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迫る平成の関ヶ原 古沢襄
時代の流れを読むことは、いつの世でも欠かせない。小雨煙る中を鬼怒川沿いの東岸にある下妻市に行ってきた。ここは戦国大名の多賀谷氏の居城・下妻城があった土地である。土地の古老たちは「下妻の歴史は多賀谷氏の興亡とともにあった」という。

だが、この土地で多賀谷氏の足跡を求めるのは困難を極める。下妻城は徳川家康によって徹底的に破却され、下妻六万石は改易となった。一族郎党は四散して、多賀谷氏に関する原資料となる古文書も僅かしか残されていない。

したがって歴史家の間でも多賀谷氏が過小評価されてきたし、誤って伝えられている点が多々ある。常総地方史の中で多賀谷氏は空白の部分となっていると言っても過言ではない。

その多賀谷氏に興味を持っているのは、私のルーツが、この地にあることが第一だが、同時に最後の下妻城主となった多賀谷重経が、関東一の武将といわれながら、時代の流れを見誤ったことが、想いおこされるからである。下妻城を追われた重経は、一人で全国を放浪し琵琶湖畔で憤死している。

いつの世でもトップに立つ人は、時代の先をみる器量が必要である。ポスト小泉は安倍官房長官になるだろうし、野党の民主党は小沢代表を立てて選挙戦に臨むのであろう。この二人に、その器量が備わっているのだろうか。下妻の地に立つと戦(いくさ)上手といわれた重経と小沢代表を重ねてしまう。

重経の長男は三経といった。父に疎まれ廃嫡となった三経は、重経と正反対の道を歩んでいる。家康の子である結城秀康に仕え、その武将となった。この多賀谷氏は何とか命脈を保っている。

下妻市を北上すると下館市がある。この地は水谷蟠竜斎の居城があった土地である。生涯に数十度の合戦を経験した蟠竜斎だが、常に少数で多数に勝つ戦を得意としている。家康は「関東で蟠竜斎に勝る武将なし」とまで激賞している。蟠竜斎と重経は幾たびか合戦場で激突しているが、重経は関東一の鉄砲隊を擁して、猪突猛進して敵を粉砕すること得意とした。

蟠竜斎も勇将であったが、深追いせずに和睦する戦さをしている。生涯に数十度の合戦をしながら、敗北を経験していない。「天下の大勢をみる眼力を持て」というのが、蟠竜斎の遺訓となった。

政界秋の陣が目前に迫った。来年は夏の陣がある。局地戦で勝つことも必要かもしれないが、大局をみた長期戦略が欠かせない。平成の関ヶ原は、どのような展開をみせるのだろうか。
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