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アイ・ジョージが不明16年 渡部亮次郎
アイ・ジョージ(1933年9月27日 - )は日本の元歌手、俳優。本名、石松譲冶(いしまつ じょうじ)。芸名の由来は本名の石松譲治から苗字のイニシャル(「I」)から取ってアイ・ジョージとしている。

1933(昭和8)年、香港(当時の英国領)生まれ。父は石油会社の役員、母はスペイン系フィリピン人。外地生まれで、なおかつ混血児であったこともあり、戸籍上は1940年4月15日生まれ・父方の祖父母の第三子として届出がなされているらしい。

アメリカを放浪しているという噂もあるが、なにしろ行方不明になって16年がすぎた。私は彼の歌が好きで時折MDで聞くが行方ふめいだから当然、ナマでは聴けない。

1959年12月、トリオ・ロス・パンチョスの日本公演の前座歌手となり、改めてアイ・ジョージとしてデビュー。同じ前座だった坂本スミ子共々大いに売り出す。NHK紅白歌合戦には1960年から1971年まで12回連続出場。

外国曲を中心に歌っていたが、オリジナル曲では1961年には自作曲「硝子のジョニー」、1965年には純然たる歌謡曲「赤いグラス」を志摩ちなみとのコンビで歌い、ヒットさせている。特に「赤いグラス」はカラオケのデュエット曲の定番として現在でも親しまれている。

1963年10月8日から10日にかけて日本人初となるアメリカ合衆国ニューヨーク市のカーネギー・ホール公演を果たす。当時は実力充分な一流歌手で無ければ、容易に舞台に立つことが出来ず、カーネギーの舞台に立つことは素晴らしい名誉だった。

当時は大成功と報道されたが、実際のところ、内容は素晴らしかったものの興行的には失敗に終わった。

他にも1967年にはソ連公演を果たすなど、「世界の流し」として活躍した。またこの年には富豪令嬢と結婚、一女を儲けるも1976年離婚した。原因はジョージの乱れた女性関係にあるとされる。

1972年、長年所属していたテイチクからコロムビアへ移籍(〜78年?)。この頃から実業家としての活動がさかんになり、沖縄国際海洋博覧会を見込んで作ったレストラン、八丈島のホテル、六本木のメキシコ料理店などを経営するもすべて失敗に終り、十数億の借金を抱えることになった。

1987年、借金をようやく返し終えたこともあり、NECアベニューへ移籍し、本格的に歌手活動を再開するも同年末に金銭トラブルを起こす。そのこともありメディア出演はさらに減っていき、1996年暮れテレビ東京の
懐メロ番組に出演したのが現時点で最後のテレビ出演となった。

1998年頃、永六輔がジョージを探すが、見つけ出すことは出来なかった。友人である坂本スミ子のもとには今も時折電話がかかってくることはあるが、連絡先を聞くと口ごもるという。現在はアメリカ合衆国ロサンゼルス市在住でロスと日本を往復して生活を送っているという噂があるものの真偽は不明。出典:「ウィキペディア」

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