小泉政権時代、政界の脇に追いやられて引退した元幹事長・野中広務が都内で極秘に会食した。古賀と野中は福田に迫った。

参院選では自民党が大敗する。仮に安倍が続投しても、早晩、行き詰まる。その時はあなたの出番だ。それに備えて政権構想を固めておいた方がいい。その後も3人は接触を重ねた」

「官房副長官・的場順三の早期更迭をアドバイスしていたのは野中だった」

これにかねてから福田擁立のチャンスを狙っていた森元首相と参院自民党のドン青木幹雄氏が組んだのだから、あっという間に福田擁立が固まった。ただしあまりの速さに陰謀めいたものを感じた人や改革路線の後退を憂慮する向きも大きくなり、麻生氏の予想外の得票となった。

幹事長狙いが稔らなかった古賀氏は野中氏の知恵による巻き返しに成功。新設ポスト選挙対策委員長という「党四役」をせしめた。当然、野中氏の力は隠然たるものとなって、古賀氏の口から出てくる筈だ。まして野中氏の恨みを買っている麻生氏の前途は暗いというべきだろう。参考資料「ウィキペディア」2007・10・11
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