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「ママを返すからね」と吉田首相 古沢襄
吉田首相の孫が吉田太郎ではなく、なぜ麻生太郎なのかとよく聞かれる。私には昭和二年生まれの従兄の弁護士がいた。お互いに大酒飲みで週に二回は、築地の寿司屋で酒を酌み交わしたものである。酔うと弁護士は私のことを「ご本家様」という。私も「分家の昭二さん」とやり返した。

この弁護士、古沢昭二氏は麻生太郎氏の会社の顧問弁護士をしていた。それで麻生太郎氏のことは、酒を飲みながらいろいろと教えて貰った。当時は宏池会(旧池田派)のプリンスは加藤紘一氏。麻生太郎といわれてもピンとこない。

「加藤紘一はダメよ。麻生太郎だよ」と昭二氏は力説するのだが、酔っぱらいの顧問弁護士がいう戯言程度にしか思えなかった。政界のことは、私の方が知っているという自負もあった。だが話を聞いている中に自民党には面白いキャラクターの政治家がいるものだと思うようになった。

吉田首相の三女に和子さんという女性がいた。吉田が一番可愛がっていた娘で、秘書代わりに連れて歩いている。頑固者の吉田のことだから和子さんを手放すことはあるまい。吉田を怖れて婿になるものもいるまい、というのが当時の相場だったという。

土佐の吉田に献身的に尽くした人に麻生太賀吉という九州・筑豊石炭業界の雄がいた。父親が麻生太吉、太賀吉は二十四歳で家督を継いでいる。昭和十一年に海外事情の視察に行ったが、帰途、浅間丸で吉田と親しかった白洲次郎と親しくなった。吉田は駐英大使でロンドンにいた。

その白洲次郎が太賀吉に惚れ込んだ。麻生家でも親族が太賀吉の嫁選びに奔走していたが、第一候補に吉田和子の名があがっていた。偶然の一致ということであろう。吉田茂の妻・雪子さんは内府・牧野伸顕の娘。一方、吉田は竹内家の五男で生まれ、吉田家に養子入りしている。弁護士だけあって、こういう戸籍調べとなると古沢昭二氏の独壇場であった。

牧野伸顕は麻生太賀吉に会って「この人物なら和子にふさわしい青年」と吉田に手紙を書いている。昭和十三年に太賀吉と和子は晴れて結婚した。昭和十五年に麻生太郎が生まれている。安倍晋三の五十二歳の誕生日が話題となっているが、麻生太郎もこの九月二十日が誕生日、これはあまり知られていない。

麻生家と安倍家は遠い姻戚関係がある。吉田茂の娘婿のいとこが岸信介に当たる。また麻生太郎の夫人・千賀子さんは鈴木善幸首相の娘。華麗な閨閥といえよう。

話は戻るが、麻生太賀吉夫人となった和子さんだったが、昭和二十六年に単独講和の調印式に出発した全権団二十七人の中に麻生夫妻の名がある。太郎氏と次郎氏の母親でったが、父・吉田茂の秘書役という二足の草鞋を履いていた。出発の前夜、家族たちと一夜を過ごした吉田茂は小学生になっていた二人の孫に「アメリカから帰ったら、君たちのママは返してあげるからね」と言ったという。
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