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日本で高等教育を受けた朝鮮人 古沢襄
日本の敗戦が迫った1945年8月10日に、米国は日本領である朝鮮のソ連との分割案を大急ぎで決めている。三八度線を境界にして北側をソ連が占領、南側を米国が占領する朝鮮分割案。この決定は日本領土占領に関する米軍の「一般命令第一号」に盛り込まれた。

1948年8月15日に大韓民国、9月9日に朝鮮民主主義人民共和国が作られた。南は大きな人口と農業、軽工業。北は重工業と電力、鉱物資源を手中にしている。ソ連は北の政権の指導者としてソ連陸軍が指導した抗日ゲリラの隊長・金日成を擁立した。南は米国で亡命生活を送っていた70歳の李承晩を指導者に選んでいる。

この戦後史から分かるように北朝鮮とソ連の関係は密接不可分であった。ソ連は朝鮮人民軍の生みの親であり、育ての親でもあった。朝鮮人民軍の軍官は、ソ連の各種学校で高等教育を受けた。中国との友好関係が生まれたのは朝鮮戦争以降である。金日成総合軍事学校ではロシア語が必須科目だが、中国語は選択科目だった。

しかしソ連は北朝鮮が満足するものを総て与えたわけでない。金日成は儒教の素養があったが、マルクス、レーニン、ヘーゲルなどについて生かじりの知識しか持っていなかったという証言もある。むしろ独自の主体(チュチェ)思想を唱えて、朝鮮民族の伝統性、民族性に基づく儒教共産主義の路線をとっている。

この過程で重用されたのが、戦前に日本で高等教育を受けた朝鮮人であった。北朝鮮の核研究の草分けとなった李升基(リスンギ)は日本の旧制松山高校から京都帝国大学工学部を卒業、1967年に寧辺原子力研究所長に就任して原爆研究を指導したといわれる。

早稲田大学理工学部を出た呂慶九(リョキョング)は科学院化学研究所長、最高人民会議代議員を歴任したロケット研究者。丁根(テイウオン)は京都帝国大学、モスクワ大学を出た核物理学者。かつては日本人だった学者の存在は枚挙にいとまがない。

軍関係でいえば朝鮮人民軍の空軍はゼロから出発している。草創期の空軍の創建者・リ・ファル中将は日本の名古屋航空兵学校の出身。陸軍航空隊のエース・パイロットといわれた。日本パイロット出の朝鮮人操縦士たちが多くいた。彼らは朝鮮戦争でミグ戦闘機を操縦して活躍している。リ・ファルは朝鮮戦争の航空師団長、後に空軍司令官に昇進して、‘共和国英雄’の称号を受けている。
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