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幸村戦死の報が伝わっても真田の兵は退かず   古沢襄

真田幸村の人なりを、最後の花火のような美しさゆえに、長く後世にその名がうたわれた。幸村の実兄・信之は家康の家臣だが、「山口休庵咄」に「幸村は物ごと柔和・忍辱にして強からず。ことば少なにして怒りはら立つ事なかりし」といった。


その幸村が家康の本陣に最後のたたかいを挑んで、「御所様(家康)の旗本たちは追い散らされ、討ち取れるもの多し」。


元和元年(1615)五月七日、幸村は真田の兵一二〇〇を率いて家康の本陣に襲いかかった。二度まで家康の本陣を追い崩したが、真田隊のほとんどが戦死し、幸村も負傷している。


「真武内伝」によると残兵を率いた幸村は、さらに旗本近くに斬っていり、力尽きて戦死している。享年49歳。


幸村戦死の報が伝わっても、真田の兵はたたかい譜代の士百四十五人が退かず戦死している。幸村が戦死した場所は茶臼山の北、安居神社(天正寺区逢坂上之町)といわれ、この地に「真田幸村戦没之地」の碑が建っている。


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