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光化学スモッグ移入 渡部亮次郎
日本では戦後も西暦を使わなかったが、私の感覚からすると、1970年を境に使い出したような気がする。昭和35年の安保騒動を回顧して「60年安保闘争」といったり「来年は70年だ」と言ったりした。佐藤栄作内閣の頃だ。

昭和44年。自民党の幹事長は田中角栄、国会対策委員長は園田直(すなお)。マスコミは「直角強行ライン」と名づけた。「来年は70年安保闘争が展開されるっていうじゃないか」というわけで2人は衆参両院で法案の採決強行を連発した。

翌1970年に予想される学生らの日米安保反対闘争に対し、政府、自民党は「身軽になっておこう」との思惑から、折から起こっていた大学紛争に対しては大学運営臨時措置法を採決強行を衆参両院で断行するなど、彼らは「体制」「反体制」などと使った事もない言葉を交わしながら突き進んでいた。

かくてこの年の暮に行われた衆院選挙では自民党が無所属当選者を含めると300の大台に乗せるという大躍進。対して抵抗した社会党は90に激減「大敗」となった。「反体制」は70年安保の出鼻をくじかれたのだった。

国際収支黒字化の定着が示すように、当に経済の右肩あがりが定着、老人医療費の無料化が実現していて、来年は大阪で万国博、これをEXPO70と呼んで、「70年代と到来」が掛け声となっていた。

しかし牛乳に残留農薬が問題化したり、国際反戦デー、新左翼統一行動、荒れる高校卒業式が話題になるなど、新時代の到来は、経済高度成長の歪みと同居していた。フーテンの寅の「男はつらいよ」の封切りもこの年であった。

かくて実際の1970年がきて大阪万博は華やかに開幕したが、よど号乗っ取り事件に続いてガソリンの鉛公害、田子ノ浦のヘドロと並んで光化学スモッグなる新語を告げられて国民は初めて公害なるものを認識させられていった。

光化学スモッグは、日照時間が2・5時間以上で、最高気温が25°Cをこえる夏日の、風が弱い日に発生しやすい。光化学スモッグが発生すると、多くの場合、子供たちに健康被害が発生する。

症状としては、目がチカチカする、涙が出たり、咳(せき)が出たり、のどがいたいなど、目やのどへの刺激があり、吐き気や息苦しいなどの症状が出る場合もある。

1970年7月18日、東京都杉並区の立正高校一帯に光化学スモッグが発声、女生徒40人余が倒れて入院、日本における初めての発生であった。

光化学スモッグが発生したら、屋外でのはげしい運動はさけて、病弱な子供や体調の悪い子供は屋内でやすませる。また、健康に被害が発生した場合、屋外での運動を中止し、水で洗眼やうがいをおこない、安静にする。

さらに、症状が回復しないときや呼吸困難、失神などの場合は、医師の手当てが必要となる。

初期には暑い晴天の日に発生するといわれたが、翌71年ごろからは曇天でも発生し、被害は全国的に広がった。政府や自治体の懸命の努力で次第に発生は抑えられ、いつの間にか日本人は忘れた。

それが最近九州で再発生。それが汚染された中国上空からの公害移入である事が確実になっている。外務省、環境省が対中交渉の窓口になっていると思うが、成果は上がっていないらしく、報道されない。

中国の経済成長が今のペースで続く限り、それによる日本の空の汚染は益々酷くなるだろう。日本海も相当汚染されている。
参考資料:Microsoft(R) Encarta(R) 2006. (C) 1993-2005 Microsoft Corporation. All rights reserved. 執筆:2007・07・17
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