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ワンスリーの提案 古沢襄
中国では一般党員向けの「参考消息」と地方県知事・本省次官クラス以上を対象にした幹部向け「参考資料」の二つの情報資料がある。「参考消息」は北京駐在の日本人でも、カネとコネで入手できるが「参考資料」は取り扱い厳秘となっていて、入手が困難である。

渡辺美智雄元副総理と親しかった国際石油社長の木村一三さんから、この「参考資料」を見せて貰ったことがある。あだ名が「ワンスリー」と言った木村一三さんは、大陸浪人の風貌で、毛沢東、周恩来ら中国要人と太いパイプを持っていた。サシで中国要人に会える数少ない財界人であった。

田中訪中に先立つ八ヶ月前にワンスリーは訪中して、周恩来と極秘会談している。その狙いは、財界人を政治の表舞台に引っ張りだして、田中訪中のつゆ払いをさせることにあった。大平外相と気脈を通じていたミッチーが、ワンスリーを黒子として使ったのだが、赤坂の料亭でワンスリーの訪中壮行会をやった時に、ミッチーの実兄・嚆夫さん、従弟・幸雄さんと一緒に末席に座ったのがワンスリーと親しくなるきっかけとなった。

角福戦争は、角さんの圧勝で決着して、私は政治の世界から足を洗って、北陸の金沢総局長になっていたのだが、幸雄さんから呼び出されて、上京したものである。ついでながら北陸在勤中に福田赳夫さんは二度、遊びにきてくれた、小松空港に出迎えにいったら、長女と次女の頭を撫でて「美人になるな」とお世辞を言ってくれたものである。

園田直さんも来てくれた。富山と高岡で地元紙主催の講演会をやったが、私が司会役をして「いずれ福田内閣の時代がくるが、福田派ナンバー・ツウの直さんは、幹事長の最有力候補」と紹介した。福田も園田も雌伏していた頃のことである。田中派にあらずば、人にあらずという風潮の中で、中央政界の動きはもっぱらミッチー情報に頼っていた。

中ソ対立によって孤立化していた中国だったから、米中和解、日中接近が焦眉の急となっていた。日本の財界が大型代表団を送ることに、周恩来が異存を唱える筈はない。中国市場に目をつけていた財界もワンスリーに乗った。そして関西財界代表団、東京財界代表団、三菱グループ代表団が、相次いで訪中する道筋が開けた。

訪中メンバーをみると永野重雄、今里広記、木川田一隆(東京財界)、日向方斉、山本弘、佐治敬三、佐伯勇、松下幸之助(関西財界)河野文彦、田実渉、藤野忠次郎(三菱グループ)ら財界の首脳クラスが網羅されている。ワンスリーがもっとも輝いた時期であった。田中訪中の下準備が整った。

1972年秋にワンスリーは中国側から招請を受けて、人民大会堂の1000人大宴会で挨拶をしたが、日中復交に努力した毛沢東、周恩来に敬意と感謝の辞を述べた後に、日本の田中首相、大平外相に対しても、その努力を讃えたいと述べた。この時に周恩来は、真っ先に立ち上がって拍手をして、会場は万雷の拍手に包まれた。

数年後に福田内閣の園田外相が中心になって日中平和友好条約が締結された。その後、大平内閣になってからも日中関係は良好であった。ところが中国内部で対日不満が次第に芽生えていった。その温床になったのは「八老治国」といわれる八十歳を超えた革命第一世代の長老たちである。

陳雲、李先念、彭真、楊尚昆、王震、薄一波、宋任窮らが隠然たる力を持ち、李鵬,喬石、江沢民ら党官僚を実質支配する保守派の権力構造が構築されていった。ワンスリーは、これに気がつくのが遅かったと反省の弁を述べている。高齢の革命第一世代は、いずれ消えていくという判断が甘かったのである。

ワンスリーは中国側の対日批判が悪循環を起こし、江沢民時代に一挙に吹き出したとみる。そのきっかけは、中国の権力構造を大きく揺るがした天安門事件であった。周恩来の死後「周恩来は立派な指導者だったが、彼は一つだけ大きな誤りを犯している。それは対日賠償を免除したことだ」という保守派の批判が中国内部で生まれている。

ワンスリーがワンスリーたる由縁は、この状況下で訪中して江沢民と会談し、新王道論を説いたことである。名誉も地位もいらない大陸浪人が捨て身で、反日に凝り固まった江沢民に説教したのだから、無鉄砲といえば、これほど無鉄砲な行動はない。

江沢民との会談は二時間にわたったが、ワンスリーは二つの提案を行っている。一つは中国が二十一世紀における超大国としての役割を自覚し、日本の潜在力を正確に評価すること。日本評価については、アメリカが最も優れており、日本自身は、その自覚が不十分である。中国は深い日本分析が足りない。浅薄な日本軽視論は改め、対日緊密化戦略に大胆に転換することを要望する、と言ってのけた。

もう一つは、台湾の平和統一に期限を設けず、それを世界に鮮明にすること。ワンスリーは、これを新王道論だと言って江沢民に迫っている。ワンスリーは江沢民の反応は頗る良く、確かな手応えを感じたというが、むしろ呆気にとられて言葉を失ったのではなかろうか。その後の江沢民路線をみると、そんな感じを持つ。

しかし、中国に対して言うべきことを言う日本人は、ワンスリー以降は寡聞にして知らない。喧嘩腰になるなら誰でも出来る。江沢民もワンスリーの提案を全く無視したわけでない。それは冒頭に述べた「参考資料」で、極秘扱いながら共産党幹部に対して、ワンスリーの提案を全文を掲げて、配布していることで分かる。軍部に隠然たる勢力を持つ保守派の反発を怖れた江沢民が、ワンスリー提案に乗れなかったということであるまいか。

すでに革命第一世代の長老支配から新しい時代に中国は移っているが、「八老治国」が敷いた保守派路線が牢固とした形で、中国支配層を縛っている。その桎梏から脱するには、まだ時間がかかると見るべきであろう。周恩来のような人物が登場することを期待するしかない。中国に対して一定の距離を置いて見守るというのは、そういうことである。
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