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五葉山二題(2) 菊池今朝和
昭和六十年八月十三日、同窓会を終えた私は、一人の女性に会うため胸を躍らせ大船渡市盛町にむかった。手には一冊のサイン帳を大事に持っていた。甲子小六年の担任菅野恭子先生(現高橋)へ、二十七年ぶりの懺悔を込めた対面であった。

どのようなわけか、気まぐれな私は卒業式を終わると、卒業証書だけ手にし、記念品や帽子など一切を机に入れ帰った。気がついた先生はその夜届けてくれた。

そのことが大人になっても澱のように心の片すみを暗くした。昭和五十七年暮れ、先生の住所が分かり思い切ってお詫びの手紙をだした。追って先生から温かい返信が届いた。二年制の大学をでた先生の初任校が甲子小で、当時四年目で多感な少年の心を読めなかったこと、そして、卒業式がくる度に想い出していたとあり、「教師という仕事の恐ろしさというか、素晴らしさというか、責任の重さみたいなものを、しみじみ感じました」と、便箋五枚に添えられていた。ありがたいお手紙だった。

出迎えていただいた先生は、若々しくまぶしく見えた。時間が高速で逆転してゆくような錯覚を覚えた。

当時、卒業式近くなると、先生達からサイン帳に記念の文言を書いていただくのが慣例となっていたが、私のサイン帳には先生の文字だけがなかった。

お願いしたサイン帳には「二十七年振りにお逢いして、子どもが伸びる可能性を改めて知りました、これからも親子ともますますご健康で、山登りを続けられることを祈ります」とあった。

私はサイン帳を大事に包むとザックに入れ、タクシーを飛ばし五葉山の登山口赤坂峠に向かった。

山頂の小屋には三人の先客が居た。純朴な地元の三人の高校生であった。話をすると私の後輩に当たる釜石南高校生で、ともに最上級生あった。

三人は仲良しコンビのようで愛称で呼び合っていた。三年最後の夏休みを五葉山で楽しもうと、ナイーブ−で山岳部の村上君、シャイでボーイスカウトの清水君、それに明るく積極的な天文通の藤原君の三人は、この日で三泊目ということだった。

藤原君の天文に対する知識は並たいていではなく、星好きの私も藤原君に星座のイロハを教わった。夜半過ぎまで四人で山頂から星を眺め、宇宙の謎を語った。この夜はペルセウス座流星群の、活発日に当たるらしく流れ星が沢山飛んだ。小屋に戻ると疲れたようで、村上、清水君の二人はすぐ横になった。

私は八月八日に、家族で北アルプス縦走を終えた後、家族を返し、積年の鳥海山に登り、そして幹事としての同窓会の切り盛り。さらに恩師へのお詫びの旅となったが、菅野先生との対面の余韻もありなかなか眠れなかった。藤原君も寝むれないらしく、彼と枕をともにし恋愛論、人生論などを語り明かした。

平成八年十二月、一通の喪中の挨拶が釜石から届いた。活字の脇に手書きで「十月ぜん息の急激な発作を起こし死去いたしました。十年ほど前に、五葉山より今朝和さんより手紙を出してもらった相手が私です。なくなる前日も、五葉へ二人で行ってきたばかりでした」。活字には、今年十月、夫清勝が死去いたしました云々と書かれていた。差出人欄には藤原由香里とあった。

私は一瞬なにがなんだか分からず、差出人の藤原由香里さんて誰だっけと考え込んでしまった。

再び、昭和六十年八月十四日未明の五葉山に戻る。

星の観察を終え、山頂の山小屋しゃくなげ山荘に戻り、横になり日本酒を舐め始めると、星座観察中の、私の明けぴろげの人生に感化されたのか、仲間の寝静まるのをまって、藤原君は私の横に来た。そして、進学の悩みと、一つ先輩の好きな人のことを打ち明けた。

彼女は釜南の一級先輩で、東北大学に在学中の才媛のようだった。私は持論の以心伝心、目を見れば相手の心は分かるは嘘である。好きなら好きとはっきり言葉で伝えなければ相手に通じない、またそのためには努力をしなければならないなどと、年寄りじみた話をした。

翌朝、逗留する三人を尻目に下山の準備をしていると、藤原君があれから手紙を書いたのですが下の郵便局に出してくれませんかと、一通の手紙を差し出した。三時ころまで一緒に話していたのに、いつ書いたのだろうと訝ったが、宛名も見ず、下山地の大松郵便局によった。郵便局には高校時代の気の合った佐藤君が勤めていた。これも五葉山のとりもつ奇遇かと感激した。

その後三人は私のペンフレンドとなったのだが、私が藤原君から委託され投函した封書のあて先が、はからずも訃報を私に出した藤原由香里さんだった。

藤原清勝君からの便りは、手許に十一通残った。同年秋に届いた手紙には、十月二十九日三人で観察したという皆既月食の経過写真十枚が入っていた。なかなか熟達した写真であった。二枚目はハレー彗星に対する意気込みが伝わる賀状であり、三通目に岩大の人文社会科学部に合格したという便りとハレー彗星の感動的な写真であった。四から六通目は大学生活報告で、七通目(平成二)には釜石市役所の税務課に職を得たとあり、私もわがことのように喜んだ。

一年の間をおいて八通目(平成四)には、ついに子持ちとなりましたとあった、私は、彼の順調に幸運な階段を昇って行く様に拍手を送っていた。

平成十一年、釜石で由香里さんとお会いする機会があった。好きな釣りに一人で出かけ、車の中でぜん息の発作を起こし急死したとのことで、路上停車に不信をいだいたドライバーが通報し事故が分かったらしい。

大学時代まで健康だったのに、勤めるうちにぜん息を患うようになったらしい。

さわやかで明るい好青年の藤原君とは、たった一夜の付き合いだったが、その後の文通は十一年つづいた。かれの手紙は緻密でいて、しかも絵有り、ユウモアーありで魅力的だった。由香里さんの話では、そんな手紙を六年間のお付き合いの中で百通も頂いたらしい。でも、私の方がもっと書いたのよと笑って見せた。これからも五葉山に見守られて生きてゆくだろう、由香里さんと、遺児の祥平君の幸せを願い、更に無念の死を遂げた藤原清勝君の回向を念じ、一期一会という言葉をかみしめて見たい。
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