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小澤一郎の狂乱 渡部亮次郎
「祀られる人ではない 小澤氏、靖国合祀のA級戦犯」という記事が2006年8月7日の産経新聞に出ている。この人は大学院まで学んだ人だが、政治家でありながら日本史を全く勉強していない人なのだと改めて認識した。ダメダコリャ。

東京裁判は、アメリカのマッカーサーが決めた裁判だ。マッカ−サーは、昭和20年8月30日に日本に上陸したその晩に「トウジョウを逮捕せよ。早急に同種の戦争犯罪者のリストを作成せよ」と部下に命令した。最初からトウジョウを処分(殺害)するつもりだったのだ。

昭和21年4月29日の天皇誕生日に合わせて、28人の「A級戦犯」が選ばれた。ABCとは、ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判をそのまま適用したもので、「A」は平和に対する罪、「B」は通常の戦争犯罪、「C」は人道に対する罪だが、ACは事後法。戦争を始めた国の、指導者個人の責任を問うものだった。

戦争は、国と国の間の問題で国家の行為だが、個人の責任を問うという法律をアメリカが作ったのだ。実際、マッカーサーが「極東国際軍事裁判所条例」という法律を作り、それによって戦犯が定められた。

ヒットラーは1933年から1945年まで独裁体制で、軍事行動を行っていた。日本は1928年から1945年まで、A級戦犯とされた28人が一貫して満洲、中国、東南アジア、太平洋、インド洋と侵略したことにされたが、1931年の満州事変の時と、1937年のシナ事変、1941年の大東亜戦争の内閣は全部違う。日本の内閣は18回も交代している。

アメリカは、大東亜戦争のずっと前まで遡って、1938年の張鼓峰事件や、1939年のノモンハン事件まで日本の侵略戦争と位置づけ、A級と名付けて殺すための日本人を28人も選んだのだ。

ソ連は、天皇誕生日に合わせて起訴するためのアメリカの起訴状ができた後で駐ソ日本大使と関東軍司令官をA級戦犯に加えろとアメリカに要求してきた。それで急遽、2人が加えられた。

東京裁判は、国際法に則ることなく、マッカーサーの命令で進められた。国際法は無視されている。マッカーサーの「極東国際軍事裁判所条例」に基づいて裁判官が決められ、ポツダム宣言も無視された。

小澤氏は靖国神社のA級戦犯の合祀問題について問われ「俗に戦犯と言われる方々は戦争を指導した人たち。それをきちんと問わなければいけない。靖国神社は戦争で死んだ人を祀るもの。指導者は戦死しておらず、そこに祀られるべき人でない」と応えている。人を騙すにも程がある。

戦犯とはわれわれ日本人がきめた者ではない。戦勝国とくにアメリカのマッカーサーが恣意的に指定し、恣意的に判決と称するものを下し、皇太子殿下(当時)誕生日にあわせて処刑したものであり、いわばリンチによる死であるから、立派な戦死ではないか。

「それをきちんと問わなければいけない」と小澤氏も言っているように、我々日本人が戦犯を問うたことがない。

日本は、ポツダム宣言受諾による条件付き休戦をしたはずが、マッカーサーによって新しい法律が作られ、それによって戦勝国とその植民地によって敗戦国の国家指導者を裁判にかけて殺された。要するにマッカーサーの私刑[リンチ]であったのだ。

日本は、ドイツにも行われなかったような国家改造をされた。国際法では「占領国の法律を尊重すること」となっているが無視された。戦勝国が敗戦国を裁くということも事後法で、国際法上の根拠をもたないものだった。

勝った国の大将が、負けた国の大将のクビをはねて、さらし首にする。それが野蛮な時代の戦争というものだ。アメリカは国際法を無視して、野蛮な時代の戦争並に戻したということだ。

裁判長はオーストラリア人で、判事はカナダ・中華民国(国民党)・フランス・オランダ・ニュージーランド・ソ連・イギリス・アメリカ・インド・フィリピン。敗戦国や中立国からはひとりも出ていない。最初から日本人を殺すための舞台設定である。

敗戦国は悪であり、敗戦国のトップは罪人となる。戦勝国からはひとりも戦犯には定められない。それが「東京裁判」である。

中国は、アメリカが世界の善悪の基準を勝手に決めて、力で世界を征服しているとして憎んでいるが、アメリカの私刑[リンチ]は大好きなようで、しきりにA級戦犯が合祀されている靖国神社に、日本の首相が参拝に行くのはけしからん。小泉首相はバカだ、不道徳だという。

都合のいい時だけアメリカの決めたことを国際的に正しいとするのである。

全世界の国際法学者は、東京裁判は裁判ではないと認識している。なによりそのマッカーサー自身が、東京裁判の後2年も経たないうちに、「東京裁判は誤りであった」とトルーマン大統領に語っている。

起訴された25人は、全員に有罪が宣告された。(2人は、公判途中で死亡、1人は病気で免除)。死刑となった7人の罪状は「共同謀議」。国際法にはない罪状だった。イギリスとアメリカの法律にしかなく、実行犯以外の共謀者も罪だとする共謀罪で、イギリスとアメリカでは最長2年の微刑であった。

「共同謀議」で、昭和以降、日本は一貫してアジアへの侵略政策を企て、その結果アメリカと戦争したということになった。大東亜戦争の事だけではなく、14年も遡ってソ連との戦争まで罪としたのだ。

東條は1度だけ証言台に立てたが、そのとき、日本は最初からアメリカ、イギリス、オランダに対する戦争を計画したのではなく、それらの国の挑発でやむを得ず自存自衛のために戦うに至ったという経緯を語った。最後に東條はこう語った。

「戦争が、国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任いかんとの問題は、明白に区別のできる2つの異なった問題であります。

第1の問題は、外国の問題であり、かつ法律的性質の問題であります。わたしは最後まで、この戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します。

第2の問題、すなわち敗戦の責任については、当時の総理大臣たりしわたしの責任であります。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、真心より、すすんでこれを負荷せんことを希望するものであります。」

東條は遺言として「この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ」という文章を残している。

東條は、当時の総理大臣だったので敗戦の責任はとるが、自衛のための戦争は国際法に違反しないと主張した。

日本人は、戦争に負けたという事実は受け入れた。

ポツダム宣言では条件付きの休戦のはずが、アメリカに一方的に無条件降伏にされて、日本としては騙された気分だが、既に軍隊は速やかに解散していたのでどうしようもなかった。

日本は、今ではアメリカとは友好関係を保っているし、日米安保条約も取り交わしている。(領土問題では助けてもらったことはないが)戦争終結後は、アメリカに戦犯とされて死んだ人々は、戦争終結前に死んだのだから戦死者であると国内法で決められた。国内法では彼らは罪人ではないのである。

中国人は、それが日本のダブルスタンダードだと中国政府に教えられているようだ。中国は、普段はアメリカの勝手な行為を激しく非難するが、都合の良い時はアメリカの無法の行いを正しい基準として日本を批判する。

中国人は、マッカーサーの「極東国際軍事裁判所条例」を、国際法上有効だと思っている。マッカーサー自身が、後で東京裁判は誤りだったと語っているのだが、60年たった今でも中国はアメリカの無法裁判をありがたがっている。

いや、日本人の中にも、東條は国際法で正しく裁かれたと思っている者が多いので、A級戦犯という言葉を使っている。そして、中国人の感情を思いやってA級戦犯を分祀しろと言っている。

戦争当時の日本の総理大臣は共謀罪なのか?

東條が総理大臣になったときは、もう日本は戦争に向かう渦の中に巻き込まれており、東條にも戦争は避けることができなかった。アメリカが日本に突きつけたハルノートは、それほど過酷なものであった。

何もしなくても、日本はハルノートを突きつけられた時点で既に負けが決定しており、自衛戦を余儀なくされていたのだ。その時に、たまたま日本の総理大臣だった者は共謀罪なのか?

東條は昭和以降、14年間、ずっとアジアを侵略するつもりでおり、結果的にアメリカと戦争になったのか?

東城自身が、それは違うと証言している。

「わたしは最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します」と言っている。アメリカが言う共謀罪には当たらないと否定している。アメリカが定めた罪で死んだ人々は、国内法では罪に定められない。それは日本の法律である。

中国はアメリカの私刑[リンチ]が正しく、日本の国内法が間違っていると思っている。マッカーサーが作った法律で殺された日本の戦死者が靖国神社に合祀されたことに文句を言っている。中国が文句を言えば、日本は国内法も曲げ、宗教も変えるのか?

もし、戦争に勝った国が、好きなように負けた国のトップを死刑にできるのなら、国際法は無意味なもので、戦後60年たってもあいかわらず世界は強い者が弱い者をクイモノにする野蛮な時代であるということだ。

問題は、あなた自身が、自衛しようと戦争になった国の総理大臣に石を投げることができるのか、ということだ。自衛戦争だったのか、14年間も日本全体がアジアを征服しようと計画した過程でアメリカと戦争になったのか、真実はどこにあるのかだ。

鎖国状態でいた日本に、力づくで開国を迫ったペリーに脅され、日本は西洋に植民地にされることを嫌って動き出した。それが間違いだったのだろうか。

答えは、あなた自身が決めるべきだ。日本は国民が政治家を選べる国なのだ。日本が戦争にいたった過程を良く調べ、考えて頂きたい。
≪ WEB 熱線 第745号 ≫2006/08/07_Monから転載し、一部渡部亮次郎が加筆.
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