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馬鈴薯キタアカリ 渡部亮次郎
日本では単に「芋」というとたいていの人がジャガイモ、サツマイモ、サトイモのいずれかを思い浮かべるほどポピュラーな食材であるため、呼び名も様々ある。

「ジャガイモ」という呼び名は、これが慶長年間、ジャカルタから日本にもたらされた当時のジャカルタが「ジャガタラ」と呼ばれていたため、「ジャガタライモ」と呼ばれたことに起因する。これが変化して現在のジャガイモという呼び名になった。 

「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられる。これは中国での呼び名と(漢字が)同じである。18世紀に日本人の小野蘭山が命名したといわれている。

一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴に似ているという事からこの名前になったという。また、「マレー(現マラヤ連邦)の芋」という意味からこの名前が付けられたという説もある。

地方名として、「きんかいも」とも呼ばれる(「きんか」とは金柑転じて禿げのこと)。また、1年に2〜3回収穫できることから「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」とも呼ばれる。「南京イモ」と呼ばれる事もある。秋田県の一部ではゴドイモという。意味不明。

荒備作物のジャガイモだが、土地は選ぶ。私の生まれ育った旧八郎潟沿岸の畑は、地下水位が高かったから、ジャガイモは水っぽかった。東京に出るまで、ジャガイモの美味しさを知らずに育った。

北海道などでは「ごしょいも」と呼ぶ人もいるがあまり使われない。江戸時代には穀物の飢饉の際にジャガイモで救われたという記録がいくつか残っている。1個の種芋で5升とれるから?

このため、「お助けイモ」と呼ばれた事がある。また、飢饉の際にジャガイモ活用を勧めた代官の名を取って、「善太夫芋」「清太夫芋」と呼んだ地方もあった。

アメリカでは「ポテト」で、サツマイモは「スイートポテト」。主産地はアイダホ州で、如何なる品種かは聞き漏らしたが、男爵よりはふっくらして美味い。マクドナルドは取り寄せてフレンチフライにしていると聞いたことがあるが、今はどうか。

知る人は少ないが、日本におけるジャガイモの主産地北海道では新品種『キタアカリ』が主流に加わりつつある。農林29号と公式には呼ばれている。

昭和50(1975)年北海道農試(現北農研センター)で、ジャガイモシストセンチュウ Ro 1 に抵抗性の食用品種の育成を目標に、「男爵薯」を母、抵抗性の「ツニカ(Tunika)」を父として交配し、昭和62年(1987北海道の優良品種に決まった。病気に強い品種を作ったのである。

北海道の羊蹄山麓、上川、十勝などで栽培され、「黄金男爵」、「ゴー
ルデンポテト」、「VIP」などの名で売っているところもある。(浅
間和夫「新・ジャガイモ博物館」より引用)。歌手の細川たかしの郷里真狩(まっかり)村は代表的にキタアカリの産地である。

カロチンやビタミンCの含有量が多い。男爵薯同様、粉吹き芋やマッシュドポテトに適している。黄色が強めである。カレーライスの具にすると殆ど崩れてしまうが、私はこれを1年中、食べている。

なお、男爵が北海道に広がるきっかけとなったのは明治41年になり、当時函館市郊外七重(現七飯町)に農場をもっていた函館ドックの川田龍吉専務(男爵)がイギリスのサットン商会から導入したため。原産地は北アメリカ。

ところで南米原産のジャガイモが日本に伝来し、発展するには長い歴史があった。

<ジャガイモ属 Solanumは約150種の野生種と8種の栽培種からなる。この野生種は南北両アメリカ大陸を通じ広く分布している。

最も多くの近縁野生種がみられ、また種内の変異が多様な地域はペルー南部からボリビア北部にかけての中央アンデス中南部高地、とくにチチカカ湖周辺部である。

これらの点からジャガイモ属が最初に栽培化されたのは500年ごろの中央アンデス中南部高地とみなされ、ジャガイモもこの地域で起源したものであろう。ペルーやチリの遺跡からジャガイモをかたどった土器が発掘されていることからも、ジャガイモの栽培がすでに盛んになっていたことを示している。

ここから16世紀にヨーロッパに伝えられ、やがて寒冷地を中心に広く世界中に伝えられた。ヨーロッパに入ったジャガイモは、当初はその枝葉や花が好まれ、もっぱら観賞用であった。

ルイ16世の王妃は帽子の縁にジャガイモの花枝を飾ったという。また、薬として特別な効用があるとも信じられていた。食用としては、1616年にはすでにルイ13世の食卓に珍品としてのぼったが、大陸では17世紀中はまだ金持ちの嗜好品(しこうひん)にすぎなかった。

ジャガイモが食用作物として本格的に栽培されるようになったのは、17世紀のアイルランドにおいてである。小麦やライ麦などの穀類の数倍の収穫高を示すジャガイモは、戦乱や飢饉で荒廃した畑に積極的に植えつけられた。

18世紀には大陸諸国にも広く普及し、とくに七年戦争(1756‐63)は大きな契機となった。諸侯は食糧物資としてのジャガイモの価値を認識してその栽培を奨励し、フリードリヒ2世(大王)がポンメルンとシュレジエンにこれを導入したことはよく知られている。

また、七年戦争でポンメルンに出兵したスウェーデン軍がジャガイモを北ヨーロッパに移入することになった。

ジャガイモ栽培はドイツでは、19世紀に入ると国策と印刷物による手引書の普及とあいまって飛躍的拡大をみせ、むしろ零細経営の農家や穀作に適さないやせた土地で成果をあげ、貧農や都市労働者を飢えから救った。

他方、フランスでの普及は比較的遅く、七年戦争の際にプロイセの捕虜となって食糧としてのジャガイモの価値を身をもって体験したパルマンティエ Antoine Augustin Parmentier(1787‐1813)の貢献が大きい。

東ヨーロッパへの伝播にはドイツ人植民者の役割が大きく、ロシアではツァーリが国有地農民にジャガイモの強制植付けを命じ、これに反対する農民の大規模な暴動が起こった(1840‐44)。

こうしてヨーロッパに普及したジャガイモは、ここからさらに北アメリカへ逆輸入され、またアフリカ、インド、東南アジアに伝えられた。中国に入ったのは19世紀末で東北地区などの寒冷地で栽培され、五穀の不作を補うものとなった。

日本では、明治初期以来もっぱら欧米品種の導入を行い、現在もなお主要品種である男爵やメークイーンが普及した。春作品種では男爵が全作付けの半分近くを占め、次いで農林1号、紅丸(べにまる)、メークイーン、エニワなどが続く。

秋作用には、農林1号、タチバナ、ウンゼン、デジマ、シマバラ、チヂワなどがおもなものである。新しい品種として有望視されているものに、デンプン原料用のビホロ、タルマエ、食用のデジマ,ワセシロ,加工用のトヨシロなどがある。>(平凡社世界大百科事典より引用。キタアカリが登場していないという事は事典としては古すぎる)。2006・08・24
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