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敗戦の日本に遺した武田麟太郎の「弥生さん」   古沢襄

あと五日間で四月が終わる。世間はゴールデンウイークがくると賑わうのだろうが、私にとっては昭和21年5月3日に父・古沢元がシベリアのウランウデ陸軍病院で死去した命日に当たる。


岩手県沢内村(現西和賀町)の菩提寺に建立された古沢元・真喜夫婦作家の文学碑の前に額ずき、親しい仲間と文学碑忌をこの20年来催してきたが、昨年は秋まで長期入院をかこつ身体となったので、ことしこそは東北に行くつもりでいる。


文学碑忌の後は二〇人ほどの仲間と語り合う場が設けられ、それがまた私にとって楽しいひとときになる。


昨年の大病もさることながら八十三歳になったので、あとどれだけ生きるのか、と思ったりする。


戦後70年、敗戦直後の世相からいまは大きな変革の時代に直面している。その思いを二つことしは仲間たちに語ろうと考えている。読者たちも時代の変革をひしひしと感じているのであろう。


4月25日のブログ・トップ5で黒田勝弘さんの「.愁Ε襪らヨボセヨ 腹いせ?の日本非難」が一位。またひさしぶりに平井修一さんの「ぅ廖璽船鵝Ε蹈轡△硫昏」が四位で多くの読者の関心を呼んでいる。


.愁Ε襪らヨボセヨ 腹いせ?の日本非難 黒田勝弘
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出頭の40歳男逮捕=9日飛行か   古沢襄
ぅ廖璽船鵝Ε蹈轡△硫昏   平井修一
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私が仲間たちに話そうと思っている一つは昭和作家・武田麟太郎の遺作ともいうべき「弥生さん」の作品。


<小泉内閣の当時に北朝鮮による拉致事件が白日の下に明らかになった時に右傾化の動きが出ると感じたことがある。安倍内閣の誕生によって、それが顕在化している。杜父魚ブログが五〇〇〇台で低迷した時から一万台に向かって離陸した時期と重なっている。


敗戦によってGHQによる占領政策の下では、右傾化は戦前回帰の危険思想として排除されてきた。国民も戦前の軍国主義が台頭することは望んでいない。


だが戦前の軍国主義と、日本が自主・独立傾向を示すことは別物である。二〇〇〇年の悠久の歴史、伝統、文化を持つ日本を大切にする心は非難されるいわれはない。建国の歴史が浅いアメリカが、軍政のもとに戦前と戦後の歴史を遮断しようとしても、それは軍政が解かれれば、徐々に戻るのは政治の力学からいって、当然の帰結である。


話は変わるが、戦前の一九二九年に『文藝春秋』に「暴力」を発表して、プロレタリア作家としてデビューした武田麟太郎が、プロレタリア文学への弾圧を経て、「市井事もの」の世界を切り開き、時代の庶民風俗の中に新しいリアリズムを追求する独自の作風を確立している。


敗戦の翌年に肝硬変で四十二歳の若さで死去したが、この年に「弥生さん 東京出版 1946」を書いた。B29の無差別空爆で廃墟と化した東京で、凜として美しい若妻の生き様を描いた作品だが、そこに伝統ある日本の再生を託した武田麟太郎の心情が溢れている。再生を信じて疑わない武田麟太郎の"遺書”だと思って、折りにふれて「弥生さん」を読み返している。奇しくも古沢元が亡くなった年にタケリンも死去している。


武田麟太郎と親交があった写真家の土門拳と会ったことがある。無名時代の土門拳が遺した古沢元・真喜夫婦作家の写真十一枚を拙著で使用する許しを得るとともに、この秘蔵作品を東北の古刹に保存・展示する許可を得た。


土門拳が武田麟太郎を語ると、時には熱し、時には深く沈み込む。亡き武田麟太郎を偲ぶ「武田麟太郎の会」で追悼の挨拶をしているが、いつになく不機嫌でにこりともしなかったと、水上勉は回想していた。どこにもぶつけようがない寂寥した想いに駆られて、土門拳は会が終わると早々に姿を消している。


その土門拳もリアリズム写真を追求したが、やがてはライフ・ワークとなった「古寺巡礼」全五巻に回帰していった。そのまえがきに「ひとりの日本人の、みずからの出自する民族と文化への再確認の書であり、愛惜の書」と書いた。


日本はギリシャの神々を高らかに歌い上げた「ギリシャ神話」に少しもひけをとらない「古事記」という古典文学を伝承文化として持っている。占領下の軍政の下で「古事記」は皇国史観だと非難され、戦後久しく顧みられなった。


しかし芥川賞の受賞作家である田辺聖子が、その著作で「古事記は玄妙な魅力で、人々の心の夢をゆすぶる、すべての日本文学の”出できはじめの祖(おや)”」と高く評価して、半世紀の歳月を経て復権を果たしている。


三島由起夫や石原慎太郎を出すまでもない。二〇〇〇年の悠久の歴史、伝統、文化を持つ日本人の心を大切にする主張が、主として文学者などから提起されている。この流れを右傾化の一言で片付けるのは勝手だが、多くの日本人の共感は得られないであろう。


「弥生さん」の小説のことを、もう少し書いておく。


弥生さんの話を書く・・・という書きだしで小説「弥生さん」は始まっている。タケリンは昭和十六年に報道班員として徴用されてジャワに送られた。西部ジャワの上陸作戦に向かう輸送船の中で佐々木一等兵と親しくなった。


佐々木さんはタケリンが帰還したら自宅に寄ってほしいと頼んでいる。東京の住所を教えられて、佐々木家を訪ねたらお母さんと嫁が留守を守っていた。その嫁が弥生さん。邸に古くからいた女中さんが、空襲が激しくなったので田舎に帰って、嫁と姑の二人が防空壕生活を送っていた。


その二人のやりとりを、さりげない筆致で淡々と描いている。タケリンは滅亡に瀕した日本を弥生さんという美しい女性に託して描いている。戦争は人命を奪うとともに、地上からすべての美しいものを奪おうとしている。


野田宇太郎氏は「人が家が、祖国が日一日と醜くなる時、作家は何を為すべきか、タケリンはその懊悩を弥生さんの小説にぶつけている」と解説している。この時期にタケリンは「美しきものを書く」と野田氏に言っている。


二千年の歴史の中で日本は、美しい伝統と文化を育んできた。敗戦によっても、その遺産は残されている。敗戦を予感していたタケリンは、その伝統と文化を失ってはいけないと弥生さんの小説で遺言として残したのではなかろうか。>


もう一つ語りたいのは、シベリアの物語。


栄養失調で死期を悟った古沢元は病床に見舞いにきた戦友たちに、「日本に帰ったら、スターリン・ソ連の真実を伝えてくれ」と激しく遺言を遺していた。


「日本人でありながらスターリンの走狗なった者も許してはならない」とも言った。


戦友たちは古沢元の遺言を手分けしてソ連兵に見つからないようにしてナホトカまで運んだ。


「古沢さんは新聞記者か政治家だと思っていた」


青森県の出身だった戦友が帰国して遺児である私に言った。そして急に頭を下げて「戦友たちが手分けして運んだ遺書はナホトカでソ連兵に没収されてしまった。申し訳ない」と謝った。


遺書は没収されたが、死の直前まで激しく抗議した古沢元の言葉は帰国した戦友たちによって祖国に伝えられた。私もそれをしっかり受け止めている。


「いまの日本政治の混乱は半世紀後には立ち直りますよ。伝統ある日本はそんなヤワな国ではではない」


私はそう言って、青森出身の父の戦友とどぶろくを飲んだ。


<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>

| 古澤襄 | 01:15 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |







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コメント
おとうさまの命日、遺書があったことを知り、心がやすまりました。いいお話を有難うございました。
| 大橋 圭介 | 2015/04/26 8:22 AM |
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