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散骨 安田紀夫
東京の新名所、お台場にセーヌ川から運ばれた自由の女神がトーチをかざしている。「日本におけるフランス年」である。私家版日仏交流の挿話をひとつ。猫の話である。フランスで猫を飼うことになったのは息子のせいだった。私は昭和50年からあしかけ5年、パリに特派員として駐在した。

赴任当初、幼かった息子は小学6年になると、エラク理屈っぽくなって母親を悩ませた。「猫でも飼おうよ」と妻が言う。ペットには理屈は通じない。面倒をみるより仕方がないのだ。セーヌ河畔のペットショップへ出掛け、目が会うとオリの向こうから元気よく近づいてきた猫をピックアップした。それがミーである。

フランス生まれのトラ猫(めす)で150フラン(約9千円)だった。猫はすぐに家族の中心になった。息子は学校から帰ると「ミーは?」と安否を気遣い、いっとき遊び相手になってやると黙って机に向かうようになった。

バカンスにはすべて連れて行った。車は必ずしも好きではなかったが、乗ってしまえば大人しくしていた。イタリー、オーストリア、ベルギーなどなど。ペットのパスポートがあればスタンプが色とりどりに押されたはずである。

ひとの話をよく理解し、争いがきらいだった。妻と私が口論になったりすると、ミャーミャー泣いて割って入ってきた。スピードを出しすぎると、後部座席から声をあげてけん制した。53年、私にしては珍しく寝込んでしまった。インフルエンザに罹った。猫は大変心配したのか枕元から離れなかった。熱にうなされうとうと眠り、目を覚ますと枕元にじっとうずくまっている。尋常ならざるけはいがわかっているようだった。

帰国して日本の風土にも慣れ、寿命を縮める寒さ、飢え、出産とも無縁で長生きしたが、16歳あたりから弱ってきた。最後は乳頭部の悪性腫瘍だった。摘出手術の効果も一時的に過ぎなかった。お気に入りの階下の和室に新聞紙をたくさん敷き、食事もトイレもベッドわきに並べて衰弱防止に努めた。

平成8年正月、すこし元気を回復し、すっかり毛並みが荒れ背骨の浮き上がった痩せたからだをサンルームに運んで日向ぼっこをしていた。「夏までの命かな?」と私は見通したが、それは欲目もあったようだ。2月初め、2階の寝室にいた私のところへよたよたとあがってきた。ベッドに手をかけて上ろうとする。抱き上げて蒲団の中にいれてやると、じっとしていた。ゴロゴロ喉を鳴らすわけでもない。それがどうやらお別れらしかった。

翌々日朝5時ごろ、もう1匹飼っているシャム猫が異様な大声で喚く。起き出して何気なくこたつの中をのぞいてみると、ミーがけいれんを起こしていた。慌てて秘伝の酵素入り水を口に含ませたが、命絶えた。まもなく満19歳になるところだった。遺体は火葬にして霊園に安置した。

それから1年何ヶ月かたった平成9年暮れ、フランスへ行こうという話が大学時代の仲間と具体化した。寮生活をともにした間柄で、お互い60歳を過ぎている。退職した教師、出版社の顧問など計5人の旅となった。パリを離れてほぼ18年。再訪の機会がなかった。個人的にも気持ちが仕事に傾斜していて、その気にならなかったのである。

妻は「ミーを帰してやって」と言う。パリで出会った猫を生まれた土地に戻してやって、というのである。分骨した遺骨を持ってツアーの客となった。求めたペットショップに近いポン・ヌフ(新橋)からセーヌ川に遺骨をまいてやることにした。

旅半ばの大晦日午後、雨続きで濁ったセーヌ川の川面に遺骨を散布、菊の花束を投げ入れた。骨は旅の間、タッパーウエアの容器の中で揺られ続けてこなごなになっていた。容器を逆さにしてポン・ヌフの欄間からまいた瞬間、突風が吹き上げ灰が目に飛び込んできた。一瞬、猫が川に投込まれるのを嫌がって反乱を起こしたのかなどとばかげたことを本気で考え、灰の入った両目をぬぐった。薄日を浴びたパリの街並みが涙でかすんだ。(註)山陰中央新報コラム「羅針盤」=98年11月29日付け=
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