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精神至上主義はドン・キホーテにまさる悲劇を招く  古澤襄
昨年の4月のことになるが、作家の高橋克彦さんと二人で岩手県西和賀町の「銀河ホール」で東北を語る講演会をしたことがある。

克彦さんは「岩手県が生んだ古澤元という戦前作家を初めて知った」「岩手県人は古澤元を誇りに思っていい」・・・多分に息子の私に対する”社交辞令”と思いながら、それでも素直に嬉しく聞いたものである。

12月1日に岩手県の菩提寺に建立された「古澤家累代の精霊碑」を長女夫妻を伴って訪れるが、あらためて古澤元の評論・エッセイ集(澤内農民の興亡 古澤元とその文学 1998年刊 朝日書林)を読み返している。

全部で28篇、なによりも30歳台の若さで戦前の執筆ながら、現代でも通用する妥協のない批判的な論調を貫いている。その批判精神は、多くの文学者が沈黙を強いられた戦争末期まで続いた。

1941年10月17日、まさに大東亜戦争に直入する二ヶ月前に、虎ノ門文藝会館で「正統」の第一回同人総会が五〇人の青年文学者が集まって開かれ、古澤元が代表に選ばれた。その夜、向島の百花園で武田麟太郎、青野季吉が参加して祝賀会が開かれた。



英米との戦争に走る世相を反映して、「正統」は英米自由思想の本山と陰口が叩かれ、風当たりが強かったが、古澤元は「何よりも竹槍という言葉に象徴される封建性に対し、自分たちは警戒を要する。気迫・精神力は強調して強調しすぎるということはないが、われわれは現実に近代文化以前に生きているのではない。歴史の歩み、築きあげた近代の物質文化の蓄積を観念的に無視することは、無意味、無力な精神至上主義に陥る一歩であり、ドン・キホーテにまさる悲劇を招く」(文学理念の探求 「正統」第一巻一号)と主張した。

この背景には、バーナード・ショーが来日した際に、某将軍が「日本軍は竹槍三千本あれば、いかなる外敵をも屈服せしめる」と豪語して新聞も無批判に大きく報道した事実がある。

「大東亜戦争以後、いわゆる自由主義、個人主義思想の否定が完全に通り言葉になってしまって、もうこの言葉には誰も慢性になり、考えもしなくなっている」

「新年号であるので、それにふさわしい文章を書きたいが、いまの私にはめでたい話は書けない」(「正統」第二巻一号)1943年1月の論評だが、一年半後に日本は連合軍に無条件降伏をした。この年夏に親友だった作家の池田源尚に「戦争は無駄だな」と暗い顔をしてうち明けていた。

日本の将来に暗澹たる気持ちに駆られていた古澤元は、敗戦の年の三月、38歳の老兵ながら召集されて満州でソ連軍と交戦し翌年の五月、シベリアの病院で栄養失調で果てた。

http://blog.kajika.net/?eid=1000997

<西和賀町の「銀河ホール」の前にある蕎麦屋で、作家の高橋克彦さんが『炎立つ』の長編小説を書いた裏話をしてくれた。『炎立つ』は北の王者だった安倍一族の興亡史を描いたものだが、安倍氏に関する史料は少ない。朝廷に叛いた蝦夷という位置付けだから、ほとんどの史料は抹殺されている。あるのは朝廷側からみた征討軍の戦記物だけといっても言い過ぎではない。

克彦さんは東北の地方に散らばっている安倍一族の伝承を丹念に掘り起こすことで、かなりの時間を費やしたと言っていた。この伝承は”野史”というのだが、地方巡りをしていると意外と野史が数多く残っている。

私は地方の市町村が刊行した「下妻市史」とか「八千代町史」といった刊行物集めで、神田や早稲田の古書店の世話になった。わざわざ市町村の教育委員会にまで出掛けて求めたこともある。

たとえば「能代市史」は全七巻まで刊行され、資料編は古代・中世(一)、中世(二)、近世(一)が出ている。能代が古代資料に登場するのは、「日本書紀」「続日本紀」「日本三代実録」など古代国家が編纂した正史だけである。

古代・中世(一)編は1000ページを越える大部なのだが「宝亀2年(771)6月27日、渤海使ら325人、船17隻で出羽国の賊地、野代湊に来着する。常陸国に安置し供給す。(続日本紀)」といった記述まで網羅されている。

漢文と現代語訳文が併記されていて解説まで附記されている。ここでいう野代湊は能代湊、賊地とは蝦夷集団が一斉蜂起の状況下にあったことを示し、このために渤海使をとりあえず常陸国に移したと読める。「供給す」は衣・食などを支給した意味と解釈している。

市町村史というと単なる”お国自慢”の本ように思われがちだが、地方史の専門史家が集まり、大学の教授の指導を得ているから、立派な専門書となっている。何よりも史料編纂所にでも行かなければ読めない文書がある点が便利である。

秋田家文書、南部家文書、佐竹文書などは、こうして読むことが出来た。秋田家文書に「安倍貞季の築いた十三湊新城は、秦の長城に比すべきものという」という長文の記述がある。貞季公は安倍貞任の末裔、朝廷側からみれば賊徒だから、記述の内容はまさに野史。それだけに面白い。この「十三湊新城記」は秋田元子爵家の所蔵だったが、今は東北大学付属図書館の所蔵となっている。

古代や中世の日本歴史の史料として”正史”が重くみられるが、ヘソ曲がりの私は”野史”のほうに興味がある。それは権力を持った側の正史は、往々にして滅ぼした側の史実を抹殺しているからである。だが、滅ぼされた側の歴史は野史として残っているケースが多いのも事実である。>

<<西和賀町文化シンポジウム(町、杜父魚塾主催)は26日、同町上野々の町文化創造館「銀河ホール」で開かれ、作家高橋克彦さんや同塾長の古澤襄さんらが、先人が築いてきた故郷に誇りを持つことの大切さを強調した。

シンポジウムは「眠れる西和賀の宝を掘り起こす−『炎立つ』の世界から日本を観る」がテーマ。前町長の高橋繁さんをコーディネーターに、高橋克彦さんと古澤塾長、細井洋行町長がパネリストを務めた。

この中で、高橋克彦さんは父親の古里である旧沢内村に対する思いの深さを紹介。1940〜44年にかけて芥川・直木賞に県内から毎年のように候補者があったことについて、「岩手の文芸のピーク。しかし、県の文芸を築いた人たちの作品が書店で手に入らない」と話し、「郷土を知らずして、誇りや自信につながらない」と指摘した。

また、「炎立つ」などの作品を書くきっかけなどに触れながら、「和賀郡は東北地方で一番輝いていた所。一人ひとりが和賀の生まれを自覚し、故郷を大切にしていきたい」と話した。

また、古澤塾長は「東北の魂に光を当て、壮大なロマンを描いた『炎立つ』には感銘した」と高橋文学が地域に勇気を与えていると説明。「安倍氏の血筋を自負している人たちは、東北の歴史に強い関心と誇りを持っている。中世初期には、一番豊かな場所だった」と和賀の素晴らしさを強調。直木賞候補となった旧沢内村出身の作家で、父親の古澤元さんのルーツなどを紹介した。(岩手日々)>>

杜父魚文庫
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