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裏面史・沖縄返還交渉(2) 古沢襄
佐藤栄作元首相が沖縄の施政権返還を政権の中心課題にしたのは、何時の時期か、については諸説がある。具体的には池田内閣時代の1964年7月の自民党総裁選挙で立候補した佐藤が記者会見で「自分が政権を担当したら、アメリカに対し、沖縄を日本に返還してくれるよう正式に要求する」と初めて発言した。

だが、当時のマスコミからは、この沖縄返還の佐藤発言は無視されている。佐藤の思いつき発言と取られた。将来は沖縄返還が日米間の外交課題になるという認識は、マスコミも持ってはいたが、それは遠い将来のことである。唐突な佐藤発言について外務省も冷淡であった。

これに先立つ一月十五日に「佐藤オペレーション」と称する秘密チームが愛知揆一議員(自民党憲法調査会長)をキャップにして四人の新聞記者が参加して東京・グランドホテルで初会合をもった。

新聞記者は楠田実氏(産経新聞→佐藤首相の首席秘書官)、笹川武男氏(産経新聞)、麓邦明氏(共同通信→田中角栄秘書)、千田恒氏(産経新聞)で、佐藤政権の政策造りのチーム。学界、官界、財界からも折りにふれてメンバーとして参加して貰い、総裁選の二週間前に「明日へのたたかい」と題する二万語の政策綱領をまとめた。

この論議の過程で笹川武男氏は「これまでの日米首脳会談の中で、沖縄問題が話し合われたが、日本政府が米国政府に対して、正式に要求したことはないのでないか。佐藤さんは、自分が政権を担当したら、米政府に対し沖縄返還を正式に要求する、と言うべきではないか」と注目すべき発言を行っている。

外交問題を政争の具にはしたくないという佐藤の意向もあって、政策綱領から外されているが、それを記者会見で表明する手法をとった。1964年11月9日に佐藤が政権を担当すると沖縄問題に本格的に取り組んだ背景は、池田三選に挑戦した時に萌芽があったとみるべきであろう。

この「佐藤オペレーション」は佐藤内閣の誕生で役割を終えたが、首席秘書官となった楠田実氏の周辺にあってブレーン的な役割を持ち続けている。麓邦明氏は田中角栄氏の政策ブレーンとなり、「都市政策大綱」や「日本列島改造論」の提言者となった。

佐藤の対米交渉は決して平坦な道ではなかった。池田が試みた日本政府による経済・財政支援額の増加という”外濠攻め”とて米側の猛烈な抵抗に遭っている。まして施政権の返還という”本丸攻め”なのだから、池田が受けた抵抗の比ではなかった。米側には沖縄上陸作戦で、米兵一万二千の血で占領した沖縄という論理がある。さらには米極東戦略の要となる核基地の島と化していた。

日本側には六万の将兵と県民十六万が犠牲となった悲劇の島を一日も早く復帰させたいという悲願がある。1951年のサンフランシスコ平和条約でも第三条で日本の沖縄に対する潜在主権が明記されている。岸アイク首脳会談の共同声明でも日本の潜在主権が再確認された。

佐藤は1965年1月に訪米しジョンソン大統領に対して沖縄の早期返還を求めた。この時の共同声明は二つの意味で注目すべき点がある。琉球及び小笠原群島における米国の軍事施設が極東の安全のために重要だと日米首脳が認めた。

沖縄の米基地の撤去を求めるかぎり沖縄の施政権は永久に戻らない。基地の存在を認めて早期に施政権の返還を実現する現実的なアプローチを選択している。

もう一点は米側が飲み安い小笠原諸島の返還を先行させて、それをモデルにして沖縄返還を求める二段階の手法を使った。”待ちの政治家”と評された佐藤にしては、沖縄返還ではまったく違う積極的な顔をみせている。だが、これは対米交渉の困難さを知り尽くしている外務省との乖離を招くことになった。

あえて言うなら佐藤周辺からは見えない面だが、ニクソン大統領になって返還交渉が具体化すると実兄の岸元首相がかなりの役割を果たしている。佐藤・ニクソンの関係は必ずしも良好なものではなかったが、親しい関係にあった岸・ニクソンによって、交渉が促進されている。岸・ニクソンの関係がなければ、沖縄返還は実現しても、かなり遅れたと指摘する識者もいる。

さらに言うなら官房長官から降格して保利官房長官の下で官房副長官になった木村俊夫氏の役割も大きいといえる。木村氏は沖縄シフトの官邸にあって中心となって佐藤を助けている。首相の諮問機関として発足した「沖縄問題懇談会(座長・大浜信泉元早大総長)」と、その中の「基地問題研究会(座長・久住忠男氏)」を動かして、外務省ルートとは違う佐藤直結の別ルートを動かした。

結果として外務省ルートと官邸ルートの二元外交になったそしりは免れないが、佐藤主導の沖縄返還交渉は、木村ルートに拠るところが大きかった。沖縄返還のデッサンは、このようにして姿をみせることになる。とはいえ道のりは険しく、多難であった。
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