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隠すより現る 渡部亮次郎
<隠し事は、隠せば隠すほど、却って人に知られるものである。伏(かく)すことは露(あらは)るならい>とは日本人が昔から言い習わして来た言葉だった〔小学館「故事俗信ことわざ大辞典」>。

また「隠すことは口より出すな」は口止めするよりは、まずじぶんが口を慎め、ということである。
なぜこんなことを言い出したかというと、いわゆる差別用語の禁句について考えてみると、どうも、言い換えれば換えるほど、結果が反対になるような気がするからである。

若い頃、政治家の手伝いをしたことがあるが、大々的に宣伝したい時には逆に隠すに限ることを知った。そんな時、役人は記者を一杯集め、微細に亘って広報をやれば,大々的な記事になると考えてやるが、記事は豆粒のように小さくなる。

これは記者精神を知らないからである。発表物はどう弄っても発表物で、功名心という記者の魂を揺さぶらない。だから隠すのである。
たった1社に洩らす。特種だから記事は大きく出る。仕方無しに他社は追いかける。PRは大々的に成功する。

これの逆が差別用語の言い換えである。「言い換え」語は本質を相当ぼかしているから、頭のいい人は本質を追及して、差別語の本物にたどり着いてしまう。隠した方が現れるどころか、結果は逆に出る。

昔から人間社会はちっとも変っちゃいないのである。豆売りおばさんと言っても東京では売っているのは大豆だと思っちゃうが、関西へいったら、全くの別物と知って逆効果だ。

ちょっと話題になった「片手落ち」論争もそうだ。これは「片手」落ちなのではなく片「手落ち」が本当なのであって「片手」が落ちたと教えた先生が間違っている。

挙げればキリがない。いまは床屋とはいわない。床屋は昔はあまり良い職業ではなかったらしい。「頭一つコメ1升」と言われ、収入の少ない商売だった。だが、今では一つ1斗ぐらいに跳ね上がった。国家試験合格者だから立派な職業になった。床屋が差別であるわけがない。

人々が理髪師に敬意を持てば、理髪師は床屋であろうがなんて呼ばれようが関係はないのである。敬意を払わず、ハラの中では蔑視しながら敬意を払ったフリをする言い換え語こそ差別ではないか。

女中がどうして差別用語か。お手伝いなんて、一人前の人間をつかまえて一人前でない者に貶めているではないか。こんな風につきつめてゆくと、言い換え語はほんとに「隠すより現る」であって、却って差別語ではないかと思われる。2006.07.31
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