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鎮魂の賦 バロンの死 古沢襄
これからの東北は新緑が見事。一年で一番良い季節を迎える。心が躍る東北旅行といいたいところだが、数日前から愛犬のバロンが腎臓障害をおこして、人間なら人工透析をしなくては助からない症状で寝込んでいる。母犬のチロも同じ病気で急死し、二年近くになる。やはり血統書付の純血種(コーギー犬)は、生まれつき弱い体質なのではなかろうか。二〇〇六年五月のことである。

チロの命日は八月十七日。十二歳で死んでいるが、バロンも十二歳になった。犬の寿命は十五歳(人間の百歳)までのびているから、チロの死は早過ぎた。チロがバロンを産んだ日のことは今でも鮮明に覚えている。自宅の八畳間で私が産婆役となり、この仔が生まれたのは明け方。

だからバロンは私のことを父親だと思って懐いている。男の子がない私にとって、息子代わりとなった。それだけに後ろ髪をひかれる思いで旅にでる。何とか助けてやりたいと思っている。つらい旅立ちとなった。

獣医は毎日、点滴をする必要があると診断した。入院には猛烈な拒絶反応を示すバロンなので、留守中は往診を頼むことにした。チロは入院した翌日に死んでいる。助からないのなら自宅で死なせてやりたかったと、今でも悔やんでいる。バロンが助からないなら、生まれた八畳間で最期を看取りたい。

生きている者はいずれは死を迎えねばならない。だが愛する者を失うと心に傷が残ってしまう。人間というのは、その心の傷をいくつも背負いながら、長い道のりを歩いて、いずれは自分も終末を迎える宿命にある。

愛犬バロンの病院通いが始まって三週間になる。最初はもう持たないな、と思うことが屡々だったが、犬の生命力には驚かされる。必死で生きようと頑張っている姿にほろりとさせられる。

16キロあった体重が13キロになり、腰が立たなくなった。それを抱いて病院通いしたのだが、一週間後に自分で立つようになった。一日に打つ注射は太い皮下注射が三本。それに血管に注射するのが一、二本。

獣医は「注射は一時的なもので、食欲が回復しないと・・・」とバロンの回復には自信がない様子だった。血管注射の手つきも心もとない。いまさら獣医を変えても仕方がないので、祈るような気持ちでバロンを抱くだけであった。

十日もたった頃だろうか、バロンを抱いて野原に連れていった。草が微風に揺れている。おろして立たせたら、危うい腰つきで歩いた。これがきっかけになったのだろうか、食欲が出て、水もよく飲むようになった。

腎臓障害というのは、体内に溜まる毒素を排泄する機能が弱まり、尿毒症を起こして死に至るのだという。私も慢性的な腎盂炎をかかえているが、水は普通人の倍は飲むようにいわれている。夏冬をとわず麦湯の冷やしたものを、よく飲むのだが、利尿効果があるそうだ。

食欲がでたので体重も下げどまり、13・4キロにまで回復した。以前のように片足をあげて排尿することは、まだできないが、メス犬のように腰をかがめて大量におしっこをしてくれるようになった。

今は医療用のドッグフードに粒状の黒いカーボンを混ぜて与えている。腸内に溜まった毒素をカーボンが吸収して排便するのだという。イワシの頭も信心からで、バロンが助かるなら何でもするつもりでいる。母犬のチロには十分な手当をしてやれなかった想いが残っているからだ。

その効果があったのか、まだ即断できないのだが、今日から通院も一日置きにすることになった。腎臓病には決め手がない。結局は食餌療法になるのだが、私は三十五歳で発症して以来、すでに四十年近く生きている。バロンも食餌療法にまで漕ぎつければ、大成功だと思っている。

・・・愛犬バロンが死んだ。悪性の腎臓病に冒されて、一時はダメだと思った時期があったのだが、奇跡的な快復をみせていた。それが二、三日前から極度の貧血状態となり、病院で応急手当を受けていたのだが、涼しい玄関から居間にくる途中で、私の膝に寄りかかる様にして、ヨロヨロと倒れ、呼吸停止となってしまった。

呆気ない死に方で、にわかに信じることができない。医者と電話で/搬里話箸いが呼吸が止まっている瞳孔が開いた状態舌をダラリとだしている・・・ことから死亡と確認した。とはいうものの、やはり諦めるわけにはいかない。タオルに包んだバロンを女房が抱いて、病院に駆けつけた。

「お気の毒です」と医者から言われて、初めてバロンの死を認める気持ちになれた。突然のことなので、まだバロンの死が実感できない複雑な心情のまま今夜を迎える。八畳間に遺体を安置し、今夜は遅くまで起きていてやろう。電気も目一杯明るくして、道に迷わないようにしてやらねばなるまい。多分、母親のチロが途中まで迎えにきているのかもしれない。

バロンを可愛がっていた次女からメールが届いた。

「先月のパパの出張中にバロンが死んでしまってもおかしくなかったと思います。あれから約一ヶ月、パパもママも今日は家にいる日で、バロンはきっと安心して眠りについたと思います。チロは病院で死んでしまったことを思うと、バロンは幸せですね。この一ヶ月間ほぼ毎日の病院通い、おしっこも毎回抱えて連れていってくれて、バロンは本当にありがとうと思っていたと思います」

あらためて涙に誘われる。明日の午後にチロと同じお寺で荼毘にふす。次女は午前中にきて、バロンとの最後のお別れをすると言ってきた。お棺の中のバロンは、まだ生きている様だ。

二〇〇六年六月十一日。この日は忘れまい。長女と孫、次女に私たち夫婦でバロンの火葬をしてきた。雨が降る中での野辺の送り。家に戻って、居間にチロとバロンの骨壺を二つ置いて、お線香を絶やさないようにしている。考えてみるとこの十四年間はチロとバロンといつも一緒だった。

私たち老夫婦はまだ当分は生き続けねばならぬ。だがチロとバロンが抜けた穴は大きくて、充実した十四年間の後は、どう生きたら良いのか戸惑いすら感じてしまう。

私たち夫婦がチロとバロンを養っていたのではなくて、実は、チロとバロンに癒されてきた十四年間だったとあらためて思った。あれから一年の歳月が間もなく経つ。

・・・後記になる。バロンに死に打ちひしがれていた私が、バロン二世を迎えることにした。七十五歳になった私たち夫婦がバロン二世の面倒をいつまで見ることができるか自信がない。それは九十歳近くまで生きることなのだから、かなり躊躇した。

だが、チロとバロンと生活をともにしてきた私たち夫婦にとって愛犬が欠けた人生なんて考えられない。すでに一年二ヶ月、バロン二世はわがもの顔に、わが家で我が儘放題で振る舞っている。愛犬に支えられた老夫婦の生活が続いている。
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