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書評「三浦小太郎『渡辺京二』(言視舎)」   宮崎正広

■不思議な思想家、渡辺京二を論じた初めての大型評伝 西郷隆盛、宮崎滔天をなぜ彼は熱心に論じようとしたのか?

  
<三浦小太郎『渡辺京二』(言視舎)>


浩瀚394ページもある渡辺京二の評伝である。この未踏の分野に三浦氏が正面から挑んだ。それも重厚に複層的に。


評者(宮崎正広)は渡辺京二の良き読者ではない。いや正直に言って本棚にあるのは一冊だけ、『逝きし世の面影』である。


悲壮な浪漫が漂う作品として右翼系の人から勧められたのだが、途中で「何かが違う」と思ってページを置いたままだった。


渡辺京二なる作家人は、浪漫派の色彩を色濃く漂わせながらも、じつはまったく日本浪曼派とは無縁である。保田輿重郎とも、淺野晃とも林房雄とも隔絶しており、かと言って檀一雄のような無頼の薫りもしない。


まさに日本浪曼派とは人脈的には対極にあり、大連から引き上げ、共産党に入党し、お定まりのように六全協で共産党と袂を別つ。文学的な師は、吉本隆明、そして谷川雁である。


この大連に渡辺京二の原型があると三浦氏は次の点を強調される。


「大連は自由と近代とともに、その何れもが滅んでいく週末観をも渡辺に教えた。この終わりの風景を、渡辺は自分が其れを振り切ろうとして、ついに振り切れずに還っていく原風景であること(中略)。ニヒリズムではなく、また個人的体験の絶対化でもない」


この三浦氏の渡辺京二伝を読んで、やはりそうか。西郷隆盛の評価が保守的な言論人のそれとは異質の言語空間、というより異次元の思想空間にあるのではと訝しんで、読み進むうちに橋川文三との?がりをしって、ある程度、了解できた。


渡辺京二氏は熊本在住ゆえに、神風連には深い関心をもっている。宮崎滔天兄弟に共鳴をおぼえるというのも、彼は日本人である前に熊本県人だったからという示唆も納得がいく。


しかし彼の神風連評は熊本で『日本談義』を主宰した荒木精之とも、荒木氏が神風連の精髄を教えた三島由紀夫とも異なり、まして熊本が産んだ蓮田善明に関しては一行も記述がない。


西南戦争における西郷の虚無感と大久保との対立は思想対立の軸で描かれ、そうした視点では井上清ら左翼の条件反射的な陳腐な解釈を越えている。


よみながら、そうか、この人は葦津珍彦氏に近いと思った。そうすると、全編がするすると脳裏に溶け込んでゆく気がした。


たとえば渡辺は東京での編集者生活に一種挫折し、熊本は帰省したが、そこで雑誌をつくり石牟村礼道子を発見する。ともに水俣病闘争に明け暮れる日々だが、このチッソとの闘いは左翼的な企業悪や環境保護という隠れ蓑の闘いではなかった。渡辺の原点は山本周五郎、その「義理と人情」にあるというのだ。


渡辺はこう書いている。


「私にとって重要なのは、義理人情けとは日本の伝統的な民衆の共同性への見果てぬ夢だという事実である」(『新編 日本近代の逆説』所載)。


これに対して三浦氏はいう。


「このような意味での『義理人情』は、元々人間の共同性は決してそのようなものとしては存在しえないという前提の上に『見果てぬ夢』として現れる」


渡辺は阿部一族を書いた森鴎外に、そしてドストエフスキーへのめり込み、神風連へと行き着くのである。

 
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