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幸村の非凡な才覚を見抜いた上杉景勝    古沢襄

19歳の真田幸村にも人質として越後の上杉に差し出された流転の日々があった。徳川の大軍が上田城に迫っていた天正13年(1585)夏、幸村の父・昌幸が上杉の支援を求めて、幸村ら100余騎が越後領の海津城に送られた。


上杉家の本城がある春日山で幸村を一目見た上杉景勝は、その非凡な武将ぶりに惚れ込み人質というより上杉武将という破格の扱いで遇している。


■真田幸村と上杉景勝、直江兼続 2009.03.19 Thursday name : kajikablog


NHKの大河ドラマ「天地人」は面白い。だが私の関心は、いずれ出てくる筈の真田幸村が上杉景勝の人質となって越後の海津城に入った天正13年(1585)にある。真田と縁が深い信州・上田で少年期を過ごしたこともあって、幸村に関する資料はかなり集めている。


真夏に信州を出立した幸村は矢沢三十郎頼幸ら100余騎の家臣団を率いて上杉領の海津城に着いたのは八月二十八日頃。これは海津城の須田満親が矢沢綱頼(頼幸の父)に宛てた書状が二十九日付けだったからである。


書状には「今度、御証人として御幼若の方、越し申され、痛み入り存じ候」とあって、主人の上杉景勝にも報告書状を送ったと記されてある。あるいは幸村一行が海津城に入ったのは二十九日のその日かもしれない。


幸村は永禄十年(1567)の生まれだから数えで十九歳。十五歳で元服は済ましているが、村上義清配下の武将・須田満親からみれば”御幼若の方”といった感じだったろう。幸村を上杉の人質に差し出したのは、徳川の大軍が上田城に迫っているために、幸村の父・真田昌幸が上杉の支援を求めた代償である。


幸村は間もなく海津城から上杉家の本城がある春日山に赴いた。「幸村若年のため矢沢三十郎が軍代として付き添い、海野、望月、丸子の上田勢100余騎が春日山に勤仕する。(真武内伝)」とある。


その日のうちに幸村を引見した景勝は、屋代秀正の遺領のうち千貫文を幸村に与え、人質というよりは上杉武将という破格の扱いで遇している。一目で幸村の器量を見抜いた。九月に景勝は新発田治長攻めの軍を起こした。幸村の軍代・矢沢三十郎は上田勢100余騎を率いて参陣し軍功を立てた。


歴史には「もしも・・・」は禁物だが、幸村が上杉家臣のままでいたら、大阪夏の陣で討死することもなかったろう。「真田は日本一の兵(つわもの)」の武名は残さなかったかもしれないが、幸村の知略と才覚は別の形で残ったかもしれない。多分に贔屓の引き倒しになるのだが・・・。
 

景勝は天正十四年(1586)六月に上洛し、秀吉と会見し、養子の上杉義真を人質として差し出して臣従を誓った。その留守中を狙って、真田昌幸は幸村を呼び戻し、今度は秀吉に幸村を人質として差し出した。


戦国の世とはいえ、幸村は人質として流転の人生に翻弄されている。昌幸の不実に怒った景勝は秀吉に幸村を返してくれるように申し入れたが、秀吉は取り合わなかったという。(藩翰譜)


それだけ景勝は幸村の知略と才覚を買っていたことになる。


軍神・上杉謙信の後継者という損な役回りだった景勝だが、直江兼続の重用といい、人を見る目は優れていたことになる。幸村と直江兼続の出会いと交友については資料がないので何ともいえない。


ついでながら景勝は秀吉の許しを得て、本間家が支配している佐渡島を攻めている。直江兼続もこの戦に加わった。二・二六事件に連座して刑死した北一輝の母は滅ぼされた本間家の血筋。俳優の丹波哲郎の妻・貞子、その従妹の私の女房にも本間家の血が入っている。


この本間家は武蔵七党横山党海老名氏流。関東の出である。本間の名は相模国愛甲郡依知郷本間に由来している。鎌倉時代の初期に佐渡国守護となった大佛氏(執権北条氏の支流)の守護代として佐渡に渡った一族。


「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と唄われた山形県の本間一族は、戦前には日本一の大地主で知られたが、滅ぼされた佐渡の本間家の分家と言われている。


上杉謙信以来、越後で勢威を振るった上杉家だが、景勝が石田三成側に立って、徳川家康と対立したために関ヶ原の戦いの後、越後百二十万石から会津三十万石に転封されている。景勝の佐渡討伐で抵抗した本間家の武将たちは、佐渡平定後、土着して農民となっているが、いち早く景勝側についた本間支族もあった。


この本間支族は佐渡を離れて、上杉家とともに越後、会津、米沢と移っていった。それが日本一の大地主なったのだから栄枯盛衰が面白い。一方で佐渡の本間家の血を引く革命家・北一輝が生まれている。歴史の彩なす不思議さといえる。


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| 古澤襄 | 07:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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