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「ノモンハン」77年後の日露   平井修一

菩提寺の山門をくぐったところに大きな石碑がある。表には「陸軍砲兵准尉 勲七等功六級 横山梅吉之墓 陸軍大佐 入江元書」とあり、裏面にはこう刻まれている。


忠剛院殉義梅光居士


君ハ昭和八年一月現役兵トシテ野戦重砲兵第一聯隊ニ入隊 同九年十二月砲兵伍長ニ 同十三年八月砲兵曹長ニ任セラル 同十四年初夏満蒙国境 「ノモンハン」ニ於テ日「ソ」ノ間ニ紛争起ルヤ三島部隊ニ属シテ出動 「ハルハ」河畔ノ戦闘ニ参加シ勇戦奮闘武功赫赫タリ 偶偶同年八月二十七日「イリンギンブルードロ」附近ニ於テ「ソ」軍機械化部隊ト激戦ヲ交ユルニ方リ 君ハ率先陣頭ニ立チテ奮戦中敵弾ヲ被リ壮烈ナル戦死ヲ遂ク


昭和十六年十一月 横山亀吉建立(以上)


亀吉さんは梅吉さんの父上か兄上だったかもしれない。合掌。


そう言えば多摩川畔で料亭を営んでいた「鰻屋」(屋号)のオジサンは横山姓だったから、梅吉さんは小生の遠戚かもしれない。以下ウィキから。


<ノモンハン事件は、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争で、1930年代に大日本帝国とソビエト連邦間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙 国境紛争)のひとつ。


満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となっ た大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。


(平井:梅吉さんが戦死した8月27日前後も日本軍は大いに苦戦していた)


反撃に兵力を抽出したため、日本軍の側面と背後はがら空きになった。北から回り込んだソ連軍左翼は8月23日には日本軍の後背に出て、26日にバルシャガル高地の背後にあった砲兵陣地を蹂躙した。


南で反撃を退けたソ連軍右翼も、27日にノロ高地を支援する日本軍砲兵部隊を全滅させた。(平井:梅吉さんはこの戦闘で倒れたのだろう)


前線の日本軍諸部隊は、背後に敵をうけて大きく包囲され、個々の陣地も寸断されて小さく囲まれた。限界に達した日本軍部隊は、夜の間に各個に包囲を脱して東に退出した。


すなわち26日夜にノロ高地の第8国境守備隊が後退し、ついで戦場外に退出した。29日夜にはバルシャガル高地の第64連隊が脱出した。小松原第23師団長は第64連隊救援のため自ら出撃したが、これも31日朝に後退したのを最後に日本軍は係争地から引き下がり、主要な戦闘は終了した。


この作戦の間、ソ連陸軍は自国主張の国境線の内にとどまったため、退出した日本軍諸部隊はその線の外で再集結した>


ノモンハン事件は双方で数万人の死傷者が出た。被害は、


日本軍:戦死8,440、戦傷8,864、戦車約30輌、航空機約160機
ソ連軍:戦死9,703、戦傷15,952、戦車及び装甲車輌約400輌、航空機約 360機


<1990年代以降、ソ連の崩壊に伴いソ連軍の損害が明らかになると、ソ連軍の損害を少なく隠蔽していたことが明るみになった。またロシア側により発見された史料による「日本側の被害」は日本側が公表している数値よりもはるかに多い人数をあげており、互いに相手に与えた損害を過大に見 積もっている。


日本軍は決して惨敗したのではなく、むしろ兵力、武器、補給の面で圧倒的優位に立っていたソ連軍に対して、ねばり強く勇敢に戦った、勝ってはいなくても「ソ連軍の圧倒的・一方的勝利であったとは断定できない」との見解が学術的には一般となっている。


(歴史家の)秦郁彦も「一般にノモンハン事件は日本軍の惨敗だったと言われるが、ペレストロイカ以後に旧ソ連側から出た新資料によれば、実態は引き分けに近かった」として、


「損害の面では、確かに日本軍のほうが少なかった」「領土に関していえば、一番中心的な地域では、ソ連側の言い分通りに国境線が決まったが、 停戦間際、日本軍はその南側にほぼ同じ広さを確保してしまう。それがいまだに中国とモンゴルの国境問題の種になっている」と指摘している>(ウィキ)


戦争は実に嫌なものだが、戦争でなければ決着できない場合がある。日露は2回の戦争と冷戦で、日本は2勝1敗、ロシアは1勝2敗。お互いに「嫌な奴、恐ろしい奴」と思っており、プーチン・ロシアは「油断ならぬ、食えぬ奴」と多くの日本人は警戒しているから、ロシア人も日本を「島国の小国なのに油断も隙もありゃあしない」と警戒しているだろう。


お互いに仮想敵と警戒しており、ロシアが北方4島を返さない限りは平和条約はあり得ないし、極東の開発に日本が積極的に協力することもあり得ない。西側の経済制裁や原油安でロシア経済が長期衰退をたどるだろう今後は、領土問題解決の機会が訪れるかもしれない。


岡崎研究所の論考「経済低迷で改革不可避のロシア」(ウェッジ1/21)から。


<プーチンの任期は、2018年まであり、2018年に再選されれば、2024年まで大統領です。それを実現するために、プーチンは改革先送り、対外冒険主義を実施していますが、それが裏目に出て、経済困難に伴う国民の不満に直面することが十分にあり得ます。


プーチン政権の2024年までの継続を与件として考えることは間違いにつながりかねません。ロシアでは欧化主義者とスラブ主義者が交代しながら、政権を担ってきた歴史があります。今でも欧米とうまくやっていくことが ロシアにとって良いとの意見は多いです。そろそろ欧化主義者の出番が来ているようにも思われます>


「ノモンハン」から77年。お互いに敵視するのは疲れるし非生産的だ。「北方の小さな島よりも大陸の1.4億人の生活が重要だ、小異を捨てて大同に付け、日本の力を借りよう」という声がロシアから上がってくるかもしれない。ロシアにとってその方がはるかに国益になると思うのだ が・・・(頂門の一針)


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