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日本人のルーツを求めるDNA解析の進歩   古沢襄

最近のDNA解析は驚くほど進歩している。かねてから日本人のルーツに強い関心を持っていた私は、シベリアのバイカル湖畔で日本人そっくりのブリヤート人に接して、これが古代日本人と同根の民族ではないかと仮説を立てた。


帰国した二〇〇一年、佐賀医科大学がDNA鑑定によって「日本人はバイカル湖畔のブリヤート人との共通点が非常に多く、朝鮮人、南中国人、台湾人などと共通する特徴を持ったのが各1体だったのに対して、ブリヤート人とは17体近くが共通していた」と発表した。


この時、初めて日本人のルーツを求めるのにDNA解析という科学的な実証があることを知った。あれから十五年の歳月を経て、DNA解析の手法、研究も大きく進んでいる。


日本の縄文人が北方系であって、大陸から来たのは弥生人という簡単な図式で律しきれないという感じをいまでは持っている。


渡来した弥生人の数についても”極めて少数”という見解もあれば、縄文人を北に駆逐するに足る”一定の数”という研究者の意見も出て、論争が行われている。


DNA解析に素人の私があれこれ言っても始まらない。とはいうものの、この問題について人一倍関心が強い。


そこでDNA解析が現れる前に私がより所とした知見、それも文献資料なのだが、あらためて明らかにしたい。


いまのところDNA解析という科学的な知見によって席巻されている「日本人のルーツ」論だが、科学が万能というわけではあるまい。あらためて積み重ねてきた文献資料についても明らかにしておきたい。


■マンモスを追って北海道に現れたヒト    古澤襄


シベリアのバイカル湖を二度にわたって訪れて以来、この地のブリヤート人が約二万年前にマンモスとともに極寒の時代を避けて東進して、一万三千年前には、シベリアのアムール川周辺に到達したとの仮説にとりつかれた。


この一万三千年前というのは地球が氷河期から温暖期に入る境目の時期になる。


太古の世界・・ヒトはマンモスやナウマンゾウを追って移動すると考えただけで心が躍る。シベリアにマンモスが登場したのは約400万年前から一万年前だという。(他に北米でも)


狩りにでたブリヤート人はこのマンモスを倒して食料にしていた。やがてマンモスも住めない極寒の時期になって、まず東進したのはマンモス。それを追ってブリヤート人も東進したのであろう。


やがてアムール川周辺に到達したマンモスとヒトは、地続きだったサハリン、北海道に現れる。日本では13点のマンモスの化石が発見されている。このうち12点が北海道。


ウイキペデイアによると残り1点は島根県日本海の海底約200メートルから引き揚げられた標本だという。


加速器分析計による放射性炭素年代測定が行われ、8点が測定可能で、得られた結果は約4万8000年前 ? 2万年前までであった。これらの結果から約4万年前より古い化石と約3万年前より新しい年代を示す化石に分けられ、約3万5000年前あたりを示す化石はなかった。


北海道から氷結した海を渡って本州にマンモスとヒトが現れたと思うが、マンモスに替わってナウマンゾウが生息していた時代ではないかと推測されている。


ナウマンゾウについては長野県の「野尻湖ナウマンゾウ博物館」が有名。1962年から「野尻湖発掘」が始まって、約5万年の昔から現在に至るまでの、野尻湖周辺の自然環境を研究・展示している。


■日本人のルーツ・ブリヤート人? 古沢襄


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「ブリヤート人」の記載がある。まだ書きかけの記載なので、断片的なそしりを免れないが、北アジアの歴史に関心がある方は、一応は目を通しておく必要がある。


さらには司馬遼太郎氏の「ロシアについて 北方の原形」は、北アジアの歴史に関心を寄せた司馬作品の覚え書きとも言うべきものである。「坂の上の雲」や「菜の花の沖」を執筆した七年余り、司馬氏はロシアの特異性について考え続けたと言っている。


司馬氏は大阪外語蒙古学科を出て、産経新聞の記者だった時期がある。ロシアをみる眼は、もう少し広いモンゴルという北アジア史的な観点があることは「ロシアについて」を読み出せば気づくであろう。


その中で、<シベリアには森林(タイガ)や河川で原始的な狩猟採取の生活をしているひとびとだけでなく、大小の遊牧集団も住んでいた。その最大のものが、バイカル湖畔に遊牧するブリヤート・モンゴル人だった。低地モンゴル人といってもいい。だからモンゴル高原のモンゴル人(古沢注記=高地モンゴル人)とは、別に考える必要がある。>と述べている。


また<バイカル湖を中心に展開する高地には、古代中国の視野に、丁霊、堅昆、高車といった諸遊牧国家が存在していた。やがてかれらは匈奴に屈服し、併合された。(中略)バイカル湖西方のイエニセイ川右岸草原にミヌシンスク遺跡が発見され、これによってシベリアに紀元前三〇〇〇年というふるい時代に西方のオリエント文明の影響をうけた青銅器文化が存在していたことがわかった。>と指摘している。


「ロシアについて」は1986年の作品である。佐賀医科大学がDNA鑑定によって「日本人はバイカル湖畔のブリヤート人との共通点が非常に多く、朝鮮人、南中国人、台湾人などと共通する特徴を持ったのが各1体だったのに対して、ブリヤート人とは17体近くが共通していた」と発表したのは2001年。司馬氏はブリヤート人が日本の祖先という科学的分析を知らなかったわけだが、ブリヤート・モンゴル人にこれだけの関心を示していた。


バイカル湖が日本人の有力なルーツであるという古い言い伝えは、東北の野史に残っていた。東北の古代史伝承の研究家だった上野昭夫氏は、岩手県衣川村の資料室に保存されてきた四百編余りの厖大な「衣川資料」から日本列島の先住民族は、アムール川から氷海を渡ってサハリンに着き、無人の北海道に渡って、本州の東南端の津軽にきた記述を発見している。


衣川は「続日本紀」で紀古左美が蝦夷攻略に基地となったことで知られている。「衣川資料」は玉石混淆のきらいがあるので、中央の歴史学会では重視されてこなかったが、次の記載は縄文人の南方起源説を覆す文献資料として再評価されねばならぬ。


<古きより山靼神なる信仰あり。複拝の信仰なり。(古沢注記=十二神をあげているが、その中にブルハン神がある。)ブルハン神は古代モンゴル四辺の民の神なり。この神は海・湖・沼などの一切にて、この神の鎮座するはバイカル湖にして常在すると曰う。バイカル湖の古称はブルハン湖である。


興味がある方は上野昭夫著「陸奥史略」上下二巻・平成9年刊を読まれるといい。


ここで一つの問題提起をしたい。バイカル湖には二度、足を運んだ。司馬氏も1970年代にイルクーツクからモンゴル人民共和国への旅をしている。そこで日本人と変わらないブリヤート・モンゴル娘の通訳を雇っている。ウラジオストックにあるソ連極東大学の学生だったが、聡明で誇り高い女子学生に驚嘆を隠していない。


私も10年前に初めてシベリア旅行をした時にイルクーツク大学の日本語学科の女子学生の世話になった。日本の富山大学に留学の経験があるブリヤート・モンゴル娘だったが、毅然として美しく、聡明な人となりに魅了された。


しかしバイカル湖周辺は約二万年前に人もマンモスも住めない極寒の時代を迎えて、ブリヤート人は東進を始めている。この人たちは一万三千年前には、シベリアのアムール川周辺に到達し、さらに地続きのサハリン、北海道を経て、まず本州の津軽地方に姿を現した。


一万三千年前というのは地球が氷河期から温暖期に入る境目の時期になる。日本列島に渡ったブリヤート人は海を渡ってシベリアの大地に戻るよりも日本列島を南下し、縄文人の祖先となったと考えるのが妥当であろう。


それでは縄文人のDNAと現在のブリヤート人のDNAが一致するのは何故だろうか?

素人判断をすれば、氷河期のブリヤート人は東進する道のほかに、南下する道もあったのでないか。そこには極寒であったかもしれないが、夏には草地が甦るモンゴル平原が広がっている。温暖期に入って故郷であるバイカル湖周辺に戻り、匈奴の祖先である丁霊、堅昆、高車といった遊牧国家をきずいたのではないか、と考えるのが自然のように思う。


北アジア史はほとんど手つかずのまま解明されていない。日本の護雅夫氏ら研究者の学術研究が一番優れていると言っていい。東大名誉教授だった護雅夫氏は「古代トルコ民族史研究」機↓兇箸いβ臙を残している。戦後の突厥史研究など研究論文の集大成といえるが、ソ連のモスクワ大学、トルコのイスタンブル大学の客員教授など研究活動は国際的であった。


ブリヤート人が古代トルコ民族とモンゴル民族の混血種という見方を公にした研究者であった。司馬氏が「紀元前三〇〇〇年というふるい時代に西方のオリエント文明の影響をうけた青銅器文化が存在していた」と言ったのは、古代トルコ民族がもたらしたと解釈するのが妥当であろう。それは中国文明に影響されない独自の文化である。


もっともブリヤート人はバイカル湖の東に住む者と、西に住む者とでは、かなりの違いがある。東に住む者は、固有の文化を維持し、ロシア人との混血が進んでいないのに対し、西に住む者は、生活がロシア化され、ロシア人との混血が進んでいる。(この項はウイキペデイアによる)


私や司馬氏が接したブリヤート娘は、ロシア化され高度の教育を受けたブリヤート人だったのであろう。このブリヤート人は極東大学やイルクーツク大学を卒業すると北海道大学や富山大学に留学してくる。


人類学者は日本人とブリヤート人の共通点として、耳垢が湿っている点を指摘している。中国の江南や朝鮮半島から渡来した弥生人には耳垢が乾いた人が多い特徴があるという。耳垢が湿っている日本人は縄文人の特性を持ち、耳垢が乾いた日本人は弥生人の特性を持つというのは、にわかに信じ難いが面白いことだと思う。


<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>

| 古澤襄 | 01:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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