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満州蒙古と女直族 古沢襄
西川一三さんの「秘境西域八年の潜行」上中下三巻をようやく読み終えたところである。大学の講義を聴いたり、図書館で文献上の知識を得るのも必要だが、自分の足で稼いだ知識というのは、なにものにも勝る説得力がある。まさに「事実は小説より奇なり」なのである。

西川さんは蒙古人になりきって一介のラマ僧の眼で西域をみつめている。その姿勢は日本の敗戦を知った後も変わらない。だから日本に帰国するつもりもなく、このまま西域の土となることを覚悟していた。

そこには蒙古に惚れ込んだ人柄がかいま見える。それほど西川さんを魅了した蒙古とは何であったろうか。実はモンゴル民族の起源はまだ未解明なのである。科学的には日本人は、先史時代のモンゴリアンロード上にあったことが解明されているが、その具体的な道筋は謎に包まれている。

モンゴル民族の起源としてシベリアのバイカル湖近くにいた「丁零」族が、最古の蒙古人だといわれている。言えるのはウルム氷河期にはサハリンと日本はユーラシア大陸と地続きであった。「丁零」達の先祖がサハリンを通り、日本へ渡来し、縄文人となったとみられている。

最近、バイカル湖周辺のブリヤート・モンゴル人と縄文人のDNA鑑定をした結果、一致することが分かった。縄文人のDNA鑑定は、遺跡から発掘された頭蓋骨の歯から採取している。西川さんは「ブリヤート蒙古」という言葉を使っているが、これは正しくバイカル湖周辺のブリヤート・モンゴル人のことである。

また「満州蒙古」という言葉も使っている。私にとっては初めて聞く言葉であった。戦前は満州の女真族(女直族ともいう)のことを満州蒙古と称したのかと思って、旧制第一高等学校の東洋史参考書であった白鳥清さんの「東洋史概説」を調べてみた。昭和五年発刊のこの本は、日本で初めて編集された北東アジア、西域、インドを包含する本格的な東洋史の名著であって、七十数年を経た今日でも少しも色褪せていない。それまでの東洋史は支那史の代名詞であった。

だが、満州蒙古という言葉は無かった。遊牧民族である蒙古人は、興安嶺を越えて、しばしば満州の地に侵入している。一方、女真族もモンゴル領に侵入しているので、両民族の間には血脈が生じたことは否定できない。

しかし、女真族は吉林省西北部からでた土着の農耕民族(半農、半牧畜、半狩猟)であった。だから蒙古族は「女真族はブタを飼う」と見下している。蒙古族は足の短い馬に軽武装で乗って疾風のごとく敵をうち破るのを得意としている。女真族は逆に足の長い馬を駆って密集隊形で敵を蹴散らした。そして「金」という強大な帝国を樹立している。

したがって女真族は、満州の東半部,松花江・牡丹江・黒竜江下流域・沿海州に住んだ北方ツングース系の民族で、満州蒙古という呼称には疑問が残る。ジンギス汗にとって最後の大遠征となった金攻略は、その戦陣でジンギス汗が没したので、末子のトルイに託された。

元が滅亡後、女真族は再び力を得て「後金」を興して、東蒙古・内蒙古を平定した。「ブタ」が「ヒツジ」に勝ったことになる。そして、山海関から万里の長城を越えて、明に攻め入り、漢民族を従えて「清」王朝を興した。

大阪外語大学蒙古学科を卒業した司馬遼太郎は、好んで女真族を小説の題材に用いているが、やはり北方系民族に対する思い入れがあったのではないか。
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