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ヤッシーがまたぞろ舞台に 古沢襄
五分五分といわれていた長野県知事選だったが、田中康夫知事の惨敗で終わった。すでに長野県民の多くから見捨てられていたのである。この六年間、長野県には一歩も足を踏み入れなかったが、これで気分良く母の故郷を訪れることができる。

田中康夫という人物には、熱烈な支持者がいる半面、私のように生理的に嫌悪感を持つ者もいる。ガマ蛙の様な顔をして何が”ヤッシー”かと腹が立つが、ご本人は至って大真面目。知事選で敗れたといってもメゲている様子はない。それがよけい腹が立つ。

来年夏の参院選では、華々しいパフォーマンスをみせながら、またぞろ舞台にでてくると思うと憂鬱になる。大橋巨泉にも生理的な嫌悪感を持ったものだが、国会から姿を消してくれたので、ホッとしたものである。日本人はもともと派手な立居振舞を嫌う民族である。

長野県人というのはパフォーマンスが苦手な県民性でもってきている。愚直で教育熱心、長い冬を、野沢菜の漬け物を手にのせて食べながら、お茶を飲んで、炬燵であれこれ議論する。理屈っぽい癖があるが、派手さはない。

昔、社会党に羽生三七さんという参院議員がいた。良識の府である参議院を代表する人物として与野党を超えて高い評価を得ていた。参院予算委員会や外務委員会での論客だったが、一回の質問をするのに三冊のノートを作成したと言われるくらい密度の濃い内容のものであった。

1977年に引退したのだが、福田赳夫首相が答弁の最後で羽生さんの30年間にわたった議員生活をねぎらっている。私は羽生さんが長野県人の代表だと思っている。細川内閣の誕生で奔走した田中秀征なども長野県人らしさを備えた人であった。

だから田中康夫氏が六年前に長野県知事に選ばれて、数々のパフォーマンスを演じるのを見ている中に、私の好きな長野県が音を立てて崩れていく錯覚に襲われたものである。

田中康夫氏が大阪府知事にでも選ばれていたら、これほどの違和感を持たなかったであろう。むしろ積極的に拍手を送ったかもしれない。彼のキャラクターはまさしく都会が生んだものである。山紫水明な信州の田舎臭さ、泥臭さとは少し違う。

一生懸命にパフォーマンスをみせれば、みせるだけ県民の心が離れていっている。逆に、田中県知事を惜しむ番組が東京キイ局で流れているのをみると、あまりにも都会的だった人物が、無理をして田舎ぶった六年間だった気がしてならない。
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