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蚊・・・このうるさきもの 吉田仁
夏の夜は蚊をきずにして五百両

これは芭蕉門下の榎本其角の句。蘇軾の「春夜詩」の有名な一節“春宵一刻値千金”をふまえ,“夏の夜は蚊がうるさくてかなわないから千金の半額だ”としゃれた。

蚊さえいなければという思いは,其角を遠くさかのぼった平安時代中期の『枕草子』でも切実に表白されている。

“眠たしと思ひて臥したるに,蚊の細声にわびしげに名のりて顔のほど飛びありく。羽声さへ,その身のあるほどにこそ,いとにくけれ”

うん,わかるわかるという感じだが,清少納言のこのボヤキは,おそらく人類史が始まって以来,営々とくりかえされてきたものなのだろう。

むしろ,文明が発達して人間が繊細かつ軟弱になり,生活にも優雅さと呼べば呼べるような要素があらわれ,衛生観念が増してゆくにしたがって,そのなかに無遠慮かつ大胆不敵に侵入してくる小さな害虫に対する憎しみは,いっそうつのってきたのではないだろうか。

蝿もまた家のなかに侵入して楽しかるべき夕餉の団欒を台無しにする害虫のひとつである。私事だが,つれあいの田舎は漁村で,蝿が多い。夏など食事中はつねに蝿を手で払いながら食べなければならない。

そんな環境で育った人間を蝿の少ない東京においてみるとおもしろい。蝿には慣れているはず,一匹や二匹が家のなかを飛びまわったところで気にもとめないだろう,とふつうなら考える。ところが実際はまったく逆で,たとえ一匹でも蝿が入りこんでくると目をつりあげて追いまわす。

田舎にいたころは,いやだいやだと思いながらも数の多さに諦めをつけていたのかもしれない。東京のいまの住まいなら数が少ないから,その気になりさえすれば追いはらうことができる。蝿に対する反応も環境が違えば異なってくる。蚊に対しても事情は同じことだろう。

世の中に蚊ほどうるさきものはなし
    ぶんぶというて夜も寝られず

たしか日本史の教科書などにも載っていた狂歌で,だれもが知っている。ブンブンと飛びまわる蚊のわずらわしさに仮託して文武を奨励する松平定信の寛政改革を皮肉るのが眼目だから,ここでとりあげるのは筋違いかもしれないけれど,寄り道はぼくの性分である。ご勘弁願いたい。

この狂歌の作者と目された蜀山人こと大田南畝は,本名を覃[たん]といい,直次郎と通称した下級幕臣だった。その大田直次郎は,

「幕臣である自分が,おそれ多くもお上の政治をそしる歌などつくるはずもない,これは巷間の偽作である」
と自作説を否定している。

しかし,だれもそんな言葉を真に受けはしない。蜀山人も充分承知のうえで,宮仕えとしての建前だけは前面に押し立てているような気がする。

幕府にとって下級官吏である大田直次郎などとるにたりない存在にすぎない。ところが,狂歌師蜀山人は一匹の蚊のごとき“害虫”だった。それこそ“うるさきもの”にほかならなかったから,彼はさんざんまわりから燻された。つまり,上からの有形無形の圧力や同僚たちの忠告がましい批判があって,やがて表向きは筆を断つことになる。

さきに引用した『枕草子』の一節には「にくきもの」と題がある。其角の句には夏の夜の“きず”とあった。蜀山人は“うるさきもの”といった。もっと端的に表現すれば,蚊は人間の天敵である。

この天敵を駆除するには,手で叩きつぶすのが最も原始的かつ最も快感をともなう方法である。しかし,これがけっこうヒマと集中力とを要する。蚊も,おいそれと叩きつぶされてくれるほど,お人好し?ではない。

夜に寝転がって本を読んでいると,本の裏側になった手の指がかゆい。

・・・やられた!

と思ってあたりをうかがっても,すでに敵の姿はみえない。本に夢中になって羽音に気づかなかったのか。その油断を自責しつつ虫刺されの薬を塗る。

子どものころ,蚊に刺されると“ムヒ”を塗った。このムヒという名が無比から来ていると気づいたのは迂闊なことにおとなになってからだった。

“強力ムヒ”にはずいぶんお世話になった。最近もっぱら愛用しているのは“アンメルツ”という製品である。この名称はどこからきているのか知らない。能書きには肩こり・筋肉痛などをうたっていて,虫刺されに効くとは書いていない。それでも,この塗り薬は虫刺されにじつによく効く。

さて,アンメルツを塗り終えて本にもどる。ところが蚊の襲来が気になって,なかなか内容にとけこめない。しばらくすると,今度はかすかにプ〜ンという羽音が聞こえてくる。ぱたりと本を閉じて,敵の姿を確認する作業にすべての神経を集中する。

・・・敵機発見!

静かに身を起こして叩きつぶすべく身構える。ところが,運動神経のにぶいぼくは,たいてい空を叩いて敵の姿を見失ってしまう。そんな徒労を二,三度くりかえしたあげく,

・・・そうだ,あれだ!

と気づいてとりだすのが蚊取り線香。火をつけて蚊遣り豚に入れ,やれやれとばかりに読書にもどるのである。

この蚊取り線香ができるまでは,木の屑や杉の葉っぱ,蓬[よもぎ]などを焚く蚊遣りが中心だった。蚊を遣る,つまり部屋から追いはらい,家のなかから追いだすのが主目的である。

蚊いぶし,蚊ふすべともいい,煙にまかれて失神したり,あるいはショックで思わずあの世にいってしまう蚊もいたにはちがいない。それでも積極的に蚊を誅殺することを目的とした蚊取り線香とは根本的に働きが異なるという感じがする。

世の中をあくたにくゆる蚊遣火の
   思ひむせびて過ぐすころかな

平安時代の源俊頼がこう詠ったように,蚊遣りはぼうぼうと煙を立てた。だから,縁側で焚くことが多かった。それでも家じゅう煙ってしまう。人間さまのほうも燻しに燻され,むせにむせてどうしようもないという難点があった。

江戸時代になって平賀源内がマアストカートルなる道具を発明している。四角の木箱に歯車やハンドルがついている。ハンドルを回すと蚊がとれる,回すと蚊ァとる……冗談のような話だが,源内が蚊取り機を考案したのは事実。

必要は発明の母,蚊遣り火にかわる新たな手段は江戸時代にも切実に求められていたところに源内が流行の先端をゆくオランダ渡りの技術を駆使して新蚊取り機をつくったから飛ぶように売れた,と,もしそうなっていたら,日本の蚊取り事情も変わっていたことだろう。

残念ながら源内考案のマアストカートルはまったく売れなかった。蚊取り機本来の能力を発揮しなかったのだろう。だから,あいかわらず日本人は,蚊と,その蚊をやっつけるはずの蚊遣りの煙に苦しめられなければならなかった。

文明開化の世ともなれば時代にふさわしい天敵退治の方法が求められたはずだが,不幸にして近代科学の先輩だった欧米諸国にもそんな文明の利器は存在しなかった。蚊に苦しめられていた日本の人民は大日本帝国憲法の発布の翌年まで待たなければならなかった。 
一八九〇年(明治二十三)のこと,その後“金鳥の夏,日本の夏”のキャッチコピーで知られる大日本除蟲菊という会社が蚊取り線香を製品化したのである。これは現代でも日本が世界に誇ることのできる数少ないオリジナル商品のひとつといっていい。

除虫菊は白花虫避菊(シロバナムシヨケギク)とも呼ぶ。この花を乾燥させて粉末にしたものに布海苔を混ぜ,同時に染料として青竹の粉を混ぜて錬り固めたものが蚊取り線香になった。

もっとも最初の製品は粉末状で,“蚊遣り粉[こ]”と呼んでいたようだ。内田百間が「蚊遣火」という『新方丈記』(福武文庫)に収録された文章のなかに子ども時分の思い出として書いている。

“明治三十年前後であったと思う。当時の蚊遣りは紙袋に這入った粉であって,線香の形になり次に渦巻になったのは大分後の事である。暗くなりかけた横町や露地の隅から蚊遣粉をいぶす青い煙が流れるのを見て,子供心にえたいの知れない哀愁を感じた。”

“明治三十年”は一八九七年だから十歳前後の記憶だろう。百間が生まれ育ったのは岡山だが,太平洋戦争の敗戦まぎわに東京で焼けだされている。そのときは物資がなにもなく,当然のごとく蚊取り線香もなかったから,松の小枝を折って青松葉を焚いた。たいした効き目もなくて,

“蚊も目がいたいと思った位の事だったかも知れない。”
と書いている。

蚊遣り粉については久保田万太郎も,敗戦直後にこんな句を詠んでいる。

蚊やり粉のしめりてもえず盆の月

蚊遣り粉のつぎの段階が,百間が書いているように粉末を練り固めた細い棒状の線香になる。これはもちが悪く,三十分もすれば消えてしまったから,蚊が多いと夜中に何度も起きて継ぎ足さなければならなかったという。

その不便を解消する渦巻型が考案されたのは,百間の記憶とはずれがあるが一八九五年(明治二十八)のこと。渦巻きの全長は約七五センチメートルで,六,七時間は優にもつ。まさに卓抜なアイディアで,着想したのは創業者の賢夫人だったといわれている。

以来,蚊取り線香といえば円い渦巻型と相場は決まったようなものと思いきや,オーストラリアなどには四角く渦を巻いたモスキート・コイルもある。

これを日本の秋田県で目撃したという話が,椎名誠の編著『蚊学ノ書』(夏目書房)という本に実物の写真入りで短く紹介されている。見ると,曲がり角のあたりで火が消えてしまいそうな危うさを感じさせられ,火をつけたあと思わずじっと見入ってしまいそうである。性能については報告されていないものの,世界に冠たるメイド・イン・ジャパンよりはきっと劣るにちがいない。

科学の進歩した現在は,除虫菊の花を粉末化したうえに殺虫成分を抽出して製品化しているはずで,そのほかに煙が出ず匂いもあまり強くないスプレー式の殺虫剤を振りまいたり,電気マット式や,ただ置いておけばいい水溶性のもの,蚊の嫌いな波長の音を出して撃退する超音波式などといったぐあいに,憎っくき天敵をやっつける方式は多様化している。


人類の英知と蚊との飽くことを知らぬ戦いがくりひろげられている観があるが,そんななかで,ぼくがおもに愛用しているのは,あいかわらず蚊取り線香である。

匂いも好きだし,夜の闇に浮かぶ小さな火の色には風情もある。あの深緑の色には,内田百間ではないけれど“えたいの知れない哀愁”さえ感じる。

野外,いわゆるアウトドアでは虫避けスプレーを手足に振りかけたりモスキート・オイルを塗ったりして蚊を防ぐとともに,携帯式の金属容器に蚊取り線香をいれて腰からぶらさげていくことがある。

蚊取り線香を使うさいの容器といえば,家のなかではいまだに“蚊遣り豚”を使っている人も多いはずだ。

この蚊遣り豚は,あのヌーボーとした表情で,はたしていつの時代から日本の夏をいろどってきたものだろう。そう思って調べてみると,蚊遣り豚の出生は秘密のベールの奥深くにつつまれ,どうも判然としない。

一説によれば,東京・台東区の今戸が発祥の地だともいわれる。素焼きの今戸焼の産地として知られ,織田信長や豊臣秀吉の活躍した天正年間(一五七三〜九二)のころから瓦を焼いていたというから,蚊遣り豚も雑器のひとつとしてつくっていたのかもしれないが,定説はないらしい。

ところで,“蚊の日”という記念日があるのをご存じだろうか。八月二十日である。一八九七年(明治三十)のこの日,イギリスの学者のロナルド・ロスはマラリアがハマダラカによって媒介される事実を発見し,一九〇二年にノーベル医学・生理学賞を受賞した。その日を記念して“蚊の日”は制定された。

じつのところ,そんな記念日があろうとはまったく知らなかった。まえに紹介した『蚊学ノ書』に,この“蚊の日”についての短い記事が載っている。

この書名の“蚊学”は“ブンガク”と読むのか“カガク”と読むのかわからない。どちらにしても含蓄があり,タイトルからしてすでに奇書である・・・と感心していた。文庫に収録されたので奥付をみたら,“かがく”とルビがふってある。なんだか気抜けしてしまった。

内容に関してはいわずもがな。この本に書かれているおもしろい話を,あとひとつだけ紹介して締め括りとしよう。もっともこの話,はじめは吉田直哉という人の『思い出し半笑い』(文春文庫)という本で知った。

中華料理に“蚊の目玉スープ”なるものがあるという。ぼくは飲んだことはもちろん,お目にかかったこともない。

人間の天敵の蚊にもまた天敵が存在する。トンボ,蛙,蜘蛛,燕,コウモリなどがそうだ。“蚊食い鳥”の異名をもつのは鳥類の燕ではなく哺乳類のコウモリである。コウモリは夏の夜をひらひら飛びまわりながら蚊をしこたま飲みこむ。

ところが,蚊の目玉というのは消化されずに糞にまじって排出される。このコウモリの糞を集めては洗い,集めては洗って蚊の目玉だけを選り分ける。そして,スープに浮かべて飲む。これが蚊の目玉スープ。

本当だとしたら,さすがは四千年の伝統を誇る国の食文化と感じいるしかない。ただ,こんなスープをまえにしても,やはり腕組みをしたまま感じいっているしか術はなさそうだ。(杜父魚文庫より)
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