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江戸時代の生活彷彿 一ノ瀬綾

最近は江戸ブームだという。そのせいではあるまいが、私の住む江東区にも「深川江戸資料館」が誕生した。オープンしたのは一九八六年の十一月だが、予想以上の人気らしい。テレビで紹介されたそうだが私は見なかった。江戸ブームというのが、懐古趣味めいていて抵抗があり、ブームに乗せられたくない思いから無関心でいた。

ところが先日、あるきっかけから入館する機会があり、一度で資料館の虜になってしまった。自宅から歩いても行ける近さから、数日後にはまた出かけてゆっくり見直してきた。江戸ブームはともかく、「深川江戸資料館」になぜ人が惹かれるのか、それを考えるだけでも面白い。

この資料館のユニークさは、「情景再現・生活再現展示」という新しい展示技術を駆使した点にあるようだ。入館者は一歩踏み込んだ途端、百五十年前の江戸の下町に放り出された気分になる。地下一階から地上二階、三層にわたる高い吹き抜けの大空間に再現された町は、深川佐賀町下之橋の橋際を、沽券図によって構成復元したものという。

時代は天保の終わりごろで、建物は、建てられてから三十五年ぐらいの古びたもの。大川の水を引いた掘割には猪牙船が浮かび、堀端には船宿、脇の広場には火の見櫓がそびえ、足下の広場には水茶屋がある。

大通りには白壁の土蔵やお店、米屋や八百屋が軒を接し、小路を入ればドブ板をはさんで割り長屋が並んでいる。どの家にも当時の家具調度が配されていて、見学者は手に取るように眺められるのが人気の所以とか。

「ああ、この桶、流し、へっつい・・・懐かしいねえ・・・付け木や火吹き竹もあるよ」

溜息をつくのは五十代以上の年配者たちである。子供や若者にとっては、映画やテレビの世界だろうが、みんな熱心に覗きこんでいる。タイプ別の長屋には、それぞれ職人や船頭、三味線の師匠などが住んでいて、部屋に佇んでいると、彼らの話し声が聞こえるようだ。すすけた壁や釘に吊した半てん、竹行李や枕びょうぶ。土間の水ガメ、七輪に火消しツボ・・・。大方の家具や勝手道具には、見なれた懐かしさがわく。

じっと見ていると、百五十年前ではなく、私の育った戦前の農家の生活が彷彿としてきて、胸が熱くなる。昭和十年代の山村は、まだ江戸時代の続きだったのかと改めて考えさせられた。思えば私たち日本人は、戦後の四十余年間、そこからの脱出を目指して、必死で働いてきたわけである。そして現在の物があふれ返る飽食の時代を招き寄せた。

悔いのないはずなのに、現代の日常は先が見えなくて、不安で虚しい。人間の心は荒れ、拝金主義が社会を蝕んでいく。この資料館に佇んでいると、不思議な人肌の温もりと安らぎが戻って来るのはなぜだろう。

二度目に行って気がついた。ここにはプラスチックに代表される合成物質が無いのだった。当然のことに人間が管理するコンピューターも無い。建物や道具はみんな自然の産物である。鉄材や木、竹や動植物の皮や繊維は、寿命がくれば壊れて朽ちる。燃えても毒ガスの出る心配はない。

生きものの営みと同じに、消滅と再生をくり返すところに、人間は救いと安らぎを覚えるのではないだろうか。ある生物学者の説によれば、現在のバイオテクノロジーの粋を集めても、大腸菌一匹作れないのだと言う。生命の生かされる自然の仕組みは不思議に満ちている。

大地にものを育てる農業は、自然の意志に根差しているから尊いのである。科学技術を過信して、ビルの中で米や野菜を作るようにでもなったら、自然体系は狂い出すだろう。

日常生活の息苦しさに追い立てられた人々が、資料館の江戸時代に安らぎを覚えるとしたら皮肉である。都市生活者も農村の人も、今こそ胆に据えて自然と生命の根源に目を向ける時ではないだろうか。(杜父魚文庫より)
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