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四十年前の國立故宮博物院写真 古沢襄
台北に住む日本人ジャーナリストが訪ねてきた。四十年前に台湾を訪れた私が、当時の写真をみせてあげたのだが、台北市郊外の殺風景な野原に立つ國立故宮博物院の全景写真をみて驚いていた。今では高級住宅地に囲まれているという。国共内戦で敗色濃厚となった蒋介石は1949年頃、成都にあったが国民政府の要人を次々と台湾に送り込み、同年12月10日朝に中国本土を離れて台北に向かっている。

國立故宮博物院に保存されいる文化遺産は膨大なもので、イギリスの大英博物館(The British Museum)と並んで世界の四大博物館のひとつに数えられるが、日中戦争以来、美術品、書籍など文化遺産の戦災を怖れた蒋介石によって何度か疎開を繰り返した。

1933年に北京から一万三四二七箱、八四包の所蔵品が南京市に運ばれ、日本軍が南京城に迫ると四川省の巴県、峨嵋山、楽山の三箇所に再疎開している。戦後は国共内戦によって蒋介石は所蔵品から精選した文化遺産を台北に運んだ歴史がある。

私は大英博物館も國立故宮博物院も見学しているが、とても一日では見きれない。國立故宮博物院では北宋時代の芸術品の数々が強く印象に残った。ことし一月に初の女性博物院長・林曼麗女史が誕生している。

林曼麗院長は日本の東京大学で芸術教育を専攻して博士号を取得し、東京芸術大学で教鞭をとったこともある。約七十万点の所蔵品を管理し、展示するのだから気苦労がたいへんなものであろう。海外からの観光客が訪れる定番コースになっているので、女性らしい細やかさでレストランのサービスやガイド・サービスに力を入れている。

中国側にいわせると本来は北京市の紫禁城ある故宮博物院が所蔵していたものを蒋介石が勝手に持ち出したということになる。日中戦争の最中にこの文化遺産を守り抜いた蒋介石の努力には目をそらしている。それだけではない。毛沢東の文革運動で紅衛兵がこの文化遺産を破壊し焼却しなかったと誰が云えるであろうか。台北にあったことを幸いに思わねばならぬ。

文化遺産というものは、その価値を知る者によって大切に保存され、後世に伝えるのが正しい。大英博物館を見学して真っ先に思ったのは、ロゼッタストーンはじめエジプト、ギリシア・ローマ、西アジアのコレクションが一堂の下に集められているが、本来は出土した国で保存されるべきではないかという疑問であった。大英博物館は世界的な盗人博物館だとさえ思ったのだが、保存技術、その国家の安定度などを考えれば、十八世紀以来ロンドンにあったことが、展示物の長期保存に耐えたといえる。

東京の東洋文庫には共産革命以前の中国文献が多数保存されている。B29の東京爆撃に耐えて保存されてきた文献資料は、支那史研究家にとって貴重なものとなった。これも日本軍閥によって資料が持ち出されたと因縁をつけられるかもしれないが、必要ならコピーを揃えて中国側に贈ればよい。文化遺産は世界共通の財産なので、下手な国家意識が入り込む隙はないと思う。
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