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中曽根康弘と石原慎太郎  平井修一
「誰であっても大統領は、決断をしなければならない。誰かに責任を転嫁することはできないのだ。誰も自分の代わりに決断をすることはできない。それが大統領の職務だからだ。責任は私がとる」

米国第33代大統領(在任1945年4月12日〜1953年1月20日)ハリー・S・トルーマンの言葉である。日本への原爆投下を命じ、マッカーサーを通じた日本占領政策に大きな影響を与えた。戦後日本の生みの親である。日本人としては悔しいが、敗戦とはそういうことだ。

国政をあずかる政治家は原爆投下のように周囲の反対を押し切っても国益のために非情な決断をする。冒頭の言葉は敵国の親玉の言葉ではあるが、その職の重さを伝えている。

昭和の初め(1929年7月2日〜1931年4月14日)に首相を務めた浜口雄幸(おさち)は理想の政治家たらんと修養、努力を惜しまなかった。「政治は浜口の唯一の趣味道楽だ」という声もあったが、浜口は「政治が趣味道楽であってたまるものか、およそ政治ほど真剣なものはない、命懸けでやるべきものである」「政治は国民道徳の最高水準たるべし」 との姿勢を守り通した。

政治の重さを承知していた。「一国の政治の方針と運用ならびに政治家の態度と心術とが、一国文化の上に及ぼす所のその影響は実に広大無辺」とも書いている。昭和5年、浜口は東京駅で暴漢に撃たれたが、死を目前にして「男子の本懐だ」と呟いた。もう自分は一身を燃焼させて命を懸けてやってきたのだから、ここで斃れても思い残すことはない、ということだろう。

言うまでもなく政治家は、職業として執政にあたり、国家経営を推進していく指導者である。日本では国会議員、地方議員、地方首長などが政治家の代表で、国権の最高機関である国会には722人の議員がいるが、浜口の言う「国家を率いる政治家こそ最高の道徳が追求される、政治は最高の道徳を行うものでなければならない」と思っている政治家が今はいかほどいるのだろうか。

浜口雄幸を尊敬する中曽根康弘(1918年:大正7年5月27日 - )は95歳になった。評価はいろいろだが、政治家、その最高地位である宰相としての責任、覚悟をもっていた人だろう。彼から見ると今の政治家は物足りないようだ。

「我々先輩の政治家から見ると、2世、3世は図太さがなく、根性が弱い。何となく根っこに不敵なものが欠けている感じがする」(2008年9月3日読売新聞)

4年11か月に及ぶ長期政権を担った中曽根は“総理の資質”についてこう語っている。

「総理大臣になった途端に官僚や新聞記者から冷たい目で見られる。彼らは能力が高く、今までの歴史を熟知し、歴代総理の在り方を研究したうえで現役総理を眺めている。そこに身を晒している。それを克服するだけの人間的魅力と能力がなくては一人前の総理大臣とは言えない。

能力とは先見力、説得力、国際性。そして政治家同士を提携させる、学者との関係を適切にやる、ジャーナリズムとの関係をうまく導き、同じ志を持つ者を集める結合力。それらが非常に重要な要素になっている。多少時間がかかっても克服しなくてはならない。それが宿命だ。

権力者は孤独だ。権力と相対しているとそれが責任感、孤独感に転じていくのだ。責任を果たさなければならないという気持ちが一人でいるときに孤独感を誘引してくる。総理官邸で夜中に考え事をしていると、梟(ふくろう)の鳴き声が聞こえたことがあった。浜口雄幸総理の随感録にも同じことが載っていた。同じように梟の声を聞いて先輩と政治責任を分かち合う気持ちは、総理官邸に住んだ者にしかわからない」(SAPIO 2012年11月号)

中曽根が「最後の国士」として評価した前野徹(元東急エージェンシー社長)は、晩年の著書で石原慎太郎を「ぜひ総理に」と推奨している。こうだ。

「新生日本の国家ビジョンを実現する礎と確かな道筋をつくりイニシアティブをとっていく、この難業を完遂するには従来の為政者を越えた実行力と決断力をもち、強靭なリーダーシップを発揮できる人物でなければ務まらない。この役割を担えるのは石原慎太郎さん以外にはない」(「戦後六十年の大ウソ」)

石原慎太郎は1932年:昭和7年9月30日生まれだから80歳である。保守政治家ということで中曽根康弘とも昵懇だが、宰相を務めた中曽根に比べて言動が軽い印象は否めない。石原は都知事から17年ぶりに国政に復帰し、橋下徹大阪市長とともに「日本維新の会」共同代表を務めているが、石原が橋下という国政経験のない「テレビタレント」と手を組んだのは、小生からみれば「ずいぶん軽いなあ」と思う。人気者の集票力を当てにしたのかもしれない。

橋下は、かつて横山ノックを大阪府知事に選んだ「テレビ白痴症」と同じ人々が支持しているのだろうが、人気は当てにはならない。日本維新の会はこの6月の東京都議会議員選挙では惨敗した。今月7月21日の参議院議員通常選挙でも失敗すれば日本維新の会は消えるかもしれない。

石原は年初に軽い脳梗塞を患った。いくら若々しいと言っても傘寿である。橋下人気にあやかった日本維新の会が空中分解すれば石原の再起も難しいだろう。

佐々淳行(1930年:昭和5年12月11日 - )は第3次中曽根内閣で初代の内閣官房内閣安全保障室長に就任している。2007年:平成19年の東京都知事選挙では石原の要請で選挙対策本部長を務めており、今では石原応援団長のようである。佐々は石原より2歳年長の82歳で、これまた元気な老人だなあと思っていたら、7月から病気療養で休業した。

加齢とともに肉体は弱る。それは誰も避けることはできない。石原も20代のように障子を突き破ることはできまい。「太陽の季節」も終わりになろうとしている。(頂門の一針)

杜父魚文庫
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