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日中和平工作と犬養健さんら  古澤襄
「ようやく雪が消えて、山のワラビがとれるようになった。そのうち送るから・・・」と岩手県の菩提寺の泉全英和尚から電話がきた。

「それにしても寒い夏だな!異常気象なのかな。六月はいつ来る?」と、やんわり催促。私も心は奥羽山脈のふところに抱かれた西和賀町に飛んでいる。東北新幹線で北上駅に近づくと、和賀川と北上川を渡るのだが、雪解け水が滔々と流れている。

先祖が眠る故郷にきたという思いをいつもあらたにする。

「それがな、介添えで付いてきて貰う次女が、フィリピンのセブ島から北へ行ったマラパスクア島にいるので、帰国したら日程の相談をするつもりだが、六月二十二日〜二十四日を考えている」と和尚に言うと「フィリピン?なじょだべ・・・」と和尚は絶句。

帰国する次女は六月三日にわが家に来るので、セブ島話はその時に聞くつもりでいる。七日にはシンガポールから帰朝した豊田祐基子さんが遊びにきてくれる。三年間のシンガポール特派員で仕入れた東南アジア情勢のナマの話を聞けるのが楽しみである。

松本重治さんの「上海時代」をまだ読んでいる。以前にも「上海時代」を読んでいた時に「主人が古澤さんに会いたいと言っているわよ」と福田赳夫夫人から電話が掛かってきた。

翌日、赤坂プリンス・ホテルの福田事務所に行って、とりとめのない話をしたついでに「上海時代」の本の話をしたら、福田赳夫さんが「その頃、犬養健さんと私は中国にいたのだよ」と思いがけない懐旧談をしてくれた。

犬養健・・・吉田内閣の法相だった1952年、造船疑獄で佐藤栄作自由党幹事長の逮捕許諾請求を含めた強制捜査に対して指揮権を発動した悪名高き政治家という程度の知識しかなかった私だが、福田赳夫さんが語った犬養健像は違っていた。

五・一五事件で父親の犬養毅元首相が暗殺された後に、犬養健さんは泥沼化する日中戦争期間中、和平工作に全力を注いでいる。

「その時のことを犬養健さんは『揚子江は今も流れている』(中公文庫)という本に書いているよ」と福田赳夫さんは教えてくれた。

「上海時代」の下巻に、来日した高宗武氏が東京・市兵衛町の住友家の別邸で松本重治さんの紹介で犬養健さんと会談した記述がある。

高宗武・・・その経歴と人柄については「上海時代」の上巻に詳しく書いてある。26歳で蒋介石と汪兆銘とに見出され、そのブレーンとなった人物。対日和平の裏折衝で日本側の陸軍和平派・多田参謀本部次長、影佐大佐(軍務課長)、今井中佐(支那班長)と話し合い、板垣征四郎陸相とも会談した。

高宗武氏は来日中、陸軍和平派の世話で隅田川近くの邸で寝泊まりしていたが、犬養健さんはひんぱんに高宗武氏と会って和平工作の話し合いをしていた。だが、その動きを陸軍強硬派がかぎつけ、高宗武暗殺計画が漏れてきたので、心配した松本重治さんがひそかに羽田から日本を脱出させている。

このことを高宗武氏は「ミスター・マツモトは、私の命の恩人」とことあるごとに述懐している。なお和平工作にかかわった影佐大佐は谷垣法相の母方の祖父に当たる。

杜父魚文庫
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