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茶を飲まないわけ 渡部亮次郎
水呑百姓(みずのみびゃくしょう)は茶を買えないから、食事の時でも飲むのは精々白湯。今から60年以上前にアメリカのマッカーサー元帥がやって来て農地解放を強引に実施した。

その結果水呑百姓(田畑を所有しない貧しい小作または日雇いの農民=広辞苑)は無くなった。百姓はすべて自作農に出世したのである。彼らは喜びに舞い上がり自転車とラジオを買い、生まれて初めて清酒を、ビールを飲んだ。

さらには子供を高校や大学にやり、終いには自家用車を買った。自家用車なんて町長でさえ乗ってなかった。お医者さんもクルマはクルマでもオートバイだったのに。

そうしていたところへ農業の機械化が始まって借金を背負い、ここから日本農業の崩壊が始まったのだと説く学者もいるようだが、少なくとも今の農家からクルマを取り上げたら、百姓はどこへも行けなくなってしまう。

話は茶のことを書くのだった。60年前でも、農家ではせめて客があれば茶を出した。だが私は飲んだことがなかった。それが東京へ出てきて、いきなり折ったことも無い膝を折らされ、抹茶なるものを飲まされたからびっくりした。落ち着いた親戚が表千家の師匠だった。

何の因果か、後年、京都の裏千家に招かれて秀吉に自刃を命ぜられた先祖千利休の木像と対面させていただいたこともある。それでも猫舌の所為もあって茶よりは水を好む。

茶には各種有効成分が知られており、昔は薬用を目的に飲用されてきた。タンニン(カテキン類)、ビタミンC、テアニン、カフェイン。茶は中国から世界の果てまで普及したわけだが、日本人が世界で一番長生きなのは刺身のほかに緑茶としての茶を飲んでいるからだとの説を成すものも出てきた。

各国語における茶を意味する単語

世界で'茶'を意味する語の発音を分類すれば、チャ系統のものとテー系統のものがある。「チャ」は主に「陸路で伝わった」。

大航海時代(15世紀から17世紀前半)以降の伝播では中国語のうち、広東語での呼び名であるチャ (ch'aまたはts'a。チャーまたはツァー) に由来するものと、

福建省厦門(アモイ)地方の方言(ミン南語)での呼び名のテー (teまたはtei。発音はどちらもテー) に由来すると考えられる。

ポルトガルが広東省のマカオから茶を運んだため、ポルトガル語でも「チャ」の発音が見られる。また、オランダがアモイから茶を運んだため、オランダから茶を輸入した国では「テ」の発音が定着し、「テは海路で伝わった」と言われる。

'茶'を意味する単語をもつ言語でこの両者の系統に属さないものは極めて珍しい。

日本語の茶の字音は呉音「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」である。「チャ」という音は院政時代の『色葉字類抄』から見られ、漢音と唐音の間の時期に流入したと考えられる。

また朝鮮語漢字音も「タ」と「チャ」があるが、植物・飲料の茶だけを指す場合、「チャ」を用いる。

チャーに由来する呼び名を持つ主な言語

陸路で伝播、または大航海時代以前に海路で伝播

朝鮮語、日本語(cha) ベトナム語、タイ語、マレー語、タガログ語、チベット語、ネパール語、ヒンディー語(cha)、ベンガル語、ペルシア語(cha)、トルコ語(chay)、アラビア語(chai)、スワヒリ語、ギリシア語、ブルガリア語、ルーマニア語、セルビア語、セルビア・クロアチア語、アルバニア語、チェコ語、スロバキア語、ウクライナ語、ロシア語(чай, chai)

マカオから「茶」を輸入

ポルトガル語(cha)

テーに由来する呼び名を持つ主な言語

オランダから「茶」を輸入、若しくは、オランダの植民地

オランダ語(thee)、英語(tea)、ドイツ語(Tee)、ハンガリー語、ポーランド語、イディッシュ語、ヘブライ語、フランス語(the)、スペイン語(te)、イタリア語(te)、ラテン語、デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語、フィンランド語、エストニア語、ラトビア語、アイスランド語 アルメニア語  インドネシア語

イギリスの旧植民地、または旧植民地の茶産地

マレー語 、タミル語、シンハラ語

上記の系統に属さない呼び名を持つ主な言語

ビルマ語(ラペッ)、上海語(ズー)- 字は同じ「茶」 福州語(ター)- 字は同じ「茶」

茶がいつ日本に伝わったのかははっきりしていない。茶は薬用として禅宗の修行に用いられていることから僧侶が関わっているとみられる。かつては栄西によってもたらされたのが最初と考えられていたが、最近の研究によればすでに奈良朝の頃伝来していた可能性が強い。

ただし古代に伝わった茶は纏茶(てんちゃ)であったと考えられる。「続日本紀」では、弘仁6年(815年)の嵯峨天皇の近江行幸の際、唐から帰朝した梵釈寺の僧永忠が茶を煎じて献上したと記されている。

だが、平安時代に入って文化が純和風に変わりつつあったと同時に、茶も次第に廃れていった。茶の栽培は栄西が中国から茶の苗木を持ち帰ったのが最初と考えられていたが(そこから日本に喫茶の習慣を広めたとされた)、空海や最澄も持ち帰り栽培したという記録がある。

当初は薬としての用法が主であったが、栽培が普及すると共に嗜好品として、再び飲まれるようになった。一時(貴族社会の平安時代の遊びとして)中国のように闘茶が行われることもあった。

日本茶道の祖『南浦紹明』により、中国より茶道具などど共に当時、径山寺などで盛んに行われていた茶会などの作法が伝わり、次第に場の華やかさより主人と客の精神的交流を重視した独自の茶の湯へと発展した。

当初は武士など支配階級で行われた茶の湯だが、江戸時代に入ると庶民にも広がりをみせるようになる。煎茶が広く飲まれるようになったのもこの時期である。茶の湯は明治時代に茶道と改称され、ついには女性の礼儀作法の嗜みとなるまでに一般化した。

明治時代になって西洋文明が入ってくると、コーヒーと共に紅茶が持込まれて徐々に普及していくこととなる。

昭和期に芸能マスコミの話題からウーロン茶が注目を集め、缶入りウーロン茶が発売されると一般的な飲み物として定着した。また、この流行のため中国では半発酵茶が主であるかのようなイメージが広がった。

缶入りウーロン茶の好評を受けて飲料メーカーは缶・ペットボトル入りの紅茶・日本茶を開発し、ひとつの市場を形成するに至った。その一方で堅苦しい礼儀作法が敬遠される傾向が強まり、茶道は一般的な嗜みから、趣味人の芸道としての存在に回帰しつつある。

チャが栽培されているのは中国、台湾、日本、スリランカ、インドのアッサム地方、東アフリカである。

チャは栄養生長部である葉を収穫するため、栄養に富み湿度の高い所で栽培すると良いものが作れる。これはミカンのような生殖生長部を収穫するものとは逆の環境である。

日本では静岡県(牧之原台地を筆頭に県下全域)で最も多く栽培されている。

2004年の生葉収穫量(トン)

1. 静岡県   197,300
2. 鹿児島県  123,500
3. 三重県   33,300
4. 宮崎県   18,600
5. 京都府   13,800
6. 奈良県   12,200
7. 福岡県   10,900
8. 佐賀県    9,770
9. 熊本県    9,200
10. 長崎県    5,370

2004年の荒茶の生産量(トン)

1. 静岡県  44,200
2. 鹿児島県 25,200
3. 三重県   7,640
4. 宮崎県   3,780
5. 京都府   2,950
6. 奈良県   2,920
7. 福岡県   2,260
8. 佐賀県   2,170
9. 熊本県   1,860
10. 長崎県   1,060

※出典:農林水産統計・平成16年産茶生産量[1]

最大の産地である静岡県に次ぐ第2位が鹿児島県というのは、一般にはあまり知られていない。渡部亮次郎の調査によると鹿児島県の鎌田要人知事(のちに参院議員)が若い頃静岡県の副知事をしていて郷里鹿児島にも向くと見抜いたことによる。ご本人談。参考:ウィキペディア 2007・06・04
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