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故郷はこの胸に 一ノ瀬綾
ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや・・・

誰でも知っている室生犀星の抒情小曲集の中の一節である。故郷という言葉を見聞きして、この詩句を思う人は多いだろう。まして、生まれ育った土地を離れて暮らす人にとっては、実感こめて口ずさみたくなる詩にちがいない。この詩には、清冽なノスタルジアとともに、愛してやまない故郷を離れた人間の、哀切な覚悟が滲みだしている。

この抒情小曲集が刊行されたのは大正7年、犀星29歳の時であった。まさに半世紀以上がたっている。その間に日本の社会は、敗戦をはさんで予想もできない激変の時代をたどってきた。それにつれて人の心情も変わり果て、故郷に抱くイメージも意味も千変万化の現代である。故郷を辞典で見れば、その人が生まれ育った土地、以前その人が住んでいた所となっている。

だが、私達が日頃故郷ということばに抱くイメージは、もっと多様で意味深い。今流行のいい方をすれば、ルーツとでも書くべきか。豊かさ、やさしさ、暖かさ、復元、復活などへの憧れや願望もこめて、人々は故郷を口にする。

「疲れたから、故郷へでも帰って、英気を養ってくるか」

「あそこは、私にとって心の故郷だ・・・」

私達はいつも身の廻りでこんな会話を耳にする。その想いは、万葉の昔も、犀星の詩が生まれた時代も、現代も、本質的には変わりなく、人々の心に流れている本音にちがいない。つまり故郷は誰でも、一人ひとりが持っている根元的なよりどころなのである。そういう意味で、故郷を持たない人は居ない筈なのだが、たまにはこんなことを言う人も居る。

「私には故郷がないんです。だって東京生まれの東京育ち、一度も地方で暮らしたことがないんですから・・・」

こういう人は、故郷というものを、地方や田舎のことだと勘違いしているのだ。一般的にも、都会から見た田舎を故郷だと解釈する場合もあるにはあるが、私はあまり好きではない。都会に暮らす人達のエゴイズム、身勝手を感じるからである。

現代ではこうした身勝手なものの考え方が、社会や人間関係の中で図々しく顔をだすのが当り前になってしまった。生まれ育った土地になんの未練もなく、さっさと都会へ出て来たような人ほど、傷ついた時、困った折りにすぐ故郷にすがりつく。どんな我儘でも抱き取って許してくれる母親のように、馴染んだ自然や人間関係には、安心して甘えられるからだろう。身勝手としか言いようがない。

故郷を都会人の人間性回復の場としてしか考えられないような人達には、犀星の詩が湛える切ない望郷の念は、本当に理解できないだろう。犀星は、生まれ育った金沢の地を、自己の文学の土壌とするほど愛惜してやまなかった。その想いがあればこそ、異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや・・・と詠えたのである。

昔、人々は旅に出る時、肉親と水盃を交わした。二度と帰れない覚悟も必要だったからだ。現代は、小学生が一人で国内旅行をしたり、海外で留学生活を送ったりできる時代である。人間の移動がまことに簡単で安全になった。旅だけでなく、他の地へ移り住むことも平気になり、どこへ行っても暮らせるからと、ヤングの家出も激増している。安易に行き着いた先で、人々じゃどんあ生き方をすつのだろう。私の身近で見た、一人の若い女性の例を考えてみたい。

その娘は北海道の出身だった。家庭は父親が教職にあり、両親と兄一人の四人家族という暮らしをしていた。兄は東京の大学へ入り、やがて彼女も高校を卒業して、札幌市内の洋裁学校に通い始める。ごく普通の世間並な若い女性のコースを歩み始めたわけである。それで終われば問題はないのだが、一年もせずに彼女は東京へ出る決心をした。

高校時代からの初恋の相手が、大学受験にパスして上京したので、その後を追う為であった。両親の反対を説得して上京した彼女は、東京でアパートを借りて一人暮らしを始めたのである。兄はもう在学中から恋人と同棲していて妹の割り込むすきはなかった。

都内のデパートに努めて丸二年、東京のOL暮らしにも馴れた頃、彼女の生活は少しずつ変わっていく。酒を覚え、たばこをふかしながら、深夜喫茶にも出入りするようになった。初恋の相手との中は一年半ほどで自然消滅していた。淋しさに耐えられなくなった彼女は一人でバーに通い始め、そこで同年代の男と仲良くなった。真面目なサラリーマンだった男が、彼女のアパートに出入りするようになって間もなく、彼女は妊娠した。

結婚に迷っているうちに五ヶ月が過ぎて、勤められなくなり、娘は男と正式に結婚したのである。両方の親がさんざん苦労して、やっと男の家に収まった娘はやがて母親になった。だが、その結婚は二年と続かなかった。性格の不一致を理由に、娘は生まれた子供を背負って、さっさと両親の居る故郷へ帰って行ったのである。

今時の大都会では、ありふれたエピソードの一つに過ぎないできごとかもしれない。未婚の母親が胸を張る時代だから、娘がどんな恋をしようと、子供を産んですぐ離婚しようと、そのことに目くじら立てるつもりはない。どうしても気になるのは、その娘が、子供を連れてさっさと故郷へ帰って行ける、その気持ちだ。あっけらかんとした安易さが心もとない。帰ってからどんな生き方をするつもりだろう。

故郷の土からまた出直すという、覚悟を持った新しい出発を、この若い母親に期待するのは無駄な気がする。最初に故郷を出た時、すでに彼女は根無し草になっていたのだ。少なくとも肉親や郷里との間に、真剣に生きた繋がりがあれば、簡単な気持ちで上京できなかった筈だ。出ることで傷つくような愛着があれば、彼女の東京の生活は、もっとしっかりしたものになっていただろう。

私の場合、生まれ故郷は農村であった。信州のアルプスに近い高原の生家で、27歳まで暮らした。そこで結婚して農婦になるつもりだった。戦後の農村に、新しい農民像をかかげて、その理想の実現のために、精いっぱい、ありったけで生きた。若い仲間と農業の勉強をしたり、生活改善のための具体的な運動にも参加した。

その頃の農村には、まだ戦前からの因習や封建思想が根強く残っていた。若者達は男女交際や結婚問題で、必ず厚い壁にぶつかって苦しんだ。乗り越えた者も敗けた者もいる。破れても真剣に闘った者はきっと新しい自分の生き方を発見する。私もその一人になろうとした。

青春の終り頃になって、家出という手段で故郷を捨てたのだが、それから現在まで私の生き方の根底には、いつも故郷がある。家を出てからは、日本各地を転々とめぐり歩くような仕事を数年間もやり通した。浮き草のような生活だったが、私の心情はいつも故郷に、しっかりと繋がれていた。

懐かしくて恋しかったが、私が一番苦しんだ時代どうしてもも故郷へ帰れなかった。本当に好きな相手には気軽に近寄れないと同じで、私は自分が青春を賭けて愛した故郷に甘えることができなかったのだ。

その代わり、文学的手段を通して、小説の世界で故郷にめぐり逢う道を選んだ。今になって私は、故郷というものは、この胸の中にあるのだ、と思えるようになった。いくら生まれ育った土地でも、また終生その地で暮らしても、本気で真剣に生きた人でなければ、本当の故郷の姿にめぐり逢うことはできないのではあるまいか。

都会で暮らす人の心が荒廃していくのは、集まって来る人々の胸に、本当に愛した故郷がないからだ。無責任に、気軽く、楽しい生活だけを求めてやって来た人間は、やがて自分自身に仕返しされるしかない。

故郷を愛するということは、今住んでいる場所や日常と深くかかわって生きることではないか。一鉢の花に水をやり、陽を当てることでいい。アパートの隣人と笑顔を交わすことや、通勤途中の草花に目を止めること、なにごとも心に彫みながら、一日一刻を生きる。それが愛する行為だと私は思う。地方も都市もふくめて、そういう人達の残していく生活が故郷を育て、文化や歴史となって社会を守ってくれるのではないだろうか。(杜父魚文庫より)
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