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習主席が利用する毛沢東のレガシー   ウオールストリートジャーナル

■文化大革命の残酷な遺産が「チャイナドリーム」に付きまとう
 

50年前の5月16日、毛沢東は共産党組織の上から下までたたきのめすことを狙った攻撃を開始した。党員が資本主義に走っているというのがその理由だった。毛沢東は人民日報に有名な「司令部を砲撃せよ!」と題した論文を書き、民衆を扇動した。数百万人もの熱狂的な若い支持者がこれに呼応し、毛沢東の紅衛兵になった。こうして文化大革命は始まり、毛沢東が死亡する1976年までの10年間、大量の流血を伴う蛮行は続いた。


これは習近平国家主席による今日の戦術とはかけ離れている。習氏は、共産党を消滅させかねないと恐れる病弊――腐敗、道徳の退廃、大義のために戦おうという意志の欠落――を党から一掃しようと試みてきた。彼の対処法は高いところから厳格な命令を下し、批判を抑え――党員は「不適切な議論」を禁止されている――それがどれだけ穏健であろうと組織立った反発勢力をつぶすことだ。厳格な検閲はインターネット上の議論も黙らせてきた。


だが、こうした明らかな違いにもかかわらず、習氏は就任後最初の3年間を毛沢東をよみがえらせることに費やしてきた。毛沢東の言葉を借り、彼のやり方をまねた。権力を自分一人の手の内に集中させ、個人崇拝の機運を盛り立ててきた。個人崇拝は文化大革命の最も恐ろしいシンボルであり、最高指導者に対する盲目的な忠誠心は長年にわたる手に負えない暴力をあおる源泉でもあった。文化大革命で150万人の中国人が殴り殺され、自殺に追い込まれ、紅衛兵同士の衝突で死亡した。


今日の中国は文化大革命が再び始まるような状況に近づいているわけでは全くない。精神的な禍根を残すことになったこの時代から50年という節目を迎えたことは、中国の政界では黙殺されている。中国の指導部は「文化大革命を恐れている」と、歴史家のフランク・ディケーター氏は話す。「一般市民に発言の機会を与えれば、同じことが起こりかねないと考えている」


だが、毛沢東の根強い影響力の矛盾は残る。予想に反して、文化大革命が始まって半世紀後のいま、自らを「偉大なるかじ取り」と称した毛沢東は、再びこの国の政界のなかで最も強い影響力を持つに至っている。では、具体的に彼のどういった政治レガシー(遺産)を習氏は取り戻そうとしているのだろうか。


毛沢東はあらゆる不利な状況のなかで内戦に勝利し、国民党政権を台湾に追いやり、中国を統一した。だが、2つのアヘン戦争以降の帝国主義諸国との戦いをすべて合わせた数を上回る犠牲者と苦悩を国に負わせた人物でもある。毛沢東は1950年代に「大躍進」政策を導入した。これは豊かな西側諸国に追いつくための政策だったが、大飢饉(ききん)を招く結果となり3000万〜4000万人もの国民が餓死した。毛沢東は現人神(あらひとがみ)でもあり、悪魔でもあった。


毛沢東は晩年、甘い自己評価を示した。10本の指のうち、良かった指は「9本」で悪かったのは「1本」だと言った。毛沢東によって2度粛清されたことのある小平の評価はもっと辛く、毛沢東の「70%は正しく、30%は過ち」というものだった。1981年にまとめられた共産党の資料には、文化大革命の責任は主に毛沢東にあると記されている。


だが現在の中国のリーダーである習氏は、毛沢東のかつての側近だった実父の習仲勲(故人)が文化大革命で粛清され、異母きょうだいが自殺に追い込まれたにもかかわらず、毛沢東を中傷すべき人物としては見ていない。習氏自身も農民から学ぶようにと地方に追放された1800万人の若者の一人だった。


習氏は毛沢東の30年に及ぶ統治を否定するのは受け入れがたいと述べている。その後に続いた小平の30年についても同様だ。習氏は発作的な大量殺人と破壊が行われた時代と、人類史上で類いまれな経済発展を遂げた圧倒的に平和な時代とを、対等に並べて見せている。


事情に疎いアウトサイダーは、習氏がなぜ、20世紀で最悪の独裁者の一人である毛沢東をそれほど公平な目でみているのか不思議に思うかもしれない。だが、中国という文脈で考えた場合、これはある意味で理にかなうものだ。習氏と毛沢東との関係を理解するうえでカギとなるのは、かつての封建主義国家でいまだに存在する世襲の特権だ。紅衛兵は以前、こうした言い方をしていた。「ヒーローの息子は本当の男だ。反動分子の息子はろくでなしだ」と。習氏の父親はヒーローだった。しかもそれは毛沢東のおかげだった。


つまり、毛沢東に近い同志だった「紅貴族」の一人として今の習氏があるのも、いわば毛沢東のおかげなのだ(ただし紅貴族はひどい扱いを受けた)。中国陝西省の農村での滞在を少年だった習氏に強要したのも毛沢東だ。習氏は現地の洞窟で暮らし、政治家としてのスタートを切った。だが何よりも、経済が劇的に減速している今、民衆の士気を向上させ、共産党にプライドを植え付けることを目指す習氏の物語「チャイナドリーム」で主役を務めているのが毛沢東なのだ。天安門の楼上で建国を宣言した愛国者としての「ヒーロー版」毛沢東である。


物語はアヘン戦争と日本や西側諸国による「恥辱の世紀」から始まり、1949年の毛沢東による革命を経て、「中国の偉大なる再生」へと展開していく。毛沢東なしでは、物語は瓦解(がかい)する。毛沢東は習氏にとって、旧ソ連に降りかかった運命から中国共産党を救済するための最高の――そしておそらく最後の――希望だ。


この国家再建の年代記に磨きをかけるなかで、習氏は慎重に毛沢東のレガシーを選んでいる。カオスを生じさせた毛沢東ではなく、ヒーローとしての毛沢東を習氏は求めている。同胞の死や苦悩にあまりに無関心に見える毛沢東ではなく、愛国者としての毛沢東を求めている。だが、毛沢東の時代をそれほどきれいに分けることはできない。中国人、特に知識人は、自分たちの指導者が「火遊び」に興じているのではないかと懸念している。


1966年5月に始まった中国の文化大革命から今年で50年。建国の父と呼ばれる毛沢東が起こしたこの権力闘争は10年続き、多くの指導者や知識人を含む150万人が死亡。数百万の人が地方に追放された。当時の様子を写真で振り返る。


習氏の「チャイナドリーム」は、1億人もの中国人に精神的痛手を負わせることになった文化大革命に関する沈黙と秘密、プロパガンダに大きく依存している。当局はこの時代に関する公の議論を許可しないだろう。毛沢東の評価を下げ、共産党の正統性を損ないかねないとの恐れからだ。天安門広場にある国家博物館には、文化大革命に関する展示は1つしかない。天安門広場で大規模な集会を開いた紅衛兵の写真だ。この写真は広々とした展示室の高い隅に展示されている。


多くの中国人にとって、その記憶はつらすぎる。人々は苦痛を受けることと苦痛を与えることの両方を経験したこの時代を忘れたいと思っている。


年月がたつに連れて、記憶は選択的になる。中国の急速な成長に取り残された都市部の貧困層などにとって、毛沢東はより純粋で平等かつ腐敗の少ない時代の象徴だ。このノスタルジアは、当時の踊りや「大海航行靠舵手」のような革命歌に対する今日の民衆の強い関心を駆り立てる。共産党は神経をとがらせているが、こうした民衆は毛沢東の復活を歓迎している。習氏が最も望ましくないと考えていることは、毛沢東がこうした「取り残され組」の抗議活動のシンボルになることだ。


毛沢東と異なり、習氏は革命時のカリスマとしてではなく、政策手腕つまり経済成長を国にもたらす能力で評価されることになるだろう。彼は建国から1世紀という節目に当たる2049年までに「適度に豊かな社会」を確立すると約束している。毛沢東は日々の行政には口をはさまなかったが、習氏は経済や国の安全保障、国防、サイバーセキュリティーなど、あらゆる細部に目を配るマイクロマネジャーだ。


現在、習氏の個人崇拝として通るものは実はささやかなものだ。「習おじさん」にこびへつらう文言はネット上で出回っているが、習氏の著書「習近平談治国理政」は本屋の棚に山積みになっている。共産党の機関紙「人民日報」に掲載される習氏称賛の見出しに関心を持つ国民もほとんどいない。毛沢東の個人崇拝は全く程度が違った。その絶頂期には「毛沢東語録」のカバーを製造するプラスチックの需要が多いため、おもちゃ工場は生産量削減を強いられたほか、毛沢東のバッジは50億個も製造され、アルミニウムの供給量を使い果たしたほどだった――。歴史家のディケーター氏は著作「The Cultural Revolution: A People’s History, 1962-1976」の中でそう記している。


過去に類似するものとしてより重要なことは、共産党が初期の頃に使っていたような問題解決策を習氏が求める傾向にあることだ。政府関係者による汚職撲滅のため、習氏は弁護士や検察官ではなく、共産党独自のスパイや尋問官を放っている。毛沢東と同様に、習氏は人々の本質を変え行動を改めさせるうえで、制度上の制約による力ではなく、イデオロギーの力のほうが有効であると信じている。自己批判と公の場での告白という、恥ずかしい思いをさせ、共産党の党是に追従させるために編み出された毛沢東時代のテクニックが復活した。


中国共産党には常に、外国に対する嫌悪が底流にあった。それも再び、ひそかに戻りつつある。中国の女性公務員に外国のスパイに気をつけるよう促す「危険な愛」と題されたポスターには、赤毛の「デービッド」に政府の機密情報を手渡す、うぶな女性が描かれている。中国はますます、欧米諸国とイデオロギー面で対立する構図の中で自らをとらえるようになっている。共産党中央委員会の機関誌「求是」は先月、習氏の発言として、中国人の一部が「無意識のうちに欧米諸国の資本主義の吹聴者になっている」と伝えた。


習氏の経済政策にも毛沢東のしるしがついている。毛時代の計画経済の岩盤だった国有企業の増強を習氏は主張している。たとえそれが大きな損害を出し、国の経済にとって多大な負担になるとしてもだ。


文化大革命後の数十年の間に、イデオロギーはもはや国内では重要視されていないとの見方が海外で根付いてきた。小平がそれを葬り去ったはずであるし、毛沢東は無害な文化的象徴になった。紙幣には彼の笑顔が印刷され、肖像画は天安門広場を見下ろしている。中国の指導者たちが何を信じているのかという点では、テクノクラート(技術官僚)が政策を担う未来だと考えられてきた。中国人は経済成長を一枚岩で目指す実践主義者になったと思われていた。小平はかつて「黒いネコでも白いネコでも、ネズミをとるのが良いネコだ」と言ったはずではなかったか。   


中国の生活水準が他の現代国家に追いつけば、政治システムも変貌し始めると想像する向きも欧米諸国にはいた。だがこの見方は間違っていた。中国は習氏の下では、数十年前の毛沢東時代と同様に、独自の論理と力を備えた共産主義の考えにいまだに支配されている。文化大革命は生き続けているのだ。(筆者のアンドリュー・ブラウンはWSJ中国担当コラムニスト)

 
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