<< 米国からアジアへの武器輸出、2013年は急増必至  古澤襄 | main | 角栄政権は繊維交渉の勝利   渡部亮次郎 >>
鉄道輸送力と軍事的な移動手段  古澤襄
中国が広い国土を走る新幹線網や在来線の建設に何故、狂奔するのか。チベットに新幹線を通したことでも分かるように、反乱が起こることも想定して、鎮圧の軍事力を早急かつ大量に送り込む軍事目的があることが明らかだ。それに伴って軍幹部の汚職が絶えないのも中国らしい。

独ソ戦で勝利したソ連は、ヨーロッパに派遣した赤軍を引き抜いて、シベリア鉄道でソ満国境に軍事力を集結し、三方から満州に配置された日本の関東軍を越境攻撃している。

鉄道を軍の移動手段として考えたのは、ヨーロッパのプロイセンが始めだという。

1858年にプロイセンのモルトケ陸軍少将が参謀長に任命された。1866年の普墺戦争でモルトケは兵員輸送のための鉄道を重視して七週間で勝利し、続く普仏戦争でもフランス軍に圧勝している。

明治維新で日本陸軍は幕府軍のフランス軍制からプロイセン軍制に切り替えることとし、モルトケの懐刀と言われるメッケル少佐を陸軍大学校教官に迎え入れて軍制の近代化を目指した。

話は横路にそれるが、このメッケルの愛弟子といわれたのは東北の南部藩出身の東条英教(陸軍中将)、明治陸軍で作戦の神様といわれた。東条英機元首相の父親である。

さて、北から南まで長い列島線にある日本は、北の守りも南の守りも重要で欠かせない。といって五〇万、一〇〇万の兵力を保持することは、財政上できないから、「動的防衛力」という防衛指針をとっている。

その動的防衛力は、陸上自衛隊の輸送手段抜きには考えられない。

有事には陸上では鉄道輸送、海上では輸送船団、空からは大型輸送機が必要だが、その輸送方法が予算難からまだ確立されていない。いまの日本の道路事情からして、交戦地域に向かう自衛隊の輸送車両は、交戦地域から脱出する避難車両によって混乱が避けられないであろう。日本でも鉄道による自衛隊の輸送が必要なのは論を待たない。

<2011年10〜12月に行われた陸上自衛隊第7師団の「協同転地演習」で、札幌市から大分市まで鉄道輸送される73式装甲車。軍事上、複数ルートによる装備の大量輸送力は、極めて重要だ

新幹線技術満載の高速鉄道を管轄する中国鉄道省が来春、交通省に吸収されるかもしれない。腐敗が誘因とされる。鼻を衝く腐臭は、人民解放軍が垂れ流す贈収賄という名の汚毒が病根となっている。

そもそも、鉄道は兵員・武器・軍需物資輸送といった戦争の帰趨を決める戦略的インフラ。鉄道省も、共産党の軍隊・東北人民解放軍鉄道縦隊による1945年の南満州鉄道(満鉄)接収を源流に持つ。中国建国前の46年、最高軍事指導機関・中央人民政府人民革命軍事委員会隷下の軍事鉄道部となり、戦禍を受けた鉄道を復旧した。

以来、省幹部には解放軍幹部が就任。省内に警察や裁判所が設置され、軍と見紛う組織構造を遺す。憲兵、軍事法廷をイメージするが“統帥権の独立”を黙認されたに等しい。軍内で常態化している汚職が、省内で培養される環境は整っていた。

■勝敗を決するインフラ

鉄道と軍は深い関係にある。フランス陸軍は1889年以降、今も鉄道建設・修理・破壊を行う連隊規模の鉄道工兵部隊を有す。普仏戦争(1870〜71年)の戦訓だと思っている。説明が必要だ。

プロイセンがフランスを撃破し、大勢が決するまでわずか6週間。勝因には、当時他国にはなかった軍の頭脳・参謀本部の存在や現場指揮官への権限委譲、優秀な武器、電信の発達に加え、鉄道の整備が挙げられる。しかも、各勝因は「掛け算」され相乗効果を生んだ。

参謀総長ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ元帥伯爵(1800〜91年)は軍鉄道部を新設し、精緻な鉄道運行表製作と鉄道を使った演習を実施。

「兵力の集中」という定石を覆し「兵力を分散」させ、複数方面より進撃させ包囲する「分進合撃戦法」を考案。普墺戦争(66年)では、5本の鉄道路線を駆使し、1路線のオーストリア軍を攻め、7週間で雌雄を決した。普墺戦争後、プロイセンは仏方面に向け6路線を完成。

続く普仏戦争では、プロイセンに向け1路線しか持たぬ仏軍の、鉄道ダイヤ混乱による兵力展開遅滞の間隙を衝き、これを潰走せしめた。

モルトケ退役翌年の仏鉄道工兵部隊創設は、鉄道の進化もあったろうが、馬上ならぬ「車上の将軍」と尊称されたモルトケの鉄道戦略を範と刻む、仏軍の戒めのように感ずる。現在でも、仏軍の輸送要求管理・調整は念が入っている。国土整備省が監督官庁だが、所属する運輸総務監察局の局長補佐官には大佐級、局参謀長には中佐級の武官が就任、といった具合だ。

■輸送力が鍵の日清戦争

もっとも、モルトケが育んだ軍の頭脳・参謀本部はその後、各列強も必要性を認め、次々と立ち上げたが、仏軍参謀の立場は書記・伝令の域を出なかった。

その点、モルトケの薫陶を最も忠実に実行したのが大日本帝國陸軍だった。実行の核となったのは川上操六・陸軍大将子爵(1848〜99年)。86歳で尚、現役参謀総長でいたモルトケが直接、個人講義を授けている。

プロセイン留学後、川上は参謀本部を拡充し、モルトケに叩き込まれた必勝条件=鉄道整備にも情熱を注ぐ。清国戦に備え、逓信省鉄道庁長官らとの審議機関・鉄道会議の議長にも就いた。

世界最大級の砲を備えた清国海軍の艦砲射撃を恐れ、鉄道敷設計画を沿岸から山間部に変更するよう、会議で強く要求。一方で、清国鉄道網を調べた結果、日本の鉄道→船舶による輸送力の上位を予測、開戦に傾く。大本営が大陸に近い下関か博多ではなく広島に置かれたのも、山陽本線開通が広島で止まっていたためで、ここにもまた鉄道事情が介在した。

続く日露戦争(1904〜05年)を予感させたのも鉄道だった。ロシアはシベリア鉄道を01年、ほぼ完成(全線開通は戦争中)。シベリアで必要な食料や不凍軍港を満州・朝鮮に求め、日清戦争に勝ったはずの日本の頭ごなしに、清国から鉄道敷設権を強奪した。シベリア鉄道支線となる東清鉄道である。

旅順や大連という清国内の良港と鉄道が一体となった上、朝鮮も露領となるのは時間の問題で、日本の脇腹は匕首を突き付けられつつあった。匕首をかわすべく敢行したのが日露戦争で、帝國陸軍は欧州からの露軍移動を阻止せんと、シベリア鉄道爆破を繰り返すことになる。

■抑止効果もある大量輸送

ロシアに勝った日本は東清鉄道南満州支線の租借権を獲得。06年に満鉄を創設するが、その守備部隊が帝國陸軍・関東軍となる。1万1000人の寡兵で33万3000人もの張学良軍を撃破。日本の3倍もの満州を5カ月で占領した満州事変(31〜32年)の成功は、整備された鉄道網による兵力展開にも因った。

国内外の軍駐屯地には必ずと言ってよいほど駅舎が在ったが、今は昔の話。とはいえ、陸上自衛隊も札幌市から大分市まで装備を鉄道輸送するなど「協同転地演習」を頻繁に行ってきた。有事前の大量輸送では、敵への抑止効果も期待できる。有事でも制海空権を抑え、特殊作戦部隊や工作員による奇襲を警戒すればいまだ、有効な手段として生きている。

が、問題も少なくない。国土交通省令で火薬積載量などに限界がある。装備の重量・大きさの制約も高い障壁だが、制約の理由は線路に狭軌(1067ミリ)を採用した川上の時代にまでさかのぼる。国際標準軌は1435ミリで、ソ連に至っては1524ミリだったが、日本の軌道は狭過ぎた。

山深い日本の地形で広軌を選べば、より幅広のトンネルや橋、レールの距離・重さを用意することになる。だが、カネも技術もなかった。時代は下がり、代償は輸送する兵器が払った。例えば、列強の戦車に比べ帝國陸軍の戦車は幅が狭い。その分、高い車高で機能を補った。敵の標的になりやすく、走行安定性にも支障が出た。

軍事上、陸海空複数ルートによる迅速・大量輸送は重要だ。ただ、それは機動力発揮のためであり、装備の「貸し借り」を目的とする「貧乏所帯のやり繰り」であってはならない。必要不可欠な安全保障へのカネの出し惜しみは、帝國陸軍の戦車宜しく、どこかでひずみがでる。

中国鉄道省の「金満体質」がうらやましい。(産経政治部専門委員 野口裕之)

杜父魚文庫
| - | 15:09 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |







スポンサーサイト
| - | 15:09 | - | - | pookmark |







コメント
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2018/04/18 4:28 PM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://kajikablog.jugem.jp/trackback/1002403
トラックバック

CALENDAR

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>

SEARCH

SELECTED ENTRIES

RECENT COMMENT

CATEGORIES

ARCHIVES

LINKS

PROFILE