<< ソウルからヨボセヨ 南北統一「大当たり」?   黒田勝弘 | main | 都知事選 雪の中で最後の訴え   古沢襄 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |







ソチ五輪と日本人のバイカル湖起源説   古沢襄
四年前の二月に書いた「縄文土器が生まれる前の日本列島」がいまになって読まれている。このあたりが文庫形式のブログの特徴であって面白いところだ。

ソチ五輪の影響だろうか?そうではあるまい。シベリアのバイカル湖とソチがある黒海は結びつかない。

ただソチ五輪でロシアに興味を持った人たちが、ネット検索で私の記事にたどり着いたのかもしれない。そう思うほど大量の読者が私の記事にアクセスしてきた。

ただ杜父魚文庫ブログに直接アクセスしてきたのではない。姉妹ブログの「歴史と神話」にアクセスしている。

主催者としては、杜父魚文庫ブログでも直接アクセス出来るようにこの人気記事を再掲することにしました。

■縄文土器が生まれる前の日本列島 古沢襄

<多くの日本人のルーツはシベリアのバイカル湖周辺という北方系説が確立したのは、DNA鑑定が決め手となった。それまでは古事記や日本書紀で伝わってきた神々の神話の世界に起源を求めた南方系説が有力であった。

佐賀医科大学が縄文遺跡で発掘された人骨29体の歯から採取したDNAと、国立遺伝学研究所のデーター・バンクに保存されている132件のデーターと照合した。韓国、台湾、タイと一致したのは各1件だけで、17件がバイカル湖周辺に住むブリヤート人と一致するという驚くべきことが分かった。

このことは縄文人が列島の南から起こって、北上したという通説を否定した科学的な証明となった。

ホモサピエンスの誕生は20万年前(猿人は百万年前)のアフリカだったことは、世界で認められている。それが北上して、一つの流れはアジアに向かい、もう一つの流れはヨーロッパに向かったと言われている。住みやすい温暖の地を求めた人の異動なのだが、人が住めないと思われたシベリアに太古の人たちが向かったのは久しく謎であった。

しかし氷河期に遡る二万三千年前の人骨がシベリアのマリタ遺跡から発見された。1928年のことである。この年に農民がバイカル湖に注ぐベラヤ川の上流28キロの左岸で、地中から大量の骨を発見し、イルクーツク郷土誌博物館に届け出た。

ソ連は人類学者ゲラシモフによって早速、マリタ遺跡の調査が開始され、1958年までの間、毎年のように地質学者や古生物学者などを含めた組織的な発掘調査が続けられた。

マリタ遺跡からは大量の石器や骨角牙器、獣骨などの遺物が発掘され。後期旧石器時代にシベリアでの集落の存在が明らかになっている。四ヶ所からマンモス牙製のブレスレットの半加工品三点、牙製の鳥像、女性の小像破片、石製品三点などが発見された。

当時としては、高い文化を持ったブリヤート人がバイカル湖の故地を捨てたのは何故であろうか。その回答をソ連の科学アカデミーがバイカル湖周辺の氷河の発掘調査で発見している。約二万年前にシベリアは人もマンモスも住めない極寒の時代を迎えていた。

ブリヤート人は住める土地を求めて東進を始めている。この時代に100メートルから120メートルも海面が下がって、シベリアとサハリン、北海道は地続きとなり。津軽海峡も一部が陸続きになったとみられている。氷河期には海岸線が海に後退する”海退”現象が生じ、温暖期に入ると氷が解けて海岸線が陸地に深く食い込む”海進”現象が起こる。

その”海退”現象によって日本列島が大陸と地続きとなり、東進したブリヤート人はマンモスなどの大型動物を追って、日本にやってきたことになる。この”海退”現象は九州と朝鮮半島にもみられたが、朝鮮半島に住む人たちにとっては、日本列島に避退する必要はなかったのであろう。

当時の日本は針葉樹林と草原が広がっていた。大型動物はマンモスだけでない。野牛やサイもいて、草原は天国だったろう。狩猟民族であるブリヤート人にとっても天国で、急速に南下して日本列島の各地に広がっていった。

日本全国でマンモスやナウマン象の骨や牙の化石が発見されているが、南に向かうほどナウマン象の化石が多いという特徴がある。本四架橋でダイバーが潜ったら、海の底に白い林のようなものが見えるので、近づいてみたら大きな象の白骨だったという事例もある。瀬戸内海は水深100メートル程度だから、氷河期には中国地方と四国は陸続きだったことになる。

しかし、一万五千年前頃から地球は急激な温暖化に見舞われた。草原が少なくなり、日本列島は闊葉樹の森林に覆われることになる。狩猟を生業としてきたブリヤート人は、大型動物が少なくなって深刻な食糧不足に見舞われた。

一万二千年前に日本人は土器を使うことを覚えている。最初の用途は水を飲むことに使われたのではないか。人類が土器を使ったのは一万三千年前、シベリアのアムール川周辺で発掘されている。東進したブリヤート人はこの手法を日本列島に持ち込んだのであろう。

これが約一万年にわたった日本の縄文時代の始まりである。シベリアの土器に較べて日本の縄文土器は薄手で煮炊きに適している。私たちの祖先はシベリア土器を上回る世界でも有数の土器技術を持ったことになる。縄文土器が無ければ、日本列島に渡来したブリヤート人は絶滅していたかもしれない。闊葉樹林で採取したドングリやトチの実を煮ることによって、食用にする術を覚えた。(杜父魚文庫ブログ 2010.02.09 Tuesday name : kajikablog)

杜父魚文庫
  
| - | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







スポンサーサイト
| - | 10:35 | - | - | pookmark |







コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://kajikablog.jugem.jp/trackback/1006449
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

SEARCH

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENT

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE