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共産主義の大罪を指摘した人 古森義久
政治学者の長老、猪木正道氏が亡くなりました。猪木氏といっても、もうご存知の方は少なくなったかもしれません。

しかし猪木氏が共産主義が魅力あり実効性のあるイデオロギーとして提示されていた戦後の日本で、早くからその共産主義の欠陥や欺瞞を説得力のある論理や実践で説いていたという実績があります。

<【追悼】猪木正道氏 杏林大学名誉教授・田久保忠衛>

 ■お気に召さなかった「武装中立」

私は学生時代に社会思想研究会(社思研)で初めて猪木正道先生にお目にかかった。私自身はまだ若いつもりでいたが、社思研の古い思い出を知る者はごく少数になってしまったことを改めて知り、ペンを執りつついささか慌てている。

社思研といっても、どのような団体か分からない向きがいて不思議ではない。東京帝国大学教授で自由主義思想家として知られた河合栄治郎の門下生が戦後の昭 和22(1947)年に創設し、自由主義、理想主義、民主社会主義の思想の普及を目的に講演、図書発行、会員募集などを行い、52年の創立30周年を機に解散した。

機関誌「社会思想研究会月報」創刊号には代表者として山田文雄、長尾春雄、木村健康、土屋清、石上良平、関嘉彦、猪木正道の7人の名が載っている。山田先生は河合が出版法違反で起訴された14年に師に殉じて東大教授を辞し、長尾氏は北里研究所理事、木村先生は山田先生と行動を共にされて東大助手を辞めたが、戦後は、東大教授に復帰している。土屋先生は朝日新聞論説委員、石上良平先生は成蹊大学教授、猪木先生は京都大学教授だった。

私は29年に入会し、42年から解散時までの10年間、理事を務めたから、青年期の20年余は猪木先生の謦咳に接したことになる。 会には、東大だけではなく中央大学の武藤光朗、慶応大学の気賀健三、早稲田大学の服部辨之助先生といった他大学の方々も積極的に参加されるようになったが、中核はやはり河合門下生で、一時期は土屋、関、猪木の三先生が代表的な存在になった観があった。

毎月1回は必ず集まる編集委員会 で、口の悪いのは土屋、猪木の両先生に決まっていた。関先生は人の悪口は一切、口にされなかった。談たまたま財界の某大物の話題になって、土屋先生が「あれは取るに足らぬ人間。財界の三バカの一人だ」とズバリ言われ、皆が呆気(あっけ)にとられているとき、猪木先生が間髪を入れず「ワッハッハ。学界にもその3人がいます」と豪快に応じて全員爆笑といった場面は何度もあった。

春風駘蕩(たいとう)、冗談も洒落(しゃれ)も口を衝(つ)いて ポンポン出てくる猪木先生にお会いしていて、不快感を持つ人間はいなかっただろう。が、剃刀の頭脳から早口でまくし立てる議論を、私は何度も耳にし、目にした。御著書「共産主義の系譜」を愛読していた私が思わず手をたたいたのは、34年9月の社会党の党大会後にNHKテレビで行われた、猪木先生と社会党左派の理論的指導者、向坂逸郎氏の討論であった。

労農派の流れをくむマルクス経済学者で、社会主義協会を率い、35年に日米安全保障条約 改定騒動と同時に展開された三井三池炭鉱闘争の中心人物と、猪木先生は沈着に、しかも猛然と言い合いをした。中産階級没落説、暴力革命説、プロレタリアート独裁説などに狙いをつけて論破する手法に音を上げたのは、お相手だった。最後に、20歳近く年下の相手を見下すかのような表情で、向坂氏が「猪木さんは 自民党へ行くのがよい」と言った途端に、「向坂さんは共産党行きでしょう」と応じたのである。

共産主義に対する猪木先生の姿勢は不動だったが、当時の常識で少しでも「右」と考えられる言動には、とりわけ敏感だったように思う。私は44年2月号の「社会思想研究」に、「新時代の日米同盟−迫られる重大選択」を書いた。アジア全域から米地上軍を撤退させるとのニクソンドクトリンが発表されたのが同年7月だから、その5カ月前だ。米軍が頼りにならないようなら、日本が自立の方向に向かわざるを得なくなるとの問題点を提示した。長期的にみれば武装中立の道もあるとも述べたが、これがお気に召さなかったらしい。怒っておられるとの話は何度も聞いた。

社思研解散の数年前、猪木防衛大学長から電話で講演に来いとの御命令である。学生が真剣なので気合が入り、日米には日本が軍事的に弱いままでいいとするウィークジャパン派がいるとぶった。講演後、防衛大に近い神奈川県横須賀市久里浜の魚料理屋に連れて行っていただいたが、「ウィークジャパン派」とは誰かとの御質問には狼狽した。あとは談論風発でかつての御不興は解けたと勝手に解釈している。今は遠い思い出になってしまった。

                   ◇

【プロフィル】猪木正道(いのき・まさみち)=京大名誉教授。大正3年、京都市生まれ。東大経済学部卒。京大で政治学などを教え、退官後は防衛大学校長、平和・安全保障研究所会長などを歴任した。産経新聞の正論メンバーで、本紙「正論」欄の第1回執筆者。平成2年には正論大賞を受賞した。13年に文化功労者。日本政治学界の大御所的存在だった。今月5日、老衰のため98歳で死去。

杜父魚文庫
| 古森義久 | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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