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中国人の思考と行動 渡部亮次郎
インターネットを逍遥していたら「恋する中国」というサイトに出合った。「中国人の性格 〜中国人の思考と行動〜」と題し、様々な分析を試みておられる。筆者は分らない。
http://www.togenkyo.net/chinese+index.htm

失敗は必ず他人の責任。
彼ら中国人は失敗してもめげることはない。何故なら、彼らの失敗は決して彼ら自身の責任ではなく、必ず他人の責任となるからだ。もしも責任を押し付ける相手がいなくても、必ず何かに責任転嫁する。

それは時に天気のせいだったり運のせいだったり飼ってるロバのせいだったりもする。己の非を決して認めず、たやすく責任転嫁が出来てこそ、立派な中国人なのである。中国には自己責任という言葉がないのか・・・?

恐らく「責任をとって辞任」なんてこともないんだろう。

中国人は赤の他人には冷たい。
日本なら子供やお年寄りには優しく接するが、日本以上にお年寄りを敬うと言われている中国人でも、赤の他人なら老人にだって容赦なく冷たい。

電車やバスの中で、赤の他人の老人に席を譲るなんてことはまず有り得ない。お年寄りがどうこういう以前に、赤の他人など、はなっから眼中にないのだ。中国人にとって知らない他人はいないも同然・・・

中国人は基本的に「何も足さない…何も引かない」という、どっかのウイスキーのコピーのような人種である。

ただし、足すときは何でも足す、引くときは何でも引いちゃうから見事である。要するに極端なんだ。程々ということを知らない。ちゃんと考えてるのか、あるいは何も考えてないのか・・・失敗したときの言い訳だけは世界有数の能力を持っているのだが・・・

微妙なサジ加減というものを覚えてない。芸術とまで言える見事なまでの料理を作り上げる国民のくせに、なぜ普段は程良いということができないのか?単にやる気の問題か?何をやっても極端な国民である。

中国においてテーブルマナーはノーマナーである。

なんでもありである。食事中にタバコを吸うのは全然OKだし、宴会でもないのに大騒ぎしたってOKなのだ。

食べ物の殻なんかはテーブルの上に直、あるいは店の床に直に「ペッ!」ってしても大丈夫。

茶碗に入ったお湯なんかだって、平気で店の床に捨てちゃう。でもこの中国人の行為、本当はノーマナーなんじゃなくて、食べ散らかすのが中国の食事のマナーなのだ。

くだらないマナーなんかに縛られず、純粋に食事を楽しむ、これが中国のテーブルマナーなのだ。「汚いなぁ・・・」なんて思わなくなったら、完璧に中国に染まった証である。このノーマナーの楽しさは、一度味わったら止められない。高級フレンチなんて面倒で行ってらんないよ・・・

中国人は他人には冷たいが、身内にはとってもよく尽くす。
身内といっても家族だけでなく、友達にだって大いに尽くす。ちなみに、同じ会社の人間は身内とは言わない。

家族や親戚、友達のためにだったら職権乱用なんて当たり前である。むしろ職権を使わなければ損だとさえ思っている。とにかく身内のためだったらなんでもするのである。身内の絆は日本人の比ではない。

その絆の強さは、世界中に散らばる華僑のネットワークが実証している。友達の友達、そのまた友達・・・世界に散らばる華僑すべてが身内であると言っても過言ではない。
中国国内では赤の他人でも、一歩海外へ出たなら、同じ中国人として強い仲間意識を持ち、強い絆で結ばれるのである。

もちろん、絆と同時に、中国人お得意の面子というのもあるのだが・・・コネがなければ何も出来ない中国、コネがあればなんだって出来る中国。露骨すぎて素敵・・・!

中国人は短気である。ささいなことで喧嘩が始まる。しかし中国人は決して謝ることはしない。一言でもゴメンなどと言おうものならば、それは完全なる敗北を意味するのである。

そしてひとたび喧嘩が始まれば、道ゆく野次馬を巻き込んで自分に過失がなかったことを主張しまくり、まるで子供の喧嘩のような責任のなすりあい合戦が始まるのである。

喧嘩の原因となる場面を目撃していない、まったく関係のない野次馬も口をはさんでくる。そして中国では大抵がその場で決着する。アメリカやフランスのように訴訟を起こしたりはしない。現場が裁判所なのだ。

というか、正確には決着などしていない。ただ喧嘩し疲れて終わるだけなのである。「ぁんだ〜テメ〜!やんのかよコラッ!」とか言いながら、全然やらない日本のヤンキーと同じである。

ちなみに、上海人は絶対に相手を殴らないとかよく言われてるが、太田は上海で殴り合いの喧嘩を何度も見ています・・・不思議だねぇ・・・

ここまで拾ってみた。建国(1949年)、北京にはハエが1匹も飛んでなかった、チップは絶対受け取らない、賄賂も絶対取らないから汚職が無い国、と言われていた。

1972年9月、いよいよ日本との関係を回復しようということになり総理大臣田中角栄、外務大臣大平正芳、内閣官房長官二階堂進の各氏が全日空特別機で北京に向かった。

記者団80人の中から5人だけが同じ飛行機に同行できることになってNHK取材団5人を代表して私が指名された。総理就任後僅か2ヶ月にして国家を背負っての角さんは緊張気味だった。

北京に着いた翌朝、記者団の一人が運転手に金張りダンヒルのライターを差し出した。チップを受けとるかどうか試したのである。峻拒するかと思いきや、かの運転手氏、きょろきょろとあたりを見回した後、サッと掴んでポケットに入れた。

「これは日本外務省の説明とは大分違うぞ」と思った。爾来、これが私の中国人を見る目、である。外務省発表より『大紀元』を信用する所以だ。

国交が回復した1972年の秋、大使館開設部隊がやってきて、東京・紀尾井町のホテルに滞在した。ホテルの社長は外交官上がりの人だったが「何しろあの人たちは絨毯の上に唾を吐くから困る」と嘆いていた。

「それにベッドのスプリングが効いて安眠できないとマットを外すんですよね」とも。毛沢東の申し子は野人ぞろいだなと苦笑したものだ。

特に唾を吐くことについては、6年後に今度は外務大臣秘書官として訪中した際、黄砂が口に入ってくるから唾を吐くのは止むを得ないことなのかな、と思ったりした。何しろ人民大会堂で会談に応ずる(とう)小平の足元には「痰壷」が常備されていたから。

しかし、どうも違うようだ。中国人の一人ひとりのすべてが要すれば「得手勝手」な人たちなのだ。「他人のことは構わず、自分の都合の良いことばかりを考えること。手前勝手」(広辞苑)。

大河の沿岸に化学工場を作る。排水は有毒であろうが無かろうが大河に垂れ流す。他の工場もそうする。自分勝手、他人の迷惑を考慮する事は始めから皆無。工場全体が「唾を吐く」なのだ。

その結果、黄河が、長江(揚子江)がどれだけ汚染されて河として死滅寸前に追い込まれようが知ったことではない。中国最大(琵琶湖の3倍)の湖に「あおこ」が発生して市民のラーメンが臭くなろうが何人死のうが知ったことではない。

中国の大気汚染は日本の大気まで汚染し、光化学スモッグ多発の原因とまで言われるようになった。また河の汚染はやがて東シナ海に及び日本人の胃袋や肝臓を汚染するのは確実だろう。

日本の親中派は中国に公害対策を日本が教えるべきだといっているが、冒頭に引用した中国人の思考と行動を日本人が正せるとはとても想像ができない。2007・06・06
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