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発覚した「太っちょグマ」こと金正男暗殺計画   古沢襄

■高英姫は「事故」で重体 後継者めぐる暗闘の行方は…


金正日(キム・ジョンイル)の2001年夏の長期ロシア訪問では、秘書らしき若い女性の姿が目撃された。案内役を務めたロシア極東連邦管区大統領全権代表、コンスタンチン・プリコフスキーは、手記に「彼女はとても魅力的だった。私が金正日と話すとき、いつも隣に座っていた」と記している。


プリコフスキーは、韓国メディアの取材に、女性は正日の長女、金雪松(ソルソン)だったと答えた。正日の正妻、金英淑(ヨンスク)との娘で当時、26歳。露日刊紙、コメルサントは「品位にあふれ、美しく、教養があり、父(正日)の個人秘書として活動し、中佐という軍人の階級を持っていた」と報じた。


父のスケジュールや健康の管理を任されていたとみられ、北朝鮮女性には珍しい、腰まで届く長い髪が清楚(せいそ)さを醸し出していた。


「上の2人は政治に無関心だ」


プリコフスキーとの雑談で、金正日は「娘(雪松)も後継者(候補)の一人だ」と話し、家族の写真を見せながら続けた。


「私には、(他に)4人の子供がいるが、下の2人が政治に関心が強い。上の2人は政治には無関心だ」


上の2人とは、成恵琳(ソン・ヘリム)との長男、金正男(ジョンナム)=当時(30)=と、高英姫(コ・ヨンヒ)との次男、金正哲(ジョンチョル)=同(19)。


下の2人とは、英姫が産んだ三男、金正恩(ジョンウン)=同(17)=と末娘の金与正(ヨジョン)=同(13)=のことだ。


この年の5月には、正男が別人名義の旅券で日本への不法入国を図ったとして、成田空港で妻子とみられる男女とともに拘束され、強制退去となる事件が起きた。「息子にディズニーランドを見せるため」だったとも伝えられたが、それだけではなかった。


当時、正男は、朝鮮人民軍大将の肩章を付けた制服での活動も確認され、ミサイル輸出事業に深く関与していたとされる。正日の秘密資金を管理する朝鮮労働党「39号室」の幹部として、マカオにある傘下企業「朝光貿易」の総責任者を名乗ることもあった。


北朝鮮がイラクに輸出した肩持ち式対空ミサイルSAM16A300基分の代金回収が訪日の本来の目的だったようだ。正日から委任され、イラク軍からの送金をスイスや香港、シドニーで回収し、最終任務地が東京だったという。


所持していたのは、ドミニカ共和国が正式に発行した旅券で、名義は「PANG(パン) XIONG(ション)」、中国語で「胖熊(太っちょグマ)」の意味だ。生年月日は1971年5月10日、名前を除き、全て「本物」だった。


「正男の逮捕(拘束)劇は、姉の作品(仕業)だろう」。98年に米国に亡命した英姫の妹、高英淑(ヨンスク)は、米中央情報局(CIA)関係者にこう語ったという。


10種類のパスポートを使い分け、世界中を自由に飛び回っていた正男が突然、拘束された裏には、英姫と周辺勢力の画策があったというのだ。正男の行動経路をCIAにひそかに流し、日本側に情報が渡ったのが真相だとみられている。


「オモニは最高司令官同志に限りなく忠実」


「威勢のよい金正男にやられまいと、91年ごろから姉は、金正日書記(当時)の絶大な信頼を得ている金容淳(ヨンスン)を味方につけた」と高英淑は説明する。


高英姫は、自分が産んだ子供が後継者レースで、金正男に打ち勝つため、まず、国際担当党書記だった金容淳にプレゼント攻勢を仕掛けた。幹部人事を仕切る党組織指導部第1副部長の李済剛(リ・ジェガン)や、軍「制服組トップ」の総参謀長、金永春(ヨンチュン)らの支持取りつけにも成功する。


世界中に“醜態”をさらした正男拘束事件を契機に“高英姫派”による後継者擁立の動きは加速する。


《尊敬するオモニ(母)は、敬愛する最高司令官同志(正日)に限りなく忠実な忠臣中の忠臣だ》。2002年夏には、こう題した講演資料が軍内で印刷され、出回った。「オモニ」は英姫を指した。韓国の情報当局は、次男の金正哲を後継者に擁立する動きだと受け止めた。


正哲は1993〜98年にスイスのベルン国際学校に留学。勉強に専念せず、留学途中に帰国した正男とは違い、学業を全うしたという。正哲について、当時の校長は「スポーツ好きで、ユーモア感覚もある誠実な生徒だった。特に数学に熱中した」と振り返る。同級生の証言では、「スキー場にも毎週行き、好きなアクション映画の格闘シーンをまねたりして遊んだ」。


2001〜06年には、金日成(イルソン)軍事総合大学の特設クラスで軍事学を学ぶ。脱北した元党幹部によれば、02年後半には、党組織指導部内に《金正哲同志の事業体系を打ち立てよう》というスローガンまで登場する。


03年に入ると、秘書室の日誌を講習会で披露する形で、正日の「お言葉」が公になる。「正哲同志について組織指導部での実務学習の後、6カ月間の高級党学校課程を終えさせるように」との指示だった。正哲に後継者修行を命じているとの印象を与えるものだ。


正日自身の意思をどれだけ反映したものか、幹部の過剰忠誠によるかは定かでないが、正哲の後継者擁立が既定路線のようにみなされていく。そうしたなか、正哲の周囲で、不可解な「事故」が相次ぐ。


■シカ肉と朝鮮ニンジン…「大将さま」の贈り物


03年6月、金容淳が交通事故に遭い、10月に死亡する。9月には、高英姫が交通事故で重体となる。高英淑は、がんが原因で意識不明に陥ったとの外国報道を否定した上で、こう断じたという。


「結論は一つしかない。誰かの教唆を受け、運転手が故意に事故を起こしたのだろう。背景には、金正男がいる」


軍部内には、長男である金正男の追随者が多かった。当時、軍中枢の幹部らに「大将」名義で、シカ肉と朝鮮ニンジンが贈られたことが確認されている。元軍将校の崔周一(チェ・ジュイル=仮名)の証言によれば、軍部内では、金正日を「将軍さま」、正男を「大将さま」と呼んだが、「大将さまの贈り物」が届いたのを覚えているという。


金日成時代から金一家の警護を担い、元帥として軍に影響力を保持した李乙雪(ウルソル)ら老幹部が正男の後ろ盾となった。何より党・政・軍に広い人脈を持つ叔父の張成沢(チャン・ソンテク)が正男を支援した。


英姫と正男、その支持者らによる暗闘は、04年の英姫の死去で収束するかに思えた。しかし、同年12月、ウィーン滞在中の正男を狙ったとされる暗殺計画が明るみに出て、世間を騒がす。正哲と正恩兄弟を推す勢力が背後で動いたという見方が支配的となる。


事件発覚から間もなく、正日は「後継者問題を口にする者は野心家だ。(後継者問題は)議論も、提起もするな」と指示したといわれる。後継者問題は、しばらく“タブー”として封印されることになる。=敬称略(龍谷大教授 李相哲)


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