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寒暖の七百年周期説 古沢襄
慶応大学の名物教授に西岡秀雄氏という人がいた。「気候七百年周期」説を唱えた歴史学者なのだが、平易な例示をしながら講義をするので、学生たちに人気があった。歴史というと年代や人名を覚えることが先に立つからどうしても敬遠される。

気候七百年周期説も難しい理論から説かれると途中で眠たくなってくる。アメリカのハンチントン・エール大学教授が気候脈動説を唱え、「気候と文明」の著書を出してから欧米では気候の歴史に及ぼす研究が盛んになった。西岡教授はこの流れを汲む学者といえる。

歴史とは人間の歩みを記録したものだが、西岡教授は人間にも歴史にも気候が大きく影響してきたという。そして一定の法則を発見した。それが気候七百年周期説となって学会で発表、ハンチントン教授からも絶賛を浴びている。

日本の歴史は縄文時代に母系制の氏族社会が成立してから三千年。貝塚や竪穴住居、縄文式土器をみると、その時代の気候が分かるという。土器の底面に葉痕があるものを”葉底土器”というそうだ。

西岡教授が学生時代に福島県の郡山市にあった円壽寺で弥生式土器の底面にトチノキの葉痕を発見した。トチノキは岩手県の盛岡市あたりではみられるが、郡山市内で発見されたので不思議に思ったそうだ。郡山市の平均温度は13度、盛岡市の平均温度は9度、4度の差がある。

そこから弥生時代の郡山市周辺はトチノキが自生する9度ぐらいまで温度が低かったのではないかという仮説を立ている。その後、西岡仮説を裏打ちする発見が続々と現れた。東大人類学教室は埼玉県の真福寺の泥炭層遺跡でトチの実を発掘、早大の直良信夫教授は「関東地方は今の東北地方と同じような気候があったらしく、クルミやトチノキなどが生えていた」と発表している。弥生時代は寒期だったのである。戦前の話だ。

本格的に西岡教授が気候と歴史の相関関係に取り組んだのは戦後のことになる。考古学資料はじめ古文献の中から興味ある資料を得たが、客観的な資料として老樹の年輪を原簿で調べたという。暖期には樹木は生長するから年輪の幅が広くなり、寒期には生長がとまるから幅が狭くなる。

そして過去三千年の歴史の中で寒暖の波が四回繰り返され、一回の周期が七百年という説を確立している。具体的な例示は「逆発想の日本史」(昭和五十三年 KK・ロングセラーズ)に譲るが、歴代天皇の寿命と気候周期が驚くべき一致をみている井上赳夫氏の説が紹介されていて興味深い。歴代天皇の寿命をグラフ化すると七百年周期と一致していた。

暖期には天皇の寿命が長く、寒期には短い。また古くは河内、大和から奈良、京都、鎌倉、江戸と時代の中心地が変遷しているが、温暖期には水面が上がり、寒冷期には水面が下がる影響があるとしている。さて現在はどうなのであろうか。西岡教授は「あと数世紀は暖かいでしょう」と結論を下しているのだが・・・。
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コメント
◆西岡先生の本が復刻出版されます。

先生が30年以上前(1979/昭和53)に出した「七百年周期説による逆発想の日本史―天候異変が教えたもう一つの真実 」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/00475499
という著書が気候温暖化をテーマにしているので
このたびPHP研究所から復刻版新書として出版されることになりました。

「寒暖700年周期説」 西岡秀雄 2008年7月22日発売 税別950円
| manabu | 2008/07/14 2:02 AM |
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