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神の国・チベット 古沢襄
チベットに住む人たちは、この地域を「神の国」と信じている。南にヒマラヤ山脈の霊峰を望み、北は崑崙山脈、祁連山脈、東は横断山脈などに囲まれ、インド亜大陸がアジアに衝突して隆起することによって生成されたチベット高原に位置する天然の要害である。

「神の国」だから異国の侵略があっても、神が異邦人を罰すると固く信じてきた。。住民は仏教信仰(ラマ教)を価値観の中心に据え、高原の自然環境に適応した独自のチベット文化を発達させて来た。

七世紀にチベットを建国した吐蕃王朝が成立したが、十七世紀になってダライ・ラマを信仰するモンゴルの一部族ホショト族がチベットに移住して、グシ・ハン王朝時代を樹立している。

このことから分かるようにチベットと蒙古との繋がりが強い。元の世祖がチベットに進攻して全土を占領したのだが、ラマ教に感化されて、これを蒙古の国教にして、全土の主権をダライ・ラマに譲り、兵を引き揚げた。ラマ教に心酔した蒙古人は、これ以降、千里を遠しとせずにチベットに巡礼、留学している。宗教が軍事に勝った珍しい例といえよう。

漢民族の支那は、チベットの侵略を度々受けている。唐の首都・長安を攻略されて青海湖とターチェンローを結ぶ線をもって、チベット・支那の国境線とする屈辱的な条約を結んだ。十七世紀になって明が満州族の清に滅ぼされたが、清の康煕帝はチベット大遠征を行う。チベットと蒙古が結び、清を攻撃することを怖れたのが、チベット大遠征の理由となった。しかし清もダライ・ラマを優遇してラマ教を保護する懐柔策をとっている。

その後、清の力が衰えロシアとチベットの関係が深まるにつれて、1903年にイギリス・インド連合軍がチベットに進攻して、首都・ラサを占領した。ダライ・ラマは外蒙古に亡命して、清の調停工作もあってイギリス・インド連合軍は撤退している。代わって清軍がチベットを占領したが、清朝の滅亡をきっかけにダライ・ラマ軍が蜂起して、支那軍はインドを経て本国に逃げ帰る。

チベットは伝統的に蒙古や女真(満州族)には親近感を持つが、漢民族の支那に対する敵対意識がある。蒙古に対する親近感の延長として、日本に対しても好意的な国柄である。ロシアに対して親近感を持っているのは、ブリヤート蒙古のドルチイが、チベットとの交渉に当たったことが預かっている。チベット史をみるうえで蒙古民族の影響を見逃すことができない。

1950年、中国人民解放軍がチベットに侵攻、チベット全域を支配下に置いた。ダライ・ラマ14世は亡命し、抗中ゲリラが頻発している。1957年以降、アメリカのCIAが武器援助をする中で、中国軍の駐屯地や行政機関を襲撃する武力活動が生まれている。

文化大革命期には紅衛兵によって多くのラマ教寺院が破壊されるなど、文化遺産に深刻な被害が出た。改革開政政策がはじまった1980年代初頭、胡耀邦総書記の指示によって、チベットに対する本格的な経済支援が開始されたが、チベットの歴史をみる限り、経済支援よりもラマ教を保護する文化的な懐柔策の方が必要ではないか。それは共産党の一党独裁体制であっても可能な筈である。
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