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反日が募る韓国をどうする?    加瀬英明
韓国の朴槿惠大統領の“反日熱”が、いささかも癒えない。就任以来、諸国を巡って首脳会談を行うたびに、「日本が歴史を歪曲している」と、悪態をついてまわってきた。まるで、手に負えない駄々っ子のようだ。

困ったことに、日本を糾弾するたびに、韓国国民が悦に入って、快哉を叫んでいる。韓国の反日は募る一方だ。

ところが、韓国の日本非難は根も葉もないものだ。日本統治は当時の国際社会も認めたところだが、台湾と韓国の近代化に大きく貢献した。

朴槿惠大統領の対日非難は、慰安婦問題が最大の武器となっている。

■問題の起点を客観的に注視する襟度
 
私がはじめて訪韓したのは、昭和39(1964)年のことだった。

日韓条約によって、両国が国交を開いた前年だった。ソウルにいた日本人は、商社、新聞特派員を含めて、100人もいなかった。

私は27歳だった。新潟日報などの地方紙から韓国について連載を書くことを依頼され、時事通信社の特派員の肩書を貰って、韓国に入国した。

■1964年のソウルの日本人感度

ソウルは貧しかった。毎日、餓死者が絶えなかった。それでも土間の一杯飲み屋((ポージャンマチヤ)に入って、日本人だと分かると、居合わせた客が懐かしがって、日本語で話しかけて争うようにして、白く濁ったドブロク(マッコリ)を奢ってくれた。

韓国では戒厳令が施かれていて、午前零時以後の外出が禁止されていた。カメラマンのR氏の郊外の家に夜食に招かれ、帰りに表通りまで送ってくれたが、タクシーがこなかったので、都心に向うバスに乗った。

R氏が女子車掌に「日本人だから」といって、ホテルの名を告げて、近くで降ろすように頼んだ。バスには、女子車掌が2人乗っていた。
 
バスはほぼ満員だった。私が日本人だと分かると、次々と握手を求められた。1人が日本の童謡を口ずさんだところ、都心に近づくうちに、全員が日本の歌を合唱してくれた。

その後、韓国に仕事で足繁く通った。首相から閣僚や、新聞社のオーナー、大学総長、ジャーナリストなど、多くの親しい友人を持った。韓国を訪れるたびに、温かく歓迎してくれた。

■反日が武器になる源は何か

今日、反日を国是とする国家になってしまっているが、当時の韓国を知る者にとって、信じられないことだ。

もし、韓国民が日本統治を深く恨んでいるとするならば、日本時代が遠のき、体験した人の数が減って記憶が薄れるにつれて、反日感情が強まることはありえないはずだ。

私だけでなく、あのころの韓国をよく知っていた人々なら、狐につままれたような思いにとらわれる。

はじめて韓国を訪れた時に、『東亜日報』に漢字で「慰安婦募集」という広告が載っていた。今日でも『東亜日報』は、韓国の代表的な全国紙の1つである。東亜日報社の金相万会長は、私より20歳年長だったが、肝胆相照らすようになった。私は『東亜日報』を応援したが、朴政権と対決していた。

■現実の真実とは

慰安婦は韓国語で、「ウィアンプ」と発音する。慰安婦は米軍を中心とする国連軍と、韓国軍兵士のために政府によって集められ、その売春村は基地村(キチジョン)と呼ばれていた。

当時、韓国で漢字がまだひろく使用されていた。その後、漢字が日本時代の残滓だといって――今日でも自動車(チャドンチャ)、入口(イプク)、出口(チュルグ)、改(ケ)札(チャル)口(グ)、窓口(チャング)、科学(カハク)、引力(イルリョク)、社長(サジャン)、課長(カジャン)、労働者(ノドンチヤ)、民主(ミンチユ)主義(チイ)をはじめとして、数千にのぼる日常語が日本製の漢語だ――廃止されて、すべてハングルによって書くようになった。慰安婦もその1つだ。

私は日本軍の慰安婦について、知っていた。慰安婦は昭和20年に日本が敗れてから、世界のどこにも存在しなくなったはずだった。それなのに、どうして韓国にまだ慰安婦が存在しているのか、訝った。

韓国軍の将官にインタビューして、どうして旧日本軍と同じように慰安婦と呼んでいるのか、質問した。

「李承晩政権が国軍を創建した時に、その幹部要員といえば、われわれのようにみな、日本の将校だった者でした。そこで、日本軍の制度がそのまま受け継がれました」という答が戻ってきた。

■慰安婦問題の現実

韓国は慰安婦を継承した、世界で唯一つの国である。その韓国から、日本軍に慰安婦がいたといって非難されるのは、嗤(わら)わせられることである。

韓国における慰安婦について、韓国の学者グループによる『軍隊と性暴力』という研究がある。日本では、平成23(2011)年に訳出(現代史料出版)された。この本は、韓国において「慰安婦」施設が朝鮮戦争の勃発時に設けられ、政府がかかわって管理していたことを、克明に検証している。

韓国人はユーモアに富んでいる。米兵相手の「慰安婦」を、「洋公主((ヤンゴンジユ)」(外人向け王女)、「洋(ヤン)ガルボ」(外人用の売春婦)、「国連夫人((ユーエヌマダム)」、「国連婦人(ミセス・ユーエヌ)」などと呼んでいた。米兵向けの売春地区が、「基地村(キジチヨン)」と呼ばれた。

「慰安婦」の「目的は、第1に一般女性を保護するため、第2に韓国政府から米軍兵士に感謝の意を示すため、第3に兵士の士気高揚」のためと、述べている。

「『慰安婦』として働くことになった女性たちは、『自発的動機』がほとんどなかった」「ある日、韓国軍情報機関員たちにより拉致され、1日で韓国軍『慰安婦』へと転落した」

日本軍の慰安婦のなかで、拉致されて強制された者は1人もいなかった。

「国家の立場からみれば公娼であっても、女性たちの立場からみれば、韓国軍『慰安婦』制度はあくまでも軍による性奴隷(ソンノーエ)制度であり、女性自身は性奴隷であった」と、論じている。

2002年に国連軍と韓国陸軍の「慰安婦」について、この研究が発表された直後に、「韓国の国防部資料室にあった韓国軍『慰安婦』関連資料の閲覧が禁止された。(略)軍担当者が、『日本軍「慰安婦」問題でもないのに‥‥』と言葉を濁らせた」そうである。

ほどなく、ソウルの国会議事堂とアメリカ大使館の前にも、慰安婦像が設置されることになるのだろうか。

■親日派の意味するもの
 
もっとも、私は韓国に通っていたのに、長いあいだ気付かなかったが、朴正熙政権のころから学校で反日教育を行っていた。全斗煥大統領を訪ねた時に、「私は親日派(チニルパ)と非難されても、韓日関係をいっそう緊密なものとする覚悟です」というのを聞いて、「親日派」が韓国で売国奴を意味していることを、はじめて知った。

■歴史の無言の教示とは

韓国は歴史を通じて、中国をひたすら崇めていた属国だった。王子や、権力者が血の抗争に耽って殺しあい、民衆に酷政を強いてきたから、韓国史に誇れることがほとんどない。そのために、反日が愛国心を支える柱となってきた。

そのかたわら、戦後の日本は韓国や中国に対して、毅然とした態度をとるべきなのに、卑屈になって、詫びることに終始してきた。自虐症を患う国となってきた。

■日本への甘えが自立心をそこなう

日本を足蹴にして、踏み躙ることが、韓国民の〃元気の素〃となってきた。日本は韓国に対して、〃元気の素〃のロイヤルティを請求するべきだと思う。苛めっ子は、苛められる子が悲鳴をあげるのを見て、増長する。

韓国の反日は常軌を逸している。大人の国といえない。躾けが悪い幼児が泣き喚きたてているのと、変わりがない。

韓国が国をあげて嬲(なぶ)って歓んでいる国は、世界広しといえども、日本しかない。日本に甘えているのだ。日本統治が恩恵を施したので、乳離れできないのだ。

日本に対する依存心が過剰なのだろう。中国は恐ろしい脅威だが、韓国は可愛らしい。泣き喚くのに、いちいち目角(めくじら)を立てることはない。

それほどまで日本を想ってくれて、韓国民に「ありがとう」というほかない。

杜父魚文庫
| 加瀬英明 | 09:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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