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もういちど若くなりたい春のまち 安田紀夫
共同通信社の先輩でジャーナリズム学者であり、創価大、東京女子大教授を歴任された新井直之氏が、六十九歳で亡くなられてから八年が去った。一九九九年五月半ば、新宿・太宗寺で行われたお別れ会に参列した。「追悼 新井直之ーその人と足跡」という小冊子に、最後に活字になった原稿がおさめられていた。

「幕がおりていく」というタイトルのこの随想は「六十歳代も後半になると、自らの意志とは別に、いままでの活動におのずから幕をおろすことになることが多い」という書き出しで始まる。学術交流で中国に行ったとき、身軽な案内嬢にどんどんおいていかれてしまう老いの身を描き、中国に来ることができるのも、これが最後だろうな、と思ってしまう。

昔のことをろくに調べぬまま発表をさせている研究会に苦言を呈し、あるオーケストラとその後援者たちとの新年パーテイーに出て顔ぶれの変ぼうに目を見張り、「来年からは出席することもあるまい」と感じる。

そして「すべてが一つ一つ幕をおろしていく。寂しいという思いと、これが人生さという思いとがある」と結んでいる。この「達観」と自らの老いを冷徹に見詰める「眼」に感嘆した。

もういちど若くなりたい春のまち

四年前の一九九五年、会社の大先輩の夫人が急性心筋こうそくで亡くなられた。享年六十九歳。五月の晴れた日、葬儀は教会で執り行われたが、俳句を趣味とされていたという夫人の仲間の弔句が読み上げられたあと、故人の遺句が五首ばかり披露された。

表題の俳句はその一つ。

品のよい夫人の遺影を前に、これを聞いて胸をうたれた。春四月、コブシが咲き、ミズキが花をつける。街はいっぺんに華やぎ娘たちのパステルカラーの衣装がまぶしい。

「ああ、もういちどあの若さを取り戻したい」。句は極めて単純、率直に筆者の心情を伝えていて参列者の涙を誘った。

幻の碧き湖をもとめて
涯しない人の世の砂漠をさまよいし
わが旅路の漸く終りに近づきたるか
六十路の半ばをすぎたるに
われ湖にいまだ巡りあえず
されど
いつの日か
そを見ることのあらんかと
されど、ああ
あくがれの碧き湖は彼方

この詩の作者、古澤真喜は昭和十年代のプロレタリア作家古澤元の夫人。編者の襄氏はご子息にして作家、かつ会社の先輩である。長野県上田の素封家に生まれた真喜は文学を志して上京、元と結ばれるが、シベリアに応召された夫に先立たれる。

戦後の混乱の中で生活に追われ、やっと落ち着いた晩年、編集者だった和田芳恵に強く勧められて自伝的小説「碧き湖は彼方」を書き始める。完成途上の作品(原稿用紙百四十八枚)は同人誌「星霜」に六回にわたって掲載されるが、病のために断念。

「続篇を」と要請されてやっと病の床で書いたのが、この「碧き湖」という一篇の詩なのである。小説は未完のまま七十二歳で生涯を閉じた。

六十代半ばを過ぎた病身の身があと、どれだけ生きられるか。死が「生」という時間を切り裂く日が、そう遠くない未来に待ち構えているのを予感している。さまよえる身に「碧き湖」はまだ遠い・・・・。

還暦を過ぎてこの詩を読むと切ない。筆者の「無念」が胸にこたえる。

以上の三篇は辞世のことばではないが、人生のターミナルステージで迫り来る「死」と「老い」をみつめながらの詩であり文である。読む者に重く迫ってくる。

今のような高齢化の時代には「碧き湖」のような作品がもっとあってしかるべきだとも思うのだが、無理な話だろうか。最近、少年期を生き生きと描いた「少年H」を読んだが、表題とは対比的に晩年、とりわけ終末期の生き方や老いについて考えさせられた。(杜父魚文庫より)

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