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パン食党の私に弱い米食の東北旅行  古澤襄
東北旅行で困るのは、朝晩が米食。昼はソバなのだが、わが家では朝はパン食と決まっている。パンを買うのを忘れる時の用心に自宅にパン製造器まで置いてある。

東北新幹線で岩手に向かう時は、車中でサンドイッチを買ってパンの食いだめをする。帰りの新幹線でもサンドイッチ、アイスクリーム、コーヒーをまず購入する。サンドイッチはハム、ジャガイモ・サラダのミックス・サンド。娘夫婦と一緒の旅だったが、彼らは普通のお弁当。オヤジだけがサンドイッチをぱくついている。何とも不思議な車中の食事風景となった。

六年前に「キユーピー・マヨネーズと手製のドレッシング 2006.11.08 Wednesday name : kajikablog」のエッセイを書いたことがある。

妻の母ムツは佐渡の生まれ、二・二六事件に連座した北一輝の従妹なので、旧制女学校を卒業すると、上京して四谷の北家に行儀見習いで入ったが、いつの間にか北家の食事を差配している。

北一輝の従妹ムツと子供たち 一番左の着物姿が妻


得意料理が手製のマヨネーズだったというから面白い。右翼の巨頭と目されていた北一輝が、従妹のマヨネーズを食する図はちょっと想像ができない。昭和初年のことだから、マヨネーズはハイカラな先端食品。岸元首相ら北家を訪問した来客は、母ムツの手製のマヨネーズを出されて、目を白黒、黙々と食べていたのであろう。

<(再掲)日本のパン食の歴史は四百年になるという。戦国時代、種子島に漂着したポルトガル人によって伝えられた。「パン」はポルトガル語。鎖国で禁製品となった。明治維新以降、外国人居留地があった横浜で洋食が普及して、日本の上流階級や貿易商の間でパン食が広まった。東京の一般家庭に広まったのは大正時代だという。木村屋のパンが有名。

一方、マヨネーズが日本に入ってきた歴史は浅い。本格的に日本で生産されたのはキユーピー・マヨネーズ。大正年代の末期から昭和初年にかけてのことである。八十年余りの歴史しかない。もっとも日本に駐在した欧米人の家庭では、手製のマヨネーズがあったから一部の日本人も知っていたと思われる。

だから北一輝の従妹・ムツが手製のマヨネーズを作って、客に振る舞ったのは、時代の先端をいく出来事だったといえる。私ごとでいえば、母はキユーピー・マヨネーズを欠かさなかった。いつもビン入りのキユーピー・マヨネーズを台所に置いていた。昭和十二、三年ごろのことである。サケ缶やカニ缶の上にドロリとかけて、ご飯のおかずにしていた。

東北の山間の僻地で育った父は見慣れぬマヨネーズには手を出さない。漬け物で飯を黙々と食べていた。サケ缶に手をだす時はわざわざ醤油をかけていた。そのおかげでハイカラ女の母と私は、マヨネーズのかかったサケ缶をたっぷり満喫することができた。

もっとも母が自分でマヨネーズを作った姿は見たことがない。戦争が激しくなるとキユーピー・マヨネーズは手に入らなくなった。生産中止となったからである。

このキユーピー・マヨネーズの創業者は、農商務省のお役人。大正十四年に渡米して、マヨネーズを初めて食べて「これだ」と思った。帰国して会社を興している。

当時の日本人にはサラダを食べる習慣がない。もっぱら糠漬けのキューリやナス、洗ったキューリに味噌をつけて、丸かじりしたものだ。そんな食習慣の日本でキユーピー・マヨネーズが広まるには時間がかかっている。当初の売れ行きは年間120函(600kg)ほどだったという。しかし昭和十六年には年間出荷量が10万個(約500トン)まで伸びた。

大東亜戦争が始まってキユーピー・マヨネーズの生産は中止。贅沢品とみられたのであろう。糠漬けのキューリやナス、味噌をつけたキューリの丸かじりの時代に戻った。

北一輝とマヨネーズの取り合わせは、如何にも不思議なことだ。存命中のムツに聞いて置けば良かったのだが、今では推理するしかない。

食文化が違う日本だから、キユーピー・マヨネーズを作ったものの売れない。おまけに右翼など国粋主義が台頭してきた時代であった。創業者の中島董一郎氏は、右翼の巨頭・北一輝に目をつけたのではなかろうか。右翼から「アメリカかぶれの贅沢品」と排撃運動でもされたら困る。先手を打った。

北家で家事の差配をしていたムツがマヨネーズの製法を知ったのは、時期的にみてキユーピー・マヨネーズの会社から教えて貰った可能性がある。味は別してマヨネーズの製法はそれほど難しくない。卵を割り、黄身だけを取り出す→塩コショウとお酢を適量投入→油を垂らしながら激しく撹拌する。コツは攪拌する時に手早く激しく混ぜることに尽きる。分離しやすいからかなり早く混ぜないといけない。

戦後はマヨネーズよりもドレッシングに人気が移っている。ヘルシーがうたい文句のドレッシングは、大雑把にいえばマヨネーズの製法から卵黄の部分を除いたものと考えてもいい。マヨネーズは摂り過ぎると太ってしまう。日本のマヨネーズは米国のマヨネーズよりも卵黄を倍以上使う。栄養過多になるのであろう。

わが家では市販のドレッシングを使わない。お酢の量を多くして、隠し味に砂糖を僅か使う。タマネギをみじん切りして手製のドレッシングに漬け込み、それをトマトなど野菜にたっぷりかけて食卓にだす。ムツの次女である女房をみながら「血は争えぬ」と思いながら、北一輝が生きた時代に想いを馳せている。(杜父魚ブログ)>

杜父魚文庫
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