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母系から辿る北一輝研究 古沢襄
中川芳郎氏という未知の人から北一輝に関するメールを頂戴した。ポイントを突いた点があるので、返信のメールを差し上げたが、受け取り人不明で戻ってきている。杜父魚ブログを読んでいる方なので、あえて返信メールを公開することにした。これからの北一輝研究の一助となれば幸甚である。         

「私は、北一輝の生涯を小説で描こうと準備している者です。北一輝に血を引いた子孫がいたという事実に驚くとともに、ほっと安堵するような温かいものを感じておりますが、戸籍ではムツは養女という扱いになっているのでしょうか。でないと、「恵子は北一輝の孫」と言う記事が理解できません。お教えいただけますと幸甚に存じます」にお答えしまよう。

北一輝の研究は松本健一さんらの労作がありますが、未解明の部分は母リクの血統の影響です。渡辺京二氏の「北一輝」(朝日選書)の18ページに「私はここでついでに、母方の家系についても触れておこう。・・・・・」と八行触れています。

あくまで”ついで・・・”の扱いですが、松本健一氏の「若き北一輝」を引用して、リクの弟・本間一松が「当時、佐渡随一の理論家」とし、またリクのいとこには、本間一松と並ぶ佐渡政友会の闘将・高橋亀吉がいる、としながら「少年の頃、北が父よりもむしろ、本間や高橋にあこがれに似た気持をもっていたと推定できるいくつかの証拠もあるようである」で終わっています。

北一輝の研究で共通しているのは、その著述の解釈論で終わっている点です。北一輝という希有な思想家が生まれた背景から斬り込む研究が為されていません。これには理由があります。戦前の北一輝は”国賊”視されましたから、その血族は戦後も北一輝に触れられるのを忌避する傾向があります。黙して語らずのまま関係者が物故している事情が、研究者の壁になっています。

私が北一輝の研究家であれば、早い時期から聞き取りが可能な立場にあったのですが、戦後政治史の方に興味があったものですから、それをしておりません。中川さんが、その角度で北一輝の生涯を小説化すれば(困難な作業になりますが・・・)まったく新しい北一輝像が浮かびあがり、研究家にとっても貴重な新発見になるでしょう。

具体的な質問にお答えしましょう。リクの妹についてです。その子ムツが養女の扱いになっているのではないか、という推測は正解です。リクの妹は佐渡の素封家・浦本家(本間家と同族とみております)に嫁して、長男の貫一(故人・両津市の弁護士)を産んでいますが、長女は新穂(にいぼ)村の素封家・大蔵家に嫁して、その長男は大蔵敏彦(清水市の弁護士、島田えん罪事件を担当)、長女は貞子(俳優・丹波哲郎の亡妻)を産みました。

リクの妹はムツを産んで、産後の肥立ちが悪く若くして急死しております。そこでムツは新穂村の浦本家(両津市の浦本家と同姓)に養女に出され、同じ佐渡の石塚家に嫁して凱子、恵子、洋子、宏の四人を産んでいます。この四人は存命。ムツは養女ですが、地方では珍しく佐渡の高等女学校を卒業して上京しております。

半世紀前の貴重な写真ですが、ムツが凱子、恵子、洋子、宏の四人と揃って写っている一枚があります。左から恵子(次女)、宏(長男)、ムツ、洋子(三女)、凱子(長女)。



つまり北一輝とムツは従兄妹、ついでながら浦本貫一も従弟。凱子、恵子、洋子、宏と大蔵敏彦、丹波貞子(いずれも故人)は、従姉妹・従兄弟という関係です。戦前の浦本貫一は佐渡で弁護士を開業するのは、国賊の一族という負い目があったのでしょう、中国の青島で開業し、戦後になって引き揚げて両津市で弁護士を開業しています。子がなかったので養子を迎えましたが、その養子は調布市におります。(浦本貫之)

リクの妹、つまりムツの母に当たる人ですが、凱子、恵子、洋子、宏の祖母なのにもかかわらず名前を覚えておりません。祖母といいながら若くして亡くなったので、記憶に残っていないのでしょう。除籍謄本をとり寄せればよいのですが、それも面倒なので、私は放ってあります。義姉の凱子から「来年は佐渡に皆で行かない?」と言われていますので、その時にでも調べようか、と思っております。

浦本貫之氏には電話で義父の貫一から北一輝について何か聞いていないか、と三ヶ月前に質したのですが、貫一さんは北一輝について何も教えてくれなかったと言っておりました。また北一輝の弟・北叉箸砲六或佑量爾いるのですが、いずれも嫁して没交渉。ですから北一輝の母・リクの血流から北一輝の実像に迫るのは正解ですが、極めて困難な作業になるのはお分かり頂けると思います。

せめて凱子、恵子、洋子、宏から実母・ムツが従兄の北一輝と過ごした東京時代の話の聞き取りをして、杜父魚ブログに残しておくのが、私の勤めだと思っている次第でです。これもかなり困難な作業。

私は迂闊にも女房が北一輝の血族であることを知らずにおりました。それを知ったのは、下田市に住む義姉・凱子が北一輝から貰った人形を大切にしていたことがきっかけでした。昭和五年に長女・凱子が生まれた時に北一輝が従妹のムツにお祝いとして贈ったものです。

ムツや浦本貫一弁護士、大蔵敏彦弁護士、丹波貞子の各氏には、生前に親しく会っているのですが、北一輝の聞き取りをしていなかったことが、今になって悔やまれます。岸信介元首相も戦前に東京の北一輝邸に足を運んでいたのですが、その聞き取りも不十分。大切なチャンスを自ら潰していたのですから、情けないですね。
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コメント
東京都写真美術館で学芸員をしております、藤村里美と申します。大変唐突なお問い合わせですが、北一輝の眼鏡というものはご遺族のどなたか、もしくはどちらかの団体などが所有されていますでしょうか?
この夏に当館で米田知子氏の個展を計画しておりますが、彼女が今まで続けてきたシリーズに歴史的人物の眼鏡をモチーフとしたシリーズがあります。彼女が是非北一輝氏の眼鏡を撮ってみたいという希望をもっております。彼女は今までにガンジーやフロイトなども撮影してきました。近年、日本の近代化にいたるまでのさまざまな歴史に興味を持っており、その過程で北一輝の名前が出てきたようです。
本来なら本人からお問い合わせをするべきですが、欧州に在住しており代理にご連絡させていただいております。ご存じでしたらご教示ください。
| 藤村里美 | 2013/03/04 2:27 PM |
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