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コミンテルンの革命戦略   平井修一
尾崎秀実の真の姿は「完全な共産主義者」であり、その活動は同僚はもちろん妻にさえ隠し、自称「もっとも忠実にして実践的な共産主義者」として、逮捕されるまで正体が知られることはなかった。

コミンテルンの活動家となったきっかけは幼少の頃台湾に住んでいたときに感じた差別、大学時代に起こった「大正12年夏の第1次共産党検挙事件」「農民運動者の検挙事件」「大杉栄とその妻子の殺害事件」などから刺激を受け、社会主義を開拓していくことに英雄主義的な使命を感じたからである。

その後、大学院に進学し「唯物論研究会」に参加、共産主義の研究に没頭することになり、完全な共産主義者となった。

(嗚呼、押入れを掃除していたらマルクスの「経済学・哲学草稿」が出てきた。500ページを超える本で、読んだ記憶はほとんどないのに、小生はびっしりと最初から最後まで棒線と書き込みをしている。差し入れの票が付いていたので刑務所で読んでいたのだ。

小生は横浜市立大学の最後のマルクス主義経済学徒だった。20歳前後できちんとした歴史教育を受けていれば、あるいは産経新聞でも読んでいれば中核派にならずに、せめて宮崎正弘先生の助手にでもなれたのにと、慙愧の思いに泣きたくなる。三島の嘆いた「ただの商人」になってしまったのだ。尾崎秀実=当時の岩波ボーイ=マルクスボーイと平井修一が重なる部分は多い)

尾崎は1928年(昭和3年)から上海に渡り、コミンテルンの一員として諜報活動に参加するようになる。最終的な目標はコミンテルンの最終目標である「全世界での共産主義革命の遂行」であり、具体的な活動内容は国内での暗躍および諜報である。

逮捕後の取調べでは、「我々のグループの目的・任務は、狭義には世界共産主義革命遂行上の最も重要な支柱であるソ連を日本帝国主義から守ること」と供述している。

さて、勝田吉太郎の「大東亜戦争とコミンテルン」の論考に戻ろう。

尾崎秀実に賛同して意識的に、あるいは無自覚的に共産革命を推進した人々の続きである(カッコ内は平井の追記)。実に人生いろいろだが、基本的には真っ赤である。

■中西功(なかにしつとむ、1910年9月 - 1973年8月。共産主義運動の活動家、中国問題の政治評論家。元日本共産党参議院議員。

1929年、県費生として上海の東亜同文書院に入る。学生運動を通じ、日支闘争同盟・中国共産主義青年同盟などに参加し、反帝国主義の活動を行う。

1932年に帰国し国内活動を行うが、1934年に満鉄調査部に入り大連に赴き、公然活動としては満鉄の調査業務として「支那抗戦力調査委員会」の主要メンバーとなり、中国の抗戦力を高く評価し日本の軍事活動を牽制する報告をまとめた。非公然活動では西里龍夫らとともに、中国共産党と通じ、毛沢東ら中共指導部へ情報を提供し、反戦活動、抗日活動などを援助していた。

1942年、ゾルゲ事件関連で「中共謀報団」として検挙され巣鴨拘置所に収容される。その後、治安維持法違反及び外患罪で起訴され、死刑を求刑される。1945年9月無期懲役の判決を受けるが、占領軍の釈放指令により1945年10月釈放される。

1947年の第1回参議院議員通常選挙に日本共産党から立候補し当選。しかし1950年1月、日本共産党の路線論争の中で党中央と対立し党を除名される。後に復党)

■西園寺公一(さいおんじきんかず、1906年11月 - 1993年4月。政治家。参議院議員、外務省嘱託職員、太平洋問題調査会理事など歴任。祖父は西園寺公望。

オックスフォード大学へ留学しマルクス主義の洗礼を受ける。1930年、同大卒業。東京帝大大学院に在学中、外務省の試験を受けて失敗。「英語は素晴らしくよくできたが、日本式の答案にはまるで不慣れ」だったのが原因だったが、これを聞いた近衛文麿は「折角きてくれるというのに、なんてもったいないことをするんだろう」と外務省の官僚主義を嘆いた。

1936年7月、米国で太平洋問題調査会が開かれることとなり、オックスフォード時代の顔見知りで内閣書記官を務めていた牛場友彦の誘いにより日本代表団の書記として渡米。このとき牛場から引き合わされて公一と同じ船室に入ったのが牛場の第一高等学校時代の同級生、尾崎秀実だった。

1937年に近衛文麿内閣が成立すると、近衛のブレーン「朝飯会」の一員として軍部の台頭に反対し、対英米和平外交を軸に政治活動を展開した。1940年9月には再度外務省嘱託職員となり、対米戦争回避のために努力した。

この時期、松岡洋右外相に同行してヨーロッパを訪問、スターリンやヒトラー、ムッソリーニとも会っている。1941年7月には内閣嘱託になり、近衛首相より、日米交渉について陸海軍の意見調整を図る、という任務を与えられた。

同年10月、昼食会の席上で尾崎秀実の逮捕を知る(ゾルゲ事件)。尾崎秀実とは共に近衛内閣のブレーンとしてさまざまな情報交換を行っていたため、それを「国家機密漏洩」であるとして、ゾルゲ事件に連座して禁錮1年6月、執行猶予2年の判決を受けた。

1957年に中共を訪問、同国の「民間大使」となり、家族を連れて中国へ移住、日中文化交流協会常務理事等として北京にて国交正常化前の日中間の民間外交に先駆的役割を果たした。

1958年には日本共産党に入党するも、のちに日中共産党が不和となった結果、除名された。

文化大革命を礼賛する言動を続けたが、文革が終結しその実情が暴かれ、さらに中国内で文革に対する批判がされた後は言論人としての立場を失った)

■平貞蔵(たいらていぞう、1894年8月 - 1978年5月。思想家。東京帝大在学中は新人会に属し、1922年、社会思想社の結成に加わり「社会思想」を編集。法大教授、満鉄参事などをへて1938年、昭和塾を創設、昭和研究会に参加、大来佐武郎らを育てた。大来は戦後日本を代表する国際派エコノミストであり、外務大臣(第108代)などを務めた。

■笠信太郎(りゅうしんたろう、1900年12月 - 1967年12月)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説主幹。

東京商科大卒、1928年4月、マルクス主義研究のメッカといわれた大原社会問題研究所へ就職。ここにはマルクス主義者の大内兵衛がおり、彼が朝日新聞社主筆の緒方竹虎に推薦して、1936年1月、朝日新聞社に入社、同年9月論説委員となる。

朝日新聞記者の尾崎秀実らとともに近衛文麿のブレーン組織、昭和研究会に参加してその中心メンバーの一人となり、近衛を取り巻く朝食会のメンバーともなった)

■和田耕作(わだこうさく、1907年1月 - 2006年7月。政治家、元民社党衆議院議員。京都帝大卒。1934年、南満州鉄道に入社、調査部に勤務する。

1937年、企画院調査官となる。1941年の「企画院事件」では和田博雄、勝間田清一らとともに検挙される。翌1942年応召。

戦後はソ連に5年間抑留され、その経験から反共産主義の立場を取るようになる。1960年に民主社会主義研究会議を創設して事務局長に就任、同時に民主社会党の結成に参画、1967年の衆議院議員選挙に民社党公認で旧東京4区から出馬し初当選。連続当選6回)

■聴涛克巳(きくなみかつみ、1904年1月 - 1965年8月。ジャーナリスト、労働運動家。関西学院大卒後、朝日新聞社に入社。朝日新聞記者として論説委員などを歴任。朝日新聞労働組合委員長(初代)にも就任した。1946年には全日本新聞通信労働組合と全日本産業別労働組合会議(産別会議)でそれぞれ委員長(初代)を兼任した。

1949年の衆議院議員総選挙で日本共産党から出馬し当選するが、翌1950年のレッドパージによる公職追放令を受け失職。中国に渡航して北京機関のメンバーとなり、自由日本放送の業務にも従事した。その後、日本共産党代表としてヨーロッパで活動した。1958年に帰国し、アカハタ編集局長、党幹部会員を歴任した)

■牛場友彦(うしばともひこ、1901年12月 - 1993年1月。東京帝大、オックスフォード大卒。1936年に米国で開催された太平洋問題調査会に、西園寺公一の通訳として参加。近衛文麿の側近時代、内閣総理大臣秘書官を務め、朝飯会を発足させた。尾崎秀実を近衛文麿に紹介し、彼が内閣嘱託となるきっかけをつくった。

戦後、松方三郎や松本重治とともに日本経済復興協会の理事となり、日本輸出入銀行幹事、日本不動産銀行顧問を務めた)

■角田順(つのたじゅん、1910年大坂に生れる。1933年東京帝大卒。日本戦略研究センター常務理事、外交政策研究所(フィラデルフィア)調査顧問などを歴任。著書は『ボールドウィン、チェイムバリンとヒトラー』『満州問題と国防方針』『政治と軍事』、編著・校訂書は『太平洋戦争への道』全8巻、『満州事変』『日中戦争3』『石原莞爾資料』全2巻など)

■堀真琴(ほりまこと、1898年5月 - 1980年1月。東京帝大卒、法政大学教授、政治学者、政治家。1947年、日本社会党から参議院議員に当選。翌年には労働者農民党の結成に参加し、党中央執行委員に就任した。民主主義科学者協会理事、安保破棄中央委員会の事務局長を務めた)

これらの人たちの多くは近衛首相のブレーンとなって「朝飯会」や「昭和研究会」に所属する一方、尾崎とともに当時の有力な月刊誌「改造」や「中央公論」に頻々と登場して「東亜新秩序」をそれぞれの仕方で正当化した。

その多くが戦後においても文筆家、評論家、あるいは政治家となって活動したのである。日本はそういう容共的反日左翼に乗っ取られたのである。(頂門の一針)

杜父魚文庫
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