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賓客席次の重要度 渡部亮次郎
「頂門の一針」492号で有名商社マンの泉 幸男さんが指摘しておられた。

<2006年6月12日にタイ王宮でタイの王族と各国来賓の記念写真の撮影があった。その写真をみて、席順に驚いてしまったのだ。前列、後列と2列で撮影だったのだが、そのうち前列はこういう席順でした。

向かって左から……

リヒテンシュタイン公国・皇太子(摂政)
スペイン王国・王女
モナコ大公国・大公
マレーシア王国・王妃
マレーシア王国・国王
ルクセンブルク大公国・大公
カタール国・首長妃(シャイク妃)
カタール国・首長(シャイク)
スワジランド王国・国王
スワジランド王国・王妃
ブルネイ王国・王妃
ブルネイ王国・国王
タイ国王
タイ王妃
スウェーデン王国・国王
スウェーデン王国・王妃
天皇陛下
皇后陛下
レソト王国・国王
レソト王国・王妃
ヨルダン王国・国王
カンボジア王国・国王
クウェート国・首長(シャイク)
モロッコ王国・王女
デンマーク王国・王配殿下(女王の夫)
バーレーン王国・首相(国王名代)

ひょっとして籤引きでもして決めたのかと思うくらい、荒唐無稽な席順である。

タイにとって最重要の隣国である(はずの)マレーシアやカンボジアの国王をはるか末席に置き、主賓に人口37万人の石油成金国ブルネイの国王をもってくるとは。 中東屈指の名家であるヨルダン王家が、カタールのシャイクより、わずかながら下座(しもざ)とは!

そんな他国のことはまだどうでもよいとして、天皇・皇后両陛下がスウェーデン国王・王妃よりも下座とは、いったいタイ政府は何を考えているのか。スウェーデンと日本と、タイにとってどちらが大事な国か?

それどころか、両陛下は、スワジランド国王・王妃より下座になっている。 理解不能……。

さてはタイ政府は、ブルネイ国王の富に目がくらんだのか? 記念写真の賑わいに王妃陛下の脇に白人の国王をもってきたかったのか……。

わが外務省は、パーティーや儀式のアレンジだけはちゃんとやるという評判なのだが、こんな席順に両陛下を座らせるとは、駐タイ日本大使は切腹ものではないか……。

「いろいろ調べ始めたら、この席順の由来が分かった。 なんとタイ政府は、即位の順番で席順を決めたらしいのだ。>

儀典ー儀式の規程。典礼。典範こそは「腹の内」だから、理屈はどうにでもつけられる。但し賓客に対する主人の腹の内をさらけ出すわけだから、説明のつく「わけ」だ必要でそれが典範なのだろう。

泉さんの典範から考えれば、さきの席順は大いにおかしいし、私もそう思うが、タイの役人は面倒くさく考えないで、即位順順としたとのこと。大雑把だが、これの一つの典範か。

小平(背が小さいことの綽名)から聞いたのだが、中国料理は政敵毒殺の舞台だった。宴会では相手に敵意を抱いていないこと、毒殺の意図のないことを示すために、主人は長い箸で両隣の賓客に料理をとりわけ、歓迎の意を示すのだ。

ところが、日本人がターンテーブルを中国料理に持ち込んだので、おかしくなったと中国人は嘆いているとか。日本人は宴会で人を毒殺するような荒っぽい事はしないから、賓客に対する料理のとりわけはない。

ASEAN(東南アジア諸国連合は永らく日本を忌避していた。

<Association of South-East Asian Nations、略称ASEAN)は、東南アジア諸国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力組織。本部はインドネシアのジャカルタにある。

1967年8月、タイ王国のバンコクで結成された。当初のメンバー(原加盟国と称される)はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国。設立の宣言は、各国の外相による共同宣言で、東南アジア諸国連合設立宣言、バンコク宣言などと呼ばれる>。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ASEANに対して佐藤、田中の各内閣はほぼ関心を示さなかったが、三木内閣(1974・12・9〜76・12・24)は首脳会議も外相会議も参加を希望したものの峻拒されて恥を天下に晒した。

続く福田内閣の時、外務官僚は「ODA倍増」をエサにオファアーしたところ、1978年から参加OK。78年6月、素人外相園田直の政務秘書官として随行。(太平洋戦争中、米軍マッカーサー元帥の副官として、コレヒドールから逃亡したロムロがフィリッピン外相として日本の参加を阻止していたらしい)



タイの景勝地パタヤのロイヤル・クリフビーチ・ホテルでの会議。6月17日土曜日午前10時(日本時間正午)からの会議をまえに記者根性を出して、事前にセットの状況を覗きにこっそり出掛けた。

覗いて仰天。窓を背にアセアンの5閣僚が1列に並び、向かいに日本外相の席。こりゃ大変だ。巌流島の小次郎にされる。大臣いな日本が軽蔑されている!

大臣に報告。「これじゃ口頭試問だ」と大臣。この人は、軍人上がりらしく、儀典とかこうしたことには特にうるさかった。そこで席を並び替えを事前に要求。

6角形に変更して事なきを得た。しかも会談の冒頭「口頭試問を受けに来た園田であります」とやって爆笑を誘って、会議はうまく行った。思い出す。

外務官僚はこういうことに無関心。巌流島の決闘の故事すら知らない。窓を背にするか、向うか。巌流島に先に到着して、太陽を背にした宮本武蔵が佐々木小次郎に勝った故事を呼んだこともないという。外交官試験に出ない問題だからだろう。

「外交官に外交を任せていたら日本は常に敗戦国だ」とつくづく思ったものだ。

<ASEAN加盟国は1970年代を通して変化がなく、1980年代も、当時イギリスから独立したてのブルネイが加わったのみに留まった。これは冷戦、ベトナム戦争など、地域の政情に関連しているとされる。

だが、1990年代後半に入って同地域の北方に位置する4ヶ国が加盟した。この10ヶ国からなるこのASEANを特にASEAN-10と呼ぶことがある。

なお、最後の加盟国であるカンボジアは内政事情から加盟が遅れたもので、当初はミャンマーとラオスと共に加盟する予定であった。
現在の加盟国は以下の通りでASEAN10とも呼ばれる(カッコ内は加盟日)。

インドネシア (1967年8月8日)
シンガポール (1967年8月8日)
タイ (1967年8月8日)
フィリピン (1967年8月8日)
マレーシア (1967年8月8日)
ブルネイ (1984年1月8日)
ベトナム (1995年7月28日)
ミャンマー (1997年7月23日)
ラオス (1997年7月23日)
カンボジア (1999年4月30日>(出典同)

2006・07・12(頂門の一針より転載 許諾済み)
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