<< 安倍内閣の命運を決める北朝鮮支援 古沢襄 | main | タンゴの源流に立つ 渡部亮次郎 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |







禁煙はサッチャーのお蔭 渡部亮次郎
毎日新聞によるとフランスは公共の場では、08年から全面禁煙にするそうだ。フランスは伝統的に喫煙に寛容で、91年の分煙法制定後もカフェやレストランでの分煙はあいまいだった。しかしアイルランド、スコットランド、北アイルランド、イタリアが相次いで公共施設を禁煙とする法律を施行したため、欧州の流れに沿うことになったもの。

<【パリ福井聡】「紫煙とカフェ」の文化で知られるフランスで1日、職場、学校、病院、店舗など公共の施設での喫煙が禁止となった。カフェ、バー、レストランなどは「喫煙大国」への配慮から11カ月の猶予期間が与えられ、全面禁煙は08年1月1日からとなる。

AP通信によると、違反者には罰金68ユーロ(約1万円)、施設の責任者には同135ユーロ(同2万円)が科せられる。「密閉された喫煙室」を設ける店舗では喫煙できるが、設置可能な店舗は全体の3%に過ぎないとみられる。

ベルトラン保健相は、「1日以降はたばこの副流煙を吸う間接喫煙がなくなる。これを機に、現在は年間70万人が禁煙しているのを倍増させたい」と訴えた。

南部マルセイユでレストランを経営するパンデリさんは「心構えは出来ており、客足も減っていない」と話す。しかし、たばこ愛好家連盟のモンレドン事務局長は「法で断罪され路上に放り出された気分だ」と反発し店主に店内を禁煙にするか喫煙を認めるかの選択権を与えるよう訴えた。>毎日新聞 2007年2月1日 18時08分> 

この記事を読んで読者の一人が異論らしきものを唱えて来た。<私の父は煙草を喫まず80歳にして肺癌で死にましたが、私は60年間煙草を吸い続けて、未だに市民健診で肺は綺麗であります>

それはそれで宜しいのではないか。私の兄は大変なスモーカーだ。75を過ぎてなおチェーン・スモーカーである。胆嚢は融解した。胃は全摘、頭も2回開けた。それでも手術の翌朝は部屋から姿をくらました。病院の玄関で煙草を吸うためである。それでも長生きに決まっていると力んでいる。

私は大学に入学した年の6月ごろ煙草を覚えた。小学校から吸っていたと言う兄に比べれば大変晩生(おくて)のスモーカーだった。高校時代には指を茶色に染めるほどの猛者たちに囲まれながら絶対吸わなかった。その代わり晩酌をやったが。

煙草の吸い始めは「ゴ−ルデン・バット」。一番安かった。それから突然「ピース」(両切り)に変わった。香りが良かったからである。成人してからは「ロング・ピース」を日に2箱(計40本)を吸った。

父は酒も煙草も嗜まなかった。父親(私にとっ手は祖父)の酔態の悪さに若い頃から辟易したからだと言い、煙草は無駄だといって、嫌った。そのせいか、末っ子で生まれた10歳違いの弟は煙草は吸わない。

昭和54(1979)年5月22日午後5時15分(現地時間)、ロンドンのダウニング街にあるイギリス首相公邸にサッチャー首相を表敬訪問する園田直外相に秘書官として同行した。

公邸では蔵相が同居する慣わしとか。初めにハウ蔵相との会談にのぞんだ。ハウ氏は大変なヘビースモーカーだった。付き合ってこちらもロングピースをくゆらした。

さて英国初の女性首相に4日に就任したばかりのサッチャーさん。きりりとした美人である。「日出ずる国の賓客はどうぞそちらへ」と大臣を窓を背にした椅子に案内した。私が煙草を吸ってよろしいでしょうか、と訪ねたところ「プリーズ」と言う答え。

安心して火をつけたが、一向に灰皿が出てこない。慌てた。ふと見るとさっきまで煙に包まれるように吸っていたハウ蔵相は吸わないで澄ましている。仕方が無いから煙草の袋から銀紙を抜き出して始末した。

1975年2月の党首選でヒースを下し、保守党党首の座に就いた女史。1976年には、ソ連とヘルシンキ合意に対する痛烈な批判を行う。これに対してソ連のラジオ局はサッチャーを「鉄の女」と呼び非難。皮肉なことにこの呼び名はサッチャー女史自身も気に入っており彼女の代名詞ともなった、という。

在任は1979年5月4日から90年11月22日まで足掛け12年の長きに及んだが、会談の直後、彼女は大変な煙草嫌いと知って大いに恥じ入った。そうだ、これを機会に禁煙しよう、娘が煙草を嫌っていることだし、20年間の友人よ、さらば。

1時間もしないうちに吸いたくなった。今まで禁煙を試みた事はなかったので、ニコチンの禁断症状をはじめてロンドンで味わった。それでもあと1時間、あと2時間と言う具合に我慢した。

翌日は吸ってしまった夢すら見た。吸いたければ吸ったらいい、また禁煙を開始したらいいんだからと、もう1人の自分の声を意識しながら、3日、4日と経っていった。1週間したら、次の1週間も我慢しよう。その都度サッチャー首相の顔を思い出した。1ヶ月で吸いたい気持は無くなった。

もし禁煙にトライする気があるなら、緊張しないことだ。煙草とライターは持ち続けたほうが良い。いつでも再喫煙してやるぞ、でも我慢できるだけ我慢しよう、みっともないからなぁぐらいにして、ゆったり構えたほうがいい。

案外、簡単に禁煙できたわけで、今では隣で吸われても気にもならなくなった。健康を考えての禁煙ではなく、いわば瓢箪から駒のような禁煙。サッチャーさんに深く感謝すべき禁煙であった。

なお最近ボケが大問題になるとともに、喫煙者に患者が少ないと言う指摘がなされ、喫煙者は気を大きくしているらしい。いま科学的な立証が急がれているようだ。

それにしても、そんなに簡単なんだから酒(焼酎)も止めたらというが、それも止めたら何のために長生きするかが分らなくなる。2007.02.09
| - | 16:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







スポンサーサイト
| - | 16:22 | - | - | pookmark |







コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://kajikablog.jugem.jp/trackback/477648
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>

SEARCH

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENT

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE