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アメリカを、よく知っている? 古沢襄
日本人は中国とは長い歴史の中で向き合ってきたから、中国に対する理解度はある程度は備わっている。しかし、アメリカと真っ正面から向き合ったのは、戦後六〇年間程度でしかない。本当にアメリカを理解しているのだろうか。

犬養道子さんが一九七八年に「アメリカン・アメリカ」という本を文藝春秋社から出している。犬養さんは五・一五事件で暗殺された犬養元首相のお孫さん。津田英学塾からボストンのレジス・カレジに留学、以後、アメリカやヨーロッパの各国に滞在して、評論活動を続けてきた。パリ大学の留学経験もある。(三〇年前の「アメリカン・アメリカ」)



この本で犬養さんは<「アメリカ人を、アメリカを、よく知っている」と思いこんでいる日本と日本人は、ここ最近、アメリカの政治的(たとえばウオターゲイト)社会的(ヴェトナム終戦前後の、または反戦運動・黒人運動渦中の)現象に眼をうばわれすぎて、アメリカの持つ究極的オプティミズム(楽天主義)の力と、人間才能への信と人間肯定とを忘れすぎたようである>と警句を発した。「新と旧」という文章の一節である。

日本人は白黒をつけたがる国民性がある。戦争で敗北したせいか、何事も悲観的にみる習性が身についている。その物差しでアメリカをみると、ベトナム戦争で挫折したアメリカは、ローマ帝国と同じ衰亡過程に入ったかにみえる。嫌米ジャーナリズムには、その傾向が顕著といえよう。

この日本的感覚とアメリカ的感覚の違いを犬養さんは次のように分析してみせる。<日本人になろうとして、よその土地から昨日、日本にやって来たのではない私たち、今までついぞ一度も、意識して日本人になろうとつとめたことはない>

<あとからあとから海を越えて「アメリカ人となるべく」やってきた黄色や褐色や白色の、文化背景も人種も民族系統もてんでばらばらの人たちは、意識して昨日までとはちがう人間になろうとした。だいじな点は、明らかな意識を以て、ひとりひとりがつとめたという点である>という。

アメリカとフランスの留学経験がある犬養さんは、フランス人のアメリカ観について次のようなことを述べている。犬養さんの友人であるフランス女性は、有名なエコル・ノルマルを一番で出て、フローベル研究者として著名になったが、アメリカの大学から一学年間、フローベルの講義をして貰いたいとの招待を受けた。

犬養さんは「ぜひ受けろ。あなた自身のプラスになる」と助言したが、彼女はてんで耳にもかさず「アメリカのようなていどの低い国の学生」にフローベルなどわかりっこないと招待を蹴ってしまった。

ところが翌年、たまたま研究のための出費がかさんで少々金に困っているところに、再度、アメリカの招待が舞いこんだ。「金のために行くので、アメリカを買っているから行くのではない」と犬養さんに念を押して彼女は渡米した。

渡米した彼女の第一便はアメリカの大学の水準と図書館の充実に驚いている様子が窺われた。手紙は回を追って、アメリカへの尊敬がこめられていき、一学年たって帰国した彼女は「もう一度、こんどは数年間ゆっくり、東部の水準の高い大学、たとえばプリストンに行く」と準備を始めたという。フランスの対アメリカ「食わずぎらい」を象徴する話ではないか。

古きヨーロッパの伝統という重い衣服を着けて身動き自由でないヨーロッパと、犬養さんがこよなく愛するアメリカは、この地に根をおろして体験した者にしか分からない。だから<あるイデオロギーの偏向によって、日本のジャーナリズムの90%は「アメリカを叩くこと」を以て「よし」としている。叩く方は、叩くことによって「アメリカ路線」から日本人をひきはなすを以て目的にとしている>・・・。

<かんたんにアメリカを叩けるのは、うつろい変わる表面の下にかくされた「アメリカ」を知らないからだ。かんたんに親米派や反米派になれるのも知らないからだ>と犬養さんは言っている。

一九四八年、まだ占領下にあった時代に津田英学塾を出た犬養さんは、GHQの判が押されたパスポートを持って、アメリカに単身で留学するが、途中で胸部疾患に冒されて、カリフォルニアの結核病院で闘病生活を送った。

そこでいささか粗野でナイーブなアメリカ人たちに助けられて社会復帰を果たしている。一九六四年からは名門ハーヴァード大学の教授待遇・研究員として迎えられている。久しぶりに犬養さんの本を読み返して、私も一九八六年のことを想い出した。

ニューヨークからワシントンに着いた翌日のことである。市内の小さなレストランでUP通信社の編集局長氏とワインを飲みながら懇談した。初老の編集局長氏との会話で今もって忘れられない言葉がある。

ニューヨークの摩天楼をみた私は、日本はこんな国となぜ戦争をしたのか、と正直にいった。編集局長氏はしばらく沈黙したが「ニューヨークやワシントンは本当のアメリカではない。今度、来る機会があったら中西部の街に行ってみることだ。アメリカは大きな田舎なのだ。そこに本当のアメリカ精神がある」。

日本人はニューヨークやワシントンを見てアメリカだと思ってしまう。せいぜいサンフランシコかロスアンゼルスをみるぐらいであろう。せめて南北戦争の舞台にもなり、国歌や星条旗が生まれたボルチモアだけは見ておいた方がいいと言われた。

怠け者の私は、まだボルチモアを訪れていないが、「アメリカン・アメリカ」を読んで、アメリカを軽々しく論じるのは、やめようと思っている。
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