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刎頚の友じゃない 渡部亮次郎
刎頚(ふんけい)の友。刎頚の交わりとは「その友人のためなら、仮令、首を斬られても後悔しないほどの真実の交友。生死を共にする親しい交際」と説明するのは広辞苑(岩波書店)。

ロッキード事件のとき登場した国際興業の小佐野賢治が元首相田中角栄の刎頚の友と呼ばれたことから人口に膾炙した。とは言っても時の流れは早く、ロッキード事件を知らない人も多くなった。

<ロッキード事件とは、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件。

「総理の犯罪」の異名を持つこの事件は、国内航空大手の全日空の新型旅客機導入選定に絡み、自由民主党衆議院議員で前内閣総理大臣、「今太閤」、「コンピューター付ブルドーザー」と評された田中角栄。

彼が同年7月27日に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで東京地検に逮捕されたという前代未聞の事件である。

田中の他にも佐藤孝行運輸政務次官(逮捕当時)や橋本登美三郎元運輸大臣が逮捕され、戦後の疑獄事件を代表する大事件となった。

ロッキード社のアーチボルド・コーチャン副会長とクラッター元東京駐在事務所代表が、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた右翼の大物、児玉誉士夫に「コンサルタント料」として21億円あまりを流し、

さらに児玉から、児玉の友人で国際興業社主で「政商」と呼ばれる小佐野賢治や、ロッキードの日本における販売代理店である総合商社の丸紅などを通じ、当時の内閣総理大臣である田中に対し5億円が密かに渡されたことを証言した。>

田中と小佐野はともに極貧の身から地位と財産を築いた共通点を持つことから、「2人は刎頚の友」と政界では言われた。どうも田中が自民党総裁をライバル福田赳夫と争った「角福戦争」(1971−72年)の際、田中の選挙資金を小佐野が出したという噂が立ったあたりからだったように思う。

しかし、後年、直接田中に確かめたところ「小佐野は刎頚の友ではない」と断乎として否定し「刎頚の友とは、同じ6畳間で共に女を抱ける友のことだ。小佐野とはそんなことをしたことが無い。小佐野は俺に選挙資金なんか提供していない」と断言した。

<小佐野賢治は1917年(大正6年)、山梨県東山梨郡山村(現甲州市勝沼町山地区)の小作人であった小佐野伊作・ひらの夫妻の長男として生まれる。生家は貧しく幼いころは自宅さえもなく村の寺の軒先を借りる生活だったといわれる。>

この引用もウィキペディアの「小佐野賢治」からだが、ここでも「小佐野は田中角栄から刎頚の友と呼ばれた」と書いている。知らない人は信用するからウィキペディアは悩ましい。

<1940年(昭和15年)に再上京、翌年1941(昭和16)年、東京芝区(現東京都港区)で自動車部品業「第一商会」を設立。持前の商才で軍需省に食込み、1943年(昭和18年)には軍需省の民間無給委託(高等官2等で佐官待遇)となる。

1945年(昭和20年)からホテル業務を開始し、熱海ホテル、山中湖ホテル、強羅ホテルと次々に買収した。この強羅ホテル買収交渉を機会に元のオーナーで売主であった五島慶太と知り合う。

その縁で1946年(昭和21年)、東都乗合自動車を東京急行電鉄から譲り受けてバス事業に進出。翌1947年(昭和22年)、社名を国際興業とする。この年旧伯爵家の令嬢堀田英子(旧下総佐倉藩堀田家出身)と結婚した。子はない。

1948年(昭和23年)、ガソリンの不正使用の疑いでGHQにより逮捕される。同年9月重労働1年、罰金74,250円の判決を受け服役。1949年(昭和24年)3月に仮釈放。

刑期を終えた後も精力的に事業を拡大。1950年(昭和25年)田中角栄が社長を務める長岡鉄道(現越後交通)のバス部門拡充に協力したのをきっかけに親交を深めた。

1976年(昭和51年)ロッキード事件に絡み衆議院予算委員会に第1回証人として全日空社長の若狭得治、丸紅の伊藤博とともに出頭。

その際の証言が議院証言法違反にとわれ1977年(昭和52年)に起訴され、1981年(昭和56年)に懲役1年の実刑判決(判決言い渡し翌日には控訴)。その後被告死亡により控訴棄却。

係争中の1985年(昭和60年)に帝国ホテル会長職に就任。

1986年(昭和61年)10月27日、入院先の虎の門病院で死去。享年69。すい臓ガンの手術を受けていたが、直接の死因はストレス性潰瘍だったという。

小佐野死して18年後の2004年、

国際興業はUFJホールディングスのUFJ銀行をはじめとする金融機関からの単体での有利子負債が3300億円に上り、経営不振に陥っているという情報が、大手新聞社を中心に一斉に流れた。

同年11月30日米国投資ファンドサーベラスに買収され傘下に収まる。2005年には資本金14億5050万円を大幅増強1030億1800万円としてサーベラス主導の再建がはじまっているが先行きは未知数である。

2007年4月現在の資本金は1億円になっている。近年ではJR東日本のびゅうプランに国際興業グループの花巻温泉をつけたプランを共同で行っている。>

<田中元首相に対する公判は1977年1月27日に東京地方裁判所で開始、1983年10月12日に田中角栄元総理に懲役4年の有罪判決が下る(5日後に保釈金2億円を払い保釈)。

田中は控訴したが1987年7月29日に控訴棄却、上告審の最中の1993年12月16日、田中の死により公訴棄却となった。小佐野の死から7年経っていた。1995年2月22日、秘書の榎本敏夫と檜山広は最高裁判所で有罪判決を受けた。

その後、他の被告も次々と病死し、2007年現在生存する元被告は榎本、佐藤孝行、太刀川恒夫(児玉誉士夫の弟子)の3人のみとなった。>

田中、小佐野の2人とも死んで以来、刎頚の友という言葉を耳にする事はなくなった。熱い友情そのものが世の中から希薄になったからだろう。寂しいことだ。< >内はいずれもフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用。文中敬称略。2007・05・20
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