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司馬遼太郎とブリヤート娘 古沢襄
八月中旬にロシアの沿海州やシベリアを回る遺族会の墓参団に参加しないか、と誘いがあった。七年前の一九九九年九月に墓参団の一員として初参加し、三年前にも厚生省の墓参団では団長としてシベリア奥地にまで行ってきた。これで三回目の墓参になるのだが、昨年に大病を患ったので、ハードなスケジュールをこなす自信がない。熟慮した結果、電話で遺族会に参加を辞退することを伝えたところである。

ロシアというと日本人は、ウラル山系の西にあるモスクワなどヨーロッパ・ロシアに行きたがる。だが私はシベリアに一種の郷愁のような感情を抱いている。ブリヤート共和国に父・古沢元が葬られていることもあるが、古代日本民族のルーツといわれるバイカル湖に惹かれるからである。

ブリヤート人は日本人と瓜二つ、古代トルコ種が混じっているので背が高い違いがあるが、黒髪の女性の姿は魅力的で親近感を抱いている。司馬遼太郎は「ロシアについて」の著書で、一九七〇年代にシベリアでついてくれた通訳のブリヤート娘について次のような印象を記した。

ブリヤート娘に感動した。長身で涼しそうな目。学生時代にブリヤート人は聡明で誇り高く、その女性はつつましい、ときいていた。自分の生涯でこの民族の人に会えるとは思っておらず、それだけにあこがれになっていた。

彼女はウラジオストックにある極東大学の日本語科の学生で、両親はイルクーツクに住んでいる。父も母もささやかながら知識人という層のひとであるらしかった。ソ連旅行でふつうの旅客はさまざまな困難を覚悟せねばならない。空港で八時間もの延着待機。

訴える相手がいないまま、このブリヤート娘に苦情をいうと、彼女は最後に小さな声で「ソ連はいい国です」といった。私は彼女を悲しませたことに狼狽し、そうだとも、きっといい国なんだ、といった。自国をいい国だと思っている彼女に、いっそうの好意をもった。

二度のシベリア旅行で私は、司馬遼太郎と同じ経験をしている。とくに二度目の旅行でバイカル湖を案内してくれたイルクーツク大学の女子学生は、長身で涼しそうな目、聡明で誇り高いブリヤート娘で、日本に留学した経験があるだけに堪能な日本語を喋った。

スラブ系白人の女子学生を助手に従えて案内してくれたのだが、毅然とした態度でテキパキ白人に指示する。帰途、シベリア鉄道に乗る私たちを送ってくれたが、イルクーツク駅で白人ポーターが私たちの荷物をぞんざいに扱うとロシア語で厳しく叱責する。誰かが「女性士官のようだ」と言った。

白人女子学生の方は、ブリヤート共和国まで同行してくれたのだが、シベリア鉄道が動きだすとホッとしたのか「ダンチョウ、ダンチョウ」と私にまとわりついて甘えられ、嬉しいようなムズかゆい思いをしたのが懐かしい。よほど上級生のブリヤート娘が怖かったのかもしれない。

ロシアではアメリカ以上に人種差別があると聞いていたが、シベリアではブリヤート人が白人を怖れていなかった。同じ黄色人種の私たちにとって痛快な風景である。これがモスクワに行くと白人上位の光景を見せつけられる。私のシベリア好きは、案外このようなことが原因なのかもしれない。
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