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夢の中で田舎教師になっている自分   古沢襄

居間の室温は16度。これが明日の朝は10度以下になりそう。このところ暖かい日が続いたので、居間も病室も灯油ストーブのタンクは空のままになっていた。


とりあえず二つのタンクを満タンにして明朝に備えることにした。愛犬バロンとの散歩は七時過ぎにしよう。こんな心配は平和な毎日を送っていればこそ!と思っている。


東京での戦時中は毎日、庭の防空壕で寝ていた。母は湿気がある防空壕を嫌がり、「いつ死んでもいいの」と言って家の中で寝ていた。


それが近くの東郷神社にB29が爆弾を投下した。それこそ庭に爆弾が落ちたような音。母は腰を抜かして押し入れに逃げ込んだ。「もう空襲は終わったよ」と言っても押し入れから出てこようとしない。


同じ経験は信州の上田でもしたことがある。B29の爆音は小学校の頃から講堂で聞かされていた。上田にもB29が飛来して郊外の工場に爆弾を投下。聞き覚えたB29の爆音だから部屋の電気を消したが、祖母が「何をするの!」と電気をつける。


その中に爆弾投下。祖母は腰を抜かして動けない。祖母を負ぶって近くの防空壕に駆け込んだ。「士族の出」が自慢の祖母だったが、こうなるとだらしがない。孫の私の背中にしがみついて震えるばかり。


東京で連日の空襲騒ぎを経験してきたから、爆弾なんて直撃でないかぎり怖れても仕方ない。中学二年生だったが、戦時中の私たち男世代には共通した死生観があった。


敗戦後、中学三年生の時に一人で信越線に乗って上京した。汽車の中で上田中学の卒業生と一緒になった。予科練の復員だという上級生だったが、「まだ戦えるのに何で降伏するのだ」と悲憤慷慨している。


私も同じ気持ちだったが、上京して住み慣れた東京牛込区に行ったら、一面の焼け野原。父や母に連れられて、よく行った神楽坂は全部焼けていた。


悄然として疎開先の上田に帰った記憶だけが鮮明に残っている。


中学四年から旧制高校を受験できる最後の年だったので、仲間と旧制松本高等学校を受験したが、上田中学四年の同級生たちは全員が落ちた。


仕方がないので翌年、「専門」と多少はバカにしていた上田蚕糸専門学校を受験する気になった。お蚕さんを相手に勉強し、田舎の親戚から嫁を貰って、のんびりと人生設計をするつもりでいた。


それが、どう間違ったのか政治ジャーナリトになったのだから、人の一生なんて分からない。いまも夢の中で親戚から嫁を貰い、田舎教師になっている自分が出てくる。


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| 古澤襄 | 23:12 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |







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コメント
84歳にもなると、亡くなった人が夢によく出てきます。10歳代の少年時代、大人だった人がいま生きてる訳わない、当然といえばそのとうりなのだが、そうとうくない日に、孫の夢に僕が出てくるのだろう、と思ってます。
| 大橋圭介 | 2016/02/15 8:49 AM |
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