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わが青春のエスペラント 岡田光正
それは一枚の古ぼけた写真から始まった。98年春、一橋大学卒業から半世紀近くも住み慣れた北海道を後に、ツイの住処と決めた東京へ戻った時のことである。旧友の吉原君から渡されたものは、今は亡き政治学担任の川原次吉郎講師(中央大学教授)と一橋大学経済研究所の野々村一雄助教授のお二人を囲んだ学生十二人の記念写真である。

裏には「昭和26年6月21日 一橋エスペラント会発会式」と記入してあったが、正直いって私の脳裏から完全に忘れ去られていた。しかしセピア色に眠っていた画像を見透かしているうちに、次第に四十七年前の記憶が鮮明によみがえってきた。

その年、小平分校の前期二年を終えて国立本校に移り、後期二年の授業が開始された。ようやくキャンパス生活にも慣れて、それぞれに趣味のサークル活動や人生の目標を求める社会運動へ視野が広がりつつあるころだった。

当時の日本は、敗戦直後の虚脱状態から立ち直りつつあったとはいうものの、東西冷戦の激化から前年6月に朝鮮半島が火を噴き、国連軍と中朝両軍が南北にローラーをかけたような攻防戦を展開中という極度に緊張した国際情勢の中にあった。

この戦争は28年7月に休戦協定が成立、38度線をはさむ南北の膠着状態が今日まで続いているわけだが、われわれが新制一橋で学んだ後期二年はいつ戦火に巻き込まれるかもしれない不安と激動の時代だった。

後期の昭和26年から28年にかけては、国内情勢に大きなインパクトを与えた出来事が集中的に起きている。占領行政の最高指導者だったマッカーサー元帥の解任、全面講和か単独講和か国論分裂さなかの国際社会への復帰、日米安保体制に基づく自衛力のあり方をめぐる政治対立の深刻化などである。

われわれの仲間もスポーツや文化活動に熱中するものがいる一方、時代を敏感に受け取り政治運動に身を投じるものがいた。アルバイトに明け暮れていた私が、どっちつかずの孤独感みたいなものに責められていた時、ふと心をとらえたのがエスペラントだった。

当時は占領軍の言葉が英語ということもあって、英語を使えなくては人にあらずという風潮にいささか抵抗感があった。そこで第二外国語に力を入れようとドイツ語を選んだが、格変化のあまりの複雑さに音を上げてしまった。今度はフランス語に乗り換えてみたものの、なかなか身につかず悩んでいた。

そんな折に人類の共通語を目指すエスペラントの話を耳にした。東京・御茶ノ水駅南側のアテネ・フランセに通っていたので、北側近くの本郷にあった日本エスペラント学会の事務所を訪ねた。

看板がなければ見過ごしてしまう小さな二階建ての木造住宅だったが、応対に出た中老の事務局長らしい人の熱心な説明に、毎週一回の講習会に出席することにした。

エスペラントを学んでみてまず驚いたことは、使い方の合理性、やさしさ、発音の美しさである。これまで英語、ドイツ語、フランス語と遍歴して自分の語学能力に劣等感を感じさせられていたが、エスペラントなら1週間足らずで自己紹介、簡単な日常会話くらいはこなせるようになる。

Mi estas studento. 「私は学生です」というエスペラント文だが、miとstude ntoはすぐ英語から意味がとれるし、estasもスペイン語のestarかフランス語のet reから類推できるだろう。

このようにエスペラントの語幹は世界で普及している欧米各国語から採集されているので、自然語に近くなじみやすい。また語尾にo,i,a,eをつけることで、それぞれ名詞、代名詞、形容詞、副詞となり、動詞はas,is,osで現在、過去、未来の各時制を表すという超合理的で簡潔な文法であることが特徴である。

エスペラントという言葉の由来は、「希望」を意味する語幹のesperはフランス語のespoirからとり、語尾のantoは動詞の現在進行形を名詞化したものである。従って本来の意味は「希望を抱き続ける人」だが、創始者ザメンホフのペンネームだったことから言葉の名前になった。

曲がりなりにも新しい言葉を使えるようになった私は、事務局から一橋に日本のエスペラント運動の大先達がいると聞いて耳を疑った。その人は中央大学から政治学講師として一橋に来ておられた川原先生で、まだ大学生だった大正9年(1920)の運動草々時代から参加され、お会いした時は日本エスペラント学会常務理事という要職を勤められていた。


このような人がいるなら一橋にエスペラント研究会を作らなければモッタイナイと思い、組織づくりを開始した。川原先生も大変喜ばれて、一橋にも生え抜きの教員エスぺランチストがいるからと、新たに経済研究所助教授の野々村先生をご紹介して下さった。

こうして川原、野々村両先生を顧問にした「一橋エスペラント会」なる課外活動のサークル誕生にこぎつけた。それが冒頭に紹介した記念写真である。メンバーは私のアルバイト仲間など各学部に広く呼びかけ、紅一点の人は学外の津田塾大学から招いた。

実用性からいっても英語の役割が増大する時代にあって、エスペラントに同好の士を十二人も集められたのは幸いだったと思う。それはエスペラントが持つ簡潔、合理的な言葉の魅力にある。併せて、人間同士が言葉のハンデなしに平等の立場でコミュニケーションすれば、無用の対立、誤解、差別を乗り越えて平和を実現できるという希望、理念が共感されたからではなかろうか。

一橋エスペラント会はわれわれの時代で線香花火のように消えた。かくいう私も記念写真を見せられるまでエスペラントは忘却の彼方にあった。

しかし、古希を迎えて私はもう一度エスペラント(希望)を再点火させたいと思っている。現在連絡が取れる記念写真の仲間たちもみなエスペラントを懐かしがり、En la mondon venis nova sento (世界に新しい気がやってきた)の会歌を合唱したいといっている。(杜父魚文庫より)
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